【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第二章 悪魔退治

65:思うことは特にない sideアルベルト

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 ブラッドレイ侯爵夫人の死からひと月後、関係者すべての刑が確定した。
 夫人の指示で印章を偽造したルイーゼは、処刑されることが決まった。 
 印章のレプリカを作ることは大罪だ。バートン侯爵は今後のことも考え、定められた刑罰の通りに刑が執行されることを望んだらしい。
 今ここで甘い罰を下せば、貴族家の印章の価値は下がる。だからこのルイーゼに対する罰は正当なものと言えるだろう。
 たとえ彼女がブラッドレイ侯爵夫人に金で雇われただけだとしても、犯罪に手を貸した時点で犯罪者。同情の余地はないというのが裁判官の判断だった。

 一方でブラッドレイ侯爵は、最後まで賠償金の支払いを拒否していた。全ては妻のしたことで自分には一切の責任がないと言い張ったのだ。
 これにより、裁判はもつれにもつれた。
 だが息子の登場により、事態は一変した。
 彼は、大勢の大人の視線が集まる裁判で証言台に立ち、長年にわたるミュリエル・オーレンドルフへの虐待を証言した。
 わずか12歳の少年は姉を姉とは思っていないが、人として父母の行いが間違いだとちゃんと気づいていた。
 そしてその上で、
 
 『父様。僕は聖職者になります』

 後継であるはずの息子は裁判の席でそう発言した。
 彼は父に家督を、弟のラーキン男爵に譲るよう助言した。あの家は男児が三人もいるから、後継には困らないと言って。
 その強い眼差しに、ブラッドレイ侯爵はその場で崩れ落ち、茫然としながら賠償金の支払いに応じた。


 *

 
 俺はその日、ラングハイムの港まで来ていた。
 忙しなく時間が過ぎ去る港町で、雨上がりの空の下、澄んだ空気と海からの風を感じながら背伸びをするととても気持ちがいい。

「どうだ?2ヶ月ぶりのシャバの空気は」
「アルベルト!見送りに来てくれたのか?」

 船着場で首都警備隊に手枷を外されたヘレナは、俺の顔を見るなりそんなことを言った。

「ははっ」
「……?何がおかしい?」
「いや、本当にそう思うのなら頭の中お花畑すぎるだろー、と思ってさ」
「なっ!?」

 少し期待しているかのように頬を緩ませたヘレナはすぐに顔をこわばらせた。

「残念だけど監視だ。お仕事だよ。休日出勤」
「そ、そっか」
「きちんと追放されたかどうかを見届ける役目を仰せつかりましてな。ま、要するにただのお仕事だよ。ごめんな?見送りじゃなくて」
「い、いや。別に……」

 ヘレナは表情を誤魔化すように短くなった髪を整えるフリをする。
 俺はそんな彼女に一通の手紙を差し出した。

「ほい、これ」
「何?これ」
「夫人からの手紙」
「ミュリエルから?」

 まさか手紙をもらえるだなんて思っていなかったのか、ヘレナは困惑しながらも手紙の封を開けた。
 俺は内容は聞かされていない。だからどんなことが書かれていたのかはわからない。
 けれど、夫人の性格とヘレナの刑の軽さを考えれば、その内容はある程度予想がつく。

「せめて、恨み言のひとつでも書いてくれれば良かったのに」

 手紙を握り締め、ヘレナは小さく呟いた。
 いっそのこと、罵って欲しかったと。どうして私の幸せを願うのだと。そう呟く彼女の表情は後悔に満ちていた。
 
「アルベルト、ひとつ頼みがある」
「んー?何?」
「ミュリエルに、ひと言謝ってから……」
「無理に決まってるだろ。会えると思っているのか?」

 俺は思わず鼻で笑ってしまった。だってヘレナがジェフリーが予想した通りのことを言うから。

「ジェフリーからの伝言。もし俺たちの前に姿を見せたらその時は容赦なく殺す、と」
「そんな……」
「何を驚くことがある?これは当然の判断だろう。お前は自分の行動が原因で友人と妹を失ったんだよ」

