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第二章 悪魔退治
45:神胎の儀(2) *sideジェフリー
しおりを挟む「ジェフリー……。一夫多妻を認めないバーティミア聖教と、この国の男子継承の原則は相性が悪いと思わないか?」
「……まあ、思わなくもないが」
この国は一部例外を除いて男子、それも男系の男子にのみ爵位を継承することが許されている。だから婿を取り、その婿に爵位を継がせることもできず、女は結婚すると必ず男児を産むことを強要される。
最近は継承問題に悩む家が多いことを理由にルールがだいぶ緩和され、男系という縛りはなくなったが、それでも嫁いだ女性が男子を産まなければわからないことに変わりはない。
「だが、男児が生まれるかどうかは誰にもわからない。生まれない時は何をしても生まれない。そうなると、多くの家で後継者がいないという事態が起こりうる。その場合はどうする?」
「離婚して新しい妻を娶るか、分家から養子を迎えいれるか、兄弟に爵位を譲るか……」
「……そうだな。だが、そのどの選択肢も取れない家もあるんだ」
国教であるバーティミア聖教は原則として離婚を良しとはしていない。状況的に分家から養子を取るのも、兄弟に爵位を譲ることも難しい場合だってある。
何より、原理原則を重んじる家は当主の息子というものに強いこだわりを持っていることも多く。
「母には、選択肢がなかったんだ」
ヘレナは神に祈るように顔の前で両手を組み、俯いた。
「私の出産以降、子供が産まれなかったブラッドレイ家は前侯爵夫人、私の祖母の一声により神胎の儀を行うことにした」
「神胎の儀?」
聞いたことのない儀式の名前に俺は首を傾げた。
ヘレナ曰く、それは神の教えを拡大解釈して行う、子どもを産むための儀式らしい。
流石に拡大解釈が過ぎると半世紀前には廃れた風習なのだが、ブラッドレイ家は教皇庁と近い関係にあることから、度々その方法で後継者を作っていたのだとか。
「教義の拡大解釈……?一体どんな儀式なんだ?」
俺の問いに、ヘレナは少し呼吸を荒くした。
そして、またしても心を落ち着けるように大きく息を吸い込み、言葉と共に弱々しく吐き出した。
「……他の女の胎を借りて、当主の子を産むという儀式だ」
「……ん?どういうことだ?」
「当主の妻の代わりに当主の子を孕む器を用意するんだよ。器に選ばれた女は当主と関係を持ち、子を産むんだ」
「いや、不倫だろ。それ」
「違うんだよ。器となる女はあくまで器だから、不倫には当たらないらしい。器の女は行為中、間違っても当主を誘惑せぬよう、顔には布を被せ、口には猿轡をはめられるんだ。そして妻は……………、妻は他の女を無理やり犯す夫の行為を、見届けねばならない」
「………………は?」
あくまでも胎を借りるだけだから、行為自体は妻としているという解釈らしい。だから妻は夫と他の女の行為を最後まで見届ける必要があるのだとか。
拡大解釈にも程がある。めちゃくちゃな話だ。俺は絶句した。
「器となる女は原則として、穢れを知らぬ処女が望ましいとされている。だがそれは必然的に年若い娘の純潔を奪うことになるわけで、普通の人は気が引けてしまう。だから儀式をするにしても、多くの場合は出産経験があり、且つ経済的に困窮している女性を選ぶんだ。見返りとして、多額の金銭を渡してな。だけど……」
ヘレナはそこまで話して、口を噤んだ。
俺はその時ふと、ブラッドレイ夫人の言葉を思い出した。
---ソレの母親は14の時に旦那さまを誘惑しました
「まさか!?」
「そのまさかだよ、ジェフリー。父は器に14の少女を指名した」
結婚はできる年齢だ。だが出産にはまだ適さない年齢でもある。だからこそ俺とミュリエルの初夜も、形だけのものだったわけで。
