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第一部

3:賭け事

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 暖かな春の陽気に包まれた午後。謁見の間へと続く赤絨毯の長い長い回廊。
 モニカは外に植えられた真っ赤な大きな花弁が特徴的な花を横目に、この長い廊下を闊歩する。
 少し空いた窓から風と共に運ばれてくる独特の花の香りがツンと鼻を刺した。この花の匂いはいつまで経っても苦手なままだ。
 彼女の半歩後ろをついて歩く近衛騎士ジャスパーは、不意に前を行く主人に声をかけた。

「今日は何の呼び出しですかね?」

   意地悪な笑みを浮かべて彼は聞く。

 婚約者の浮気事件から丸2日。モニカは父である皇帝に呼び出されていた、
 わざわざ謁見の間に呼び出したあたり、何か公式的なことを告げられるのだろう。
 心当たりがあるとすればその婚約破棄騒動のことだ。

 わかりきった事を聞くジャスパーに、モニカは面倒くさそうに答えた。

「婚約破棄騒動に対する理不尽な叱責に、護衛騎士の勤務態度改善をかけるわ」
「では俺は姫様の新しい婚約者が決定したことに、姫様からキスしてもらえる権利をかけます」

 スッと前に出て、モニカの手を取りその甲にキスするジャスパー。この男はいちいち行動がチャラい。
 モニカはジャスパーの手を振り払うと、ドレスでキスされた部分を思い切り拭った。

「貴方が勝ったら、その紫水晶の目玉を舐め回してあげるわ」
「おお、怖い怖い」
 
 ジャスパーは両手をあげて降参のポーズと取った。しかし顔はニヤついており全然降参も反省もしていない。
 顔が国宝級に整っていなければ、その顔面にグーパンチを決めてやるのに。
 モニカはチッと舌打ちすると、彼の襟元を掴んで自分の方へと引き寄せる。
 シャスパーからは『ぐえ』という声が漏れた。

「何するんですか。今、首がもげそうになりました」
「もげてればいいのよ。貴方ね、皇帝陛下に会いに行く時くらいボタンをちゃんと締めなさい」

 呆れたように大きなため息をつくと、モニカは彼のシャツと上着のボタンを締める。
 普段は主人であるモニカが許容しているので制服が乱れていようと咎める者はいないが、皇帝の前に立つとなれば別だ。
 制服をちゃんと着ることすらできない自分の騎士に、彼女の小言は止まらない。

「騎士団一の腕前を持つのに全然昇進できないのは素行が悪いからなのよ?わかってるの?」
「俺は姫様の騎士になるために剣を取ったんです。だから、別に昇進したいなんて思ってません」
「またそんなこと言って。それではいつまで経っても、私なんかの護衛のままよ?」

 ジャスパーの口調が軽いせいか、モニカは彼の発言を冗談だと判断して一蹴する。

 モニカは皇帝の2番目の妃の娘で第4皇女。上に3人の姉と2人の兄がいるために皇位継承権は低く、また母親の素行が悪いために宮中での立場はあまり良くはない。というか、部屋付きのメイドも付けてもらえないくらいに嫌われている。
 加えて何故か婚約が破断し続けるというだ。この城ではもう誰も彼女に見向きもしない。
 そんな未来のない姫にずっとついていても仕方がないだろうとモニカは言う。
 すると、『“なんか”って言うのは無し』とジャスパーは彼女の唇に自分の人差し指を当てた。
 
 彼の銀の短い髪が、風に揺れる。
 モニカは彼の紫水晶の瞳に映った自分の姿を見て、フッと自重するような笑みをこぼした。

「“なんか”でしょう。母親に似て整った容姿をしているという以外なんの取り柄もない、本当にただ顔が良いだけの女なんだから」

 モニカは整った容姿以外に取り柄がない。
 まともに教師もつけてもらって来なかったせいか。それとも遺伝のせいか。芸事も作法も勉強も上の3人の姉には敵わないし、剣や乗馬の腕前は上の2人の兄に敵わない。
 母親の地位も低く、媚びて徳をするような権威もない。本当に、自分にはなんの価値もないのだと彼女は吐き捨てた。

「姫様。それ以上言うなら怒りますよ」
「ジャスパーに怒られたって怖くもないわ」
「俺が本気で怒るとどうなるか知ってます?」
「卑猥な方法で辱めを受けそう」
「わかってるじゃないっすか」
「はい、不敬罪で処刑ね。一国の姫を相手に卑猥なことをしようとするな。歩く公然わいせつ物が」

 モニカはふん、と首を振ると、これ以上付き合っていられないと回廊の先を行くことにした。
 後ろから、空気よりも軽い謝罪を吐きながらジャスパーが追いかけてくるが無視だ。
 この男はいつも飄々としていて掴みどころがなく、且つ、あり得ないほどに軽薄。そして無礼。よく騎士になれたものだなとモニカはいつも思う。

「皇太子殿下の近衛隊から引き抜きの話が来てるんでしょ?行けば?」

 大股で先を歩くモニカは嫌味な口調で後ろを歩くジャスパーに話しかけた。
 コンパスの長さが違うので彼はすぐに彼女に追いつく。

「いやですよ。あんな性格の悪い男の護衛なんて」
「口を慎みなさい。本当に処刑されるわよ」
「だって本当のことでしょ?それに、俺はどうせ守るなら可愛い女の子を守りたい」

 姫様みたいにね、とモニカの顔を覗き込んだジャスパーはウインクした。
 そんな彼をモニカはジトっとした目で見つめ返す。

「あ、その顔は信じてない顔だ」
「私の顔が美しいことは自覚しているけれど、貴方の言う可愛いは信じてない。誰にでも言ってるもの」

 それこそ、下は0歳から上は80歳まで、女性と見れば全員に『可愛い』と言っている。

「女性に可愛いと言うのは男の義務ですから。でも本気で可愛いと思っているのは姫様だけですよ」
「はいはい」
「本当なのに。俺は結婚したいくらい好きです。姫様の顔」
「悪いけど、顔しか見てない男に興味はないの。他を当たってくださる?」
「あ、ちゃんと体も好きですよ?」
「そういう意味じゃないし、その発言は誤解を生むからやめなさい」
「結構相性良いと思うんですけどねー。俺と姫様」
「この話の流れで相性とか言うと別の意味に聞こえるからほんとやめて」
「やだなぁ、何を想像したんですか?姫様のえっち」

 口を元を押さえてニヤニヤするジャスパー。
 ちょっと恥ずかしかったのか、モニカは紅潮させた頬を思い切り膨らませた。
 その子どもじみた表情が可愛かったのか、彼は彼女の頬を突き、嬉しそうに尋ねる。

「ねえ、姫様。子どもは何人つくります?」
「さりげなく結婚した設定で話しかけてくるんじゃないわよ、ばか」

 本当に軽薄な男だ。モニカは深くため息をついた。

 
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