 ヘレナはこれから先、妹への罪悪感を一生かかえて生きていかねばならない。
 気高く慈悲深い妹と、そうなろうとしたのになれなかった自分を比べて劣等感を感じ続けるといい。
 ジェフリーは夫人の手紙を俺に託した時、そう言っていた。あの時の彼の顔は他人には見せられないものだった。
 
「別に妹がいたことなど忘れてしまえばいいじゃないか。今日からお前は自由だ」
「その言い方はひどいよ」
「そうか?お前のしたことに比べれば全然だろ」
「……そんなに責めるなよ」
「責められるようなことをしたから牢に入っていたんだろ?そして責められるようなことをしたから、今から強制的に船に乗せらるんだ」
「そうだけど……」
「ああ、そうか。仕方がなかったって、まだ思っているのか」
「……」

 無言は肯定。こいつは反省なんてしていない。
 やはりジェフリーは来なくて正解だったな。

「ああ、そうだ。もう一つ大事なことを言い忘れていた」

 俺はパンと手を叩いて、俯くヘレナに言った。

「彼なら来ないよ」
「……え?」
「ほら、ブラッドレイ家の元庭師の、中性的な顔立ちをした綺麗な男だよ。恋人なんだろ?」

 ヘレナは俺の言葉の意味が理解できないのか、顔を上げて眉を顰めた。

「彼は事情聴取のあと、適切な治療を受けてすぐに首都を出たそうだ。『刑がどうなるかはわからないけど、もし身元引受人になるつもりがあるなら書類を書いておいて欲しい』と伝えると、『もう解放して欲しい』と言っていたそうだぞ」
「う、うそ……」
「嘘じゃないよ。あ、一応荷物だけは預かってる」

 俺は警備隊の一人に目配せをして、彼から預かった荷物をヘレナに渡した。
 ヘレナはすぐに中を確認する。そしてカバンの中から、男物のピアスと指輪を取り出して手のひらに乗せた。
 それは今彼女が身につけているものとよく似ていた。

「お揃いで買ったのか?」
「……なんで?」
「良い子だよな、彼。その上等な指輪やピアス、売れば金になるのにわざわざ返してくれるなんてさ。きっとこれから一人で生きて行くお前のことを気遣ってくれたんだよ。先立つものは多いに越したことはないし」
「ひ、ひとり?」

 ヘレナは泣きそうな顔で俺を見つめる。だがそんな顔をされても、俺に言ってやれることなんて彼の本心くらいしかない。

「ヴァレリアでの騒動の日、彼を警備隊の詰所まで連れて行ったのは俺なんだけどさ、その時に言ってたぞ。5年前、余計なことを言って逃亡に手を貸したことを後悔しているってな」

 逃亡を手助けしたことにより、自分自身も居場所を失ってしまった彼は金がないため、ヘレナについて行くしかなかった。
 軽い気持ちで言ったひと言がヘレナの人生を大きく揺るがせることになるなんて思ってなかったのだろう。
 この5年。彼はヘレナを唆した責任を取るためにずっとヘレナことが好きなフリをしていたらしい。  
 だが、

「あれだけ気にしていた妹のことをアッサリと切り捨てた姿を見て、心底幻滅したし、もしかしたら自分もあんな風に切り捨てられる日が来るかもしれないと思うと怖くなったとも言っていた」
「そ、そんなことしない!」
「知らないよ。それを俺に言われても困る」
 
 俺に言われても、それを彼に伝える手段なんてない。
 ヘレナはピアスと指輪を握り締め、その場に崩れ落ちた。
 嗚咽を漏らす彼女に思うことは……、特にない。

「じゃあな、ヘレナ。元気で」

 もう二度と会うことはないだろうけど。

 俺は警備隊の奴らに引きずられるようにして船に乗るヘレナを見届け、婚約者の待つ海辺のカフェへと向かった。



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