【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第二章 悪魔退治

66:変わったけど変わらない日常

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 あれから一年。ジェフリーはお義父様の爵位のうちの一つを引き継ぎ、ラングハイム伯爵となり、私は伯爵夫人となった。
 ジェフリーは一年のほとんどを首都で過ごし、継承法改正のためにオズウェル殿下をサポートしている。
 私はそんな彼を支えつつ、領主夫人としての勉強をしている。
 今はまだ管理する土地がラングハイムだけだが、いずれはあの広大なオーレンドルフ領全体を治めねばならない。その責任の重さは考えると息もできなくなりそうで、私にはまだ荷が重い。
 だから私はたまに領地に帰り、城の塔からオーレンドルフ全体を眺めては自分を奮い立たせている。

 社交の方は……、相変わらず苦手だ。友達はたくさんできたけど、気の置けない友人は今もシルヴィアとグレンだけ。
 それでも味方と思える人は社交界に多くいて、私は今、その人たちのことを信じられるように頑張っているところ。
 
 ……いや、正確には少し違うかもしれない。

 今の私は、たとえ裏切られたとしても揺るがない心を育てようとしている。
 誰かに依存することなく、自分自身を強く持つことで、他人を信じられるようになりたいのだ。

 この話をするとジェフリーはいつも、俺に依存してくれればいいのにと言う。
 いつか言っていた、私の心の穴が彼以外のもので埋まって行くのが気に食わないらしい。
 冗談だと思うけど、たまに本気の目をしてそれを言ってくるから、少し困る。
 だから私はそういう時はこう返す。

 依存していたら、あなたの隣には並べないでしょう?

 と。
 私はジェフリーと対等な立場でいたいのだ。
 でもこれを言うと、ジェフリーはとても難しい顔をして唸る。そして最後にはもっと甘えてほしいと言いながら、私に甘えてくるのだ。
 
 私は彼のそういう可愛いところが、本当に大好き。


 *


 「ミュリエル、今日の君の予定は?」

 庭で摘んできた花を寝室の花瓶に生ける私に、ジェフリーはタイを締めながら尋ねた。
 少し前まではかっちりとした服を着ることすら嫌がっていたのに、すっかり馴染んでしまって。
 私は宮廷勤めが板についてきた夫のシャツの襟元に手を伸ばした。

「曲がってます」
「ああ、悪い」
「お茶会の招待状を整理したら、今日はシルヴィアからの預かり物をグレンに届けるためにウエスタンホテルのラウンジに行きます」
「ホテル?」
「なんか、ホテルの一室にこもって仕事してるらしくて、外に出られないんですって。部下の方が外に出ないようにずーっと監視してるの」

 何の仕事をしているのかは知らないが、グレンとシルヴィアは業務提携を結んだらしい。でも二人とも忙しいので、たまに私がこうしてお使いを頼まれるのだ。

「あ、差し入れも用意しなくちゃ」
「それなら甘いものがいいんじゃないか?頭を使うと糖分欲しくなるし」
「なるほど」
「そういえば、ホテルの近くの小道を一本中に入ったところにチョコレートの専門店ができたらしいんだけど、そこのは結構美味しいらしい」
「あら、ではそれにしようかしら」
「ちゃんと護衛を連れて行くんだぞ」
「わかっていますよ。それにしてもグレンは一体、何の仕事をしているのかしら?今更だけど、ちょっと気になるかも」
「さあ?」

 私たちは顔を見合わせて首を傾げた。
 あんまり興味ないから気にしたことなかったけど、グレンの仕事ってよくわからない。
 私が知っていることといえば、定期的にホテルに閉じ込められていることと、一定の周期で目の下にすごいクマを作っていることくらいだ。
 
「シルヴィアに聞いても守秘義務からあるからって教えてくれないし。本人に聞けば答えてくれるでしょうけど、今は忙しそうだしなぁ」
「……なあ。もしかしてそのシルヴィアの預かり物って……、手のひらサイズくらいのメモの束か?」
「ええ、そうですけど」
「あー、なるほどな。今、繋がったわ。そういうことか」
「何がですか?」
「グレンの仕事の話」

 ジェフリーは私の方を見て、ニヤリと口角を上げた。

「え!?グレンは何の仕事をしているのですか!?」
「んー……。秘密かな」
「えぇ!?どうして!?」
「ミュリエルの興味が全部グレンに行ってしまいそうだから」

 いつまでも俺だけのミュリエルでいてほしい。ジェフリーはそう言って、私の額にキスを落とした。
 意味がわからない。私は服の袖で額を拭うと、上目遣いでジェフリーを睨んだ。

「そんなことを言って良いのですか?」
「どういう意味だ?」
「そんなふうに意地悪を言うなら、お弁当を持って行ってあげませんよ?」
「え、何それ」
「この後、お義母さまと一緒にお弁当を作る約束をしているんです。上手くできたらお昼頃に王宮まで届けようと思ってたのにー?」

 私は一歩後ろに下がり、くるりと彼に背を向けた。
 そして、どうしよっかなーと言ってみた。
 するとジェフリーは焦ったように私の前に回り込み、お弁当を懇願する。

「い、言うから!言うから!」
「本当?」
「ああ。でも一応、アルベルトに確認して答え合わせをしてからでもいいか?間違えていたら嘘を言うことになるし……」
は違うと思うのですけど」
「そうかもしれないけど、俺は君にはいつも誠実でありたいんだよ」

