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第一部
7:眼球にキス
しおりを挟む私室に戻ったモニカは謁見用のドレスを着たままベッドに倒れ込んだ。
天蓋付きの豪華なベッド以外、比較的シンプルな家具で揃えられたその部屋の片隅には、高そうな謎の絵画や装飾品、ドレスの箱などが乱暴に積み上げられている。
彼女はそれらに軽蔑の視線を向けると、深くため息をついた。
「また増えてる…」
これらは全て彼女の母からの贈り物だ。
モニカの母親は貧乏男爵家の娘だった。品性のかけらも無いような女だが、それでも容姿だけ女神のように美しかった。
あれは遠い昔のこと。実家の都合で婚約破棄され、路頭に迷っていたところを学園時代の友人である皇后に拾われて、彼女の侍女となった。
そして、皇后を慕うフリをして生活しながら、彼女に気付かれないように皇帝に近づき…。
一夜を共にした。
皇帝が言うには、彼女はまるで蛇のように絡みつき、娼婦のように彼を誘ったそうだ。
結局手を出しておいて被害者ヅラはどうかと思うが、皇帝にもそう言わねばならない事情があったのだろう。
そう、そのたった一度の夜で生まれたのがモニカだった。
皇帝の血を引くモニカを宙ぶらりんの立場にしておくことができなかった貴族たちは、結果としてモニカの母を2番目の妃として迎え入れた。
だから、この城の人間も貴族連中もみんな、モニカを嫌う。
自分によくしてくれていた皇后を裏切り、まんまと本来いなかった第二夫人の座に収まった女の娘だから、当たり前と言えば当たり前だ。
中には娘のモニカには罪がないと言っている人もいるようだが、それでも皇后の不興を進んで買いたくはないため、誰も彼女には近づかない。
よって、彼女のそばにいるのは主に物好きな騎士ジャスパーのみであり、着替えや入浴以外の彼女の世話はほとんど彼が行なっている。
「姫様、お着替え手伝いましょうか?」
ジャスパーは卑猥な手つきでベットに横たわるモニカに近づく。
モニカは体を起こすと、枕を投げつけて出ていけと命令した。しかし当然、素行不良の騎士は言うことを聞かない。
「俺は姫様のお世話係でもあるんです。さあさあドレスがシワになる前に脱いでしましましょう」
「その手つきやめなさいよ、気持ち悪い。着替えくらい一人でできるわ。そこらへんの一人じゃ何もできない令嬢と一緒にしないでくれる?」
「そういえばそうでしたね。姫様には着替えを手伝ってくれる侍女などいませんからね。そりゃあ、自分で着替えるしかないですよね」
「馬鹿にしてるの?」
「尊敬しているんです」
馬鹿にした口調で尊敬していると言うなど、やはり馬鹿にしている。
モニカはふんと顔を背けた。するとまた視界に入る贈答品の山。
(馬鹿馬鹿しい…)
歳をとるにつれて失われた美貌。皇帝に相手にされなくなったアイラは与えられた離宮に篭り、割り当てられた費用を使い込んで贅沢をするようになった。
その費用は第ニ妃とその娘のための費用なのだが、それがモニカに渡ることはなく、周囲の声が気になるときだけこうして申し訳程度に贈り物をしてくるのだ。
本当に身勝手だ。自分の行いのせいで娘がどんな生活をしているのか考えたことがないのだろうか。
「大人って勝手ね、ジャスパー」
「ええ、そうですね」
「私はまともな大人になりたいわ」
「そうですね。ちなみに姫様が思うまともな大人とはどんな大人ですか?」
ジャスパーはモニカにラベンダーのハーブティーが並々入ったティーカップを手渡すと、無礼にも主人のベッドに腰掛けた。
「どんなって…。誠実で実直?嘘つかないとか…」
「約束は守るとか?」
「そうね、約束は守らないとダメね」
「はい、言質とった」
ジャスパーはニヤリと口角を上げると、半分くらい飲み終えたハーブティーのカップをモニカから取り上げて、それを近くのテーブルに置く。
モニカは何をするのだと抗議する間もなく、次の瞬間にはベッドに押し倒されていた。
「何のつもりよ」
「賭けに勝ちました」
「ああ、アレね」
つい先ほど、謁見の間に行くまでの廊下で話していたことだ。冗談のつもりだったのだが、真に受けてしまっていたのなら仕方がない。
モニカは自分の発言の責任を取るべく、ジャスパーの腹部に膝蹴りを喰らわせ、彼が怯んだ一瞬の隙にスッと体勢を整えて、彼の腹の上に跨った。
「もしかして、キスしてくれるんですか?」
「そうよ。してあげるから目を大きく見開きなさい」
「何で眼球にキス!?」
「どこにキスするかは指定されていないもの。そして私はその目玉を舐め回してやると言ったわ」
「眼球を舐め回すのはどうかと思います」
「大丈夫よ。私の舌に毒はないから失明することはないはず。知らないけど」
緩やかに波打つ長い髪を耳にかけ、モニカはゆっくりと彼の目に自分の唇を近づける。
その美しい顔面がすぐ目の前にあるせいか、ジャスパーは頬を赤らめた。そしてぎゅっと目を閉じる。
「目を閉じていてはキスできないわ。ジャスパー」
「キスは目を閉じてするものだと思います!」
「そういう固定概念に囚われていては新たな発見などないわよ」
「それは新たな性癖を見つけろという事でしょうか!?」
「ふふっ。そうね。私が開発してあげましょう」
モニカは小さく笑みをこぼすと、結局彼の瞼にキスを落としてベッドから降りた。
ジャスパーはゆっくりと目を開けて自分の瞼を触る。
「これでよろしくて?」
「…あ、はい…そうっすね…大丈夫です…あざっす」
残念なような、嬉しいような複雑な心境のジャスパーはとりあえず今日一日顔を洗わないことに決めた。
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