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第二章 悪魔退治
59:親友(1)
しおりを挟むあの夜からジェフリーは私を見かけるたびに愛を囁くようになった。耳まで赤く染め上げて、歯の浮くような台詞を言う彼に思うのはひとつだけ。
「そんなに恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに」
屋敷のエントランスで屋敷中の使用人が帰宅したジェフリーを出迎える中、彼は私の前に跪いて、大きな薔薇の花束を私に捧げた。
私はこの状況にただただ苦笑するしかできなかった。
「それ、レディ・ローズの最新作に出てくる台詞ですよね」
「勉強した」
「オリジナリティがないので心に響きません」
「でも笑ってる」
「だって可笑しくて。ふふっ。似合わなさ過ぎ」
あまりにも滑稽で、似合ってなさすぎてもう笑うしかない。
私は花束の中から一本の薔薇を取った。
「私はたくさんの薔薇を一度にもらうよりも、一本の薔薇を毎日もらう方が好き」
「では、次からはそうしよう」
「でもそもそも、薔薇はあんまり好きじゃない」
「くっ。そこから間違えていたとは。今日のところは出直そう」
「どうせなら手摘みの野花の花束がいい」
「そんなものでいいのか?」
「そんなものがいいの」
「では明日はそうしよう。もう春だしな。花はそこら中に咲いている」
ジェフリーはスクッと立ち上がり、私の頭を撫でた。
私は一歩後ろに下がり、それを拒む。
けれど彼は、何も言わない。嫌そうな顔もしない。
「……ケーキが食べたい。ロアナのチーズケーキ」
「今?」
「今」
「わかった。買ってくるよ。待ってて」
ジェフリーは薔薇の花束をメイドに預けると、踵を返してすぐに屋敷を出た。
「……この時間に行ったってもう無いわよ」
今は午後3時。ロアナのチーズはお昼の12時までにならば無いと買えない。今から並んでも買えない。
わかりきっているのに、どうして行くのよ。馬鹿みたい。
私はやっぱり苦笑するしかなかった。
この間からずっと、くだらないワガママを言ってる。
くだらないワガママを言って、彼を試している。
忙しいって知っているのに、ワガママを言って困らせようとしている。
「いっそ嫌いになってくれたらいいのに」
面倒くさいやつだと嫌ってくれたらいい。煩わしそうにしてくれたらいいのに。
それなのに、どうして彼は……。
「めっちゃ嬉しそうに買いに行かれましたねー」
薔薇の花束を預けられたメイドの一人が、花の香りを嗅ぎながら呟いた。
そう、彼は、ジェフリーは私がワガママを言うと嬉しそうに笑うのだ。
夜中に星が見たいと言って叩き起こしても、お仕事をしている時に邪魔をしても、今日みたいに急にケーキが食べたいと言っても。大事に伸ばしていた髪を、『私は短髪が好きだから切って』とお願いしても。
ジェフリーはいつも嬉しそうに顔をくしゃっとして笑って、私のワガママを受け入れる。
私はその度にしんどくなる。苦しくなる。
彼が私に尽くしてくれるたびに喜ぶ自分と、どうせ今だけだと思ってしまう自分が頭の中で喧嘩をするのだ。
そして最終的には彼の優しさを素直に受け取れない自分に嫌気がさす。
こんな私なんて、ジェフリーには相応しくない。
そう思うのに多分、いざ『もう構っていられない』と見捨てられたら、私は泣くのだろうな。
ああ、なんて自分勝手。最低。もう早く見限ってほしい。
私は手に持っていた薔薇を花束の中に戻し、部屋に戻った。
その日、やっぱりチーズケーキは手に入らなかった。
*
「へぇ。そんなことになってるんだ」
数日後、私を訪ねてきたシルヴィアに今の状況を相談すると、彼女はフッと鼻で笑った。
このそっけない態度、本当に安心する。
「いいじゃない。どうせなら沢山ワガママ言っちゃえば?今なら欲しいものなんでも手に入るんじゃない?宝石とかドレスとか」
「その発想は悪女のソレだわ」
「いいじゃない。悪女でも。本格的に悪女になればさっさと見限ってくれるかもよ?」
「……うん」
「見限って欲しくないんだ」
「そんなこと……、思ってないけど」
「嘘ね。思ってる」
シルヴィアは持っていたティーカップを置くと、向かいのソファから私の隣に移動した。
そしてジーッと私の目を見つめる。
「素直になりたいんでしょ?」
「……」
「本当はお兄様の言葉を全部信じて、その胸に飛び込みたいと思ってる」
「シ、シルヴィア……」
「でもそれをする勇気がまだない。だから何度も何度もお兄様を試してしまう。そしてそんな自分に嫌気がさして、苦しくなってる。……違う?」
「どうしてわかるの」
「親友だから」
「……珍しい。あなたが親友とか言うなんて」
「事実でしょう?」
「うん」
シルヴィアはおいで、と両手を広げた。
私は素直に彼女の胸に飛び込んだ。
「ミュリエル。言っておくけど、あたしはお兄様と違って永遠の友情なんて誓わないわよ」
「うん」
「いつかどこかで喧嘩別れするかもしれないしね」
「うん。ありがとう」
そう言ってもらえると安心する。
シルヴィアの言葉はいつも嘘がないから、安心する。
きつい態度もその裏に隠された優しさも。
「シルヴィアのは全部信じられるのになぁ」
私は無意識にポロッと溢した。
ジェフリーだけじゃなく、お義父さまもお義母さまも皆んな、今まで以上に私に優しくなった。けれど私はその優しさを信じられていない。
それなのに、シルヴィアのことは信じられる。
「どうしてだろう」
「うーん。それはあたしが貴女の家族ではなく、ただの友達だからじゃない?」
曰く、私にとって友達とは、良くも悪くも軽い存在。初めから期待なんてしていないから、軽く付き合えるらしい。
逆に過去の経験から私は“家族”というものに対しては強い憧れがある。だからこんなにも悩んでしまうそうだ。
「シルヴィアは私のこと、なんでもわかるのね」
「まあね。でも、貴女だってあたしのことよく知ってるでしょう?」
「知らないよ。実は殿下のことそれほど嫌いじゃないと思ってるってことくらいしか知らない」
「…………ちょっと待ちなさい。どこで聞いたのよ、そんな話」
「ジェフリーが教えてくれたわ」
「あんの、クソ兄貴」
シルヴィアは私に顔を見られたくないのか、私をぎゅーっと抱きしめて、また「もうもう」と怒った。
シルヴィアが殿下といい感じだというあの話は本当だったのか。
私はちょっとびっくりした。
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