 ジェフリーは私の目をじっと見据えて、誓いの言葉みたいに力強い口調で言った。
 私は彼のその強い眼差しと言葉に、心が苦しくなる。だって彼がこうして嘘をつきたくないと言うのは私のせいだから。


 私は一時期、嘘にとても敏感になっていた時期があった。去年の冬ごろだ。
 日照時間が短く、天気が悪い日が続いていたことで心が不安定になっていたのかもしれない。
 あの時期の私は最高に面倒くさくて、ありえないほどにジェフリーのことを疑い、言葉尻を捉えて嘘つきと罵り、八つ当たりをしていた。
 ジェフリーはそんな私にずっと向き合ってくれた。
 悪くないのに謝って、私の目を見てひとつひとつ私の誤解を解いてくれて、私が納得するまで説明してくれて、私が泣き止むまでずっと抱きしめてくれた。
 春になるころにはそういうのも落ち着いたが、私はあの頃のことを思い出すと申し訳なくなる。完全に黒歴史だ。

「ジェフリー、ごめんなさい」

 私は俯き、謝罪した。
 すると、ジェフリーは私の頬を両手で包み込み、顔を上げさせた。

「何の謝罪?」
「いろいろと。去年の冬のこととか」
「ああ。あのミュリエルが超絶に可愛かった時期のことな」
「可愛くないわよ」
「可愛いよ。君は暴言を吐いてるつもりだったんだろうけど、俺からしたら語彙力が足りなさすぎて子どもの八つ当たりを見てるようで、なんだか可愛かったし。それに何より、最後には泣きながらごめんなさいって謝ってくるのが可愛かった。泣いてるミュリエルをぎゅーって抱きしめて眠れるのは役得だったし……。知ってるか?泣いてる時の君は寝る時にめちゃくちゃ俺にしがみついてくるんだぞ?すごく可愛かった」
「……最低。そんな風に思ってたの?私すごく悩んでたのに」
「ごめんって」
「もう許さないから」
「許してよ。どうしたら許してくれる?」
「…………今日は早めに帰ってきて。一緒に星を見たい」
「お安い御用だよ、お姫様」

 ジェフリーは私のそこそこに伸びた髪をひと房取ると、毛先にそっと口付けた。
 こういう仕草を恥ずかしげもなくするようになってしまったところは、可愛くない。

「毛先じゃないとこに口付けて欲しいです」
「どこがいいんですか?お姫様」
「そこは自分で考えてください、王子様」
「それは困りましたね。俺にとって都合が良いように解釈すると、家を出る時間を2時間ほど遅らせる必要があるのですが?」
「……………どこに口付けようと考えてるのよ」
「秘密」
「変態」
「変態って、何を想像したんだよ。ミュリエルのえっち」
 
 ジェフリーは悪戯っぽく笑った。
 何をって……、そっちこそ、どういうつもりで2時間とか言ったのよ!ばか!

「く~~~っ!!」
「あはは!顔が赤いぞ」
「うるさい!もう!本当にお弁当持って行ってあげないからね!?」
「ごめんごめん。悪かった。遊びすぎた」

 ジェフリーは揶揄いすぎたと逃げる私を後ろから捕まえた。
 そして少し強引に、私の希望通りのところに口付けた。
 でも、私の想定よりもずっとしつこくて長いキスに、気がつけば私はその場にへたり込んでいた。

「このくらいで我慢しとくよ」

 そう言って、ジェフリーが口の端をペロリと舐める。
 その姿はいやに官能的で、私の体温はさらに上昇した。

「……ジェフリーが可愛くなくなって、私は悲しい」
「ミュリエルはいつまでも可愛いよ」
「うるさいです!」
 
 私は近くのソファにあったクッションをジェフリーに向かって投げた。
 だがジェフリーはそれをさらりと交わしてしまい、彼にぶつかるはずだったクッションは、タイミング悪く扉を開けてしまったお義母さまの顔面に直撃した。

「…………何をしているのかしら?」

 いつになく低い声でお義母さまが問う。
 私は誤魔化すように、笑うしかなかった。

「あ、あの……。えへへ」
「何を笑っているのかしら、ミュリエル」
「いえ、笑ってません!」
「笑っていたわ。嘘をつかないの」
「はい、笑いました。すみません。お義母さま」
「淑女たるもの、物を投げてはいけません」
「はい、存じております」
「存じているのならやらないの!」
「うう。すみません」
「後で話があります。キッチンで待っていますから、支度ができたらすぐに来なさい」
「はいぃ……」

 お義母さまはクッションを拾うとそれをジェフリーに押し付け、彼をひと睨みしてすぐに部屋を出て行ってしまった。
 気まずい沈黙が私とジェフリーを包み込む。

「ジェフリーのせいだからね」
「ごめんって」
「私、今からお説教コースよ」
「だな」
「お弁当、ないかも。ごめん」
「それは、大丈夫」
「ジェフリーは帰ってからお説教コースかも」
「………」
「………」
「………俺は今日、遅くなる予定だから」
「あ!ずるい!!」

 ジェフリーはすまない、と言い残して部屋を出て行ってしまった。
 私は廊下に出て、走り去る彼に向かって裏切り者と叫んだ。だが、その叫び声がお義母さまに聞かれてしまい、お説教は2時間コースとなった。

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