普通の感覚を持っているのなら、14の娘なんてまず選ばない。
「さすがの母もこれには反発したが、原則に基づくべきだと父は譲らなかった。祖母が聖教国出身だったことも影響しているのだろう。気持ち悪いことこの上ないが、父にしてみれば当然の選択だったのかもしれない。まあ、本当に気持ち悪いことこの上ないのだが」
ヘレナは父に対する嫌悪感を隠さず、ただただ気持ち悪いと吐き捨てて話を続けた。
侯爵が選んだ女はエルザという名前だった。
エルザはヘレナが産まれてすぐの頃にブラッドレイ夫人が道端で拾ってきた子どもだった。
その珍しい髪色を気に入ったという何とも貴族らしい、人を人とも思わぬような理由で拾った娘ではあったが、夫人は夫人なりにエルザを大切にしていたらしい。
ペットを可愛がるように身綺麗にしてやり、時には厳しく躾をし、一通りの仕事ができるようになったころにはお仕着せを渡して、ヘレナのお世話役兼遊び相手として常にそばにおいた。
「私は……、そんなエルザを本当の姉のように慕っていたんだ」
「ヘレナ……」
「本当に、天使みたいな人だった。常に笑顔で人の心を温かくしてくれて、何かあるとすぐに『大好き』って言う人で、悲しいことがあると誰よりも先に気づいてくれて、元気づけてくれて。母は多分、そんなエルザに癒されていたのだと思う」
ヘレナを産んでからなかなか子宝に恵まれない夫人を、前侯爵夫人は口汚く罵ったそうだ。
それは時代的なものもあったのだろう。母上も、姉上を産んでから俺が生まれるまでの間、お祖母様から酷い扱いを受けていたと聞いたことがある。
精神的に疲弊していた人にとって、エルザの存在は確かに救いだったはずだ。
「エルザは母を慕っていたんだ。たとえそれがただの気まぐれであっても、社会の底辺を生きていた自分を救ってくれた人だからと、まるで神を崇めるように母に心酔していた。…………だから神胎の儀が決まったときも、その器にエルザが選ばれた時も、エルザは母の気持ちに寄り添おうとした。母の父に対する深い愛情を知っていたから、荒れ狂う彼女に理不尽に罵倒されようと、時には鞭で打たれようとも、泣かずに耐えて見せた」
そうして彼女たちの苦行は始まった。
妊娠するまで儀式は何度か繰り返される。その度に妻はその場に立ち会う。それがこの儀式のルールだった。
やがて、妊娠がわかると器は屋敷内に設けられた祈りの部屋で過ごす。無事に子が埋めるようにと、朝昼晩と神に祈りを捧げ続けるのだそうだ。
「原則として器の世話をするのは妻の仕事だった。器はあくまでも器で、妻は胎を借りているだけ。つまり生まれる子は当主と妻の子。そんなこじつけにしか取れない解釈に従い、母はエルザの世話をした」
つわりで食べ物を受け付けない彼女にすりおろしたリンゴを与えるのも、お腹が大きくなって動きづらい彼女の入浴を手伝うのも、夫人の役目だった。
こんなの、気がおかしくなって当然だ。俺は恐ろしくて寒気がした。
「母は時には優しくエルザを気遣い、時にはエルザに暴言を浴びせた。優しく体を拭う日もあれば、たわしで体を擦る日もあった。すりおろしたリンゴを無理やり食わせる日もあれば、一口ずつ嚥下するまで待ってやる日もあった。……でもエルザはそんな扱いを受けているのに、いつも笑っていた。一番辛いのは奥様だから。自分が泣いてはいけないと、笑っていたんだ。子が産まれたら、全部終わるから。それまでの辛抱だと。だけど……」
「生まれたのが女だった、と」
「……ミュリエルの性別を知った母とエルザの絶望した顔を、私は今でも忘れられない」
ヘレナはグッと下唇を噛んだ。その表情に俺は胸が締め付けられる思いだった。
「父はそんな彼女たちに言った。また、試せばいいと」
「そんな……!」
「また?またって何!?また年若い純粋な処女の純潔を無理やり奪い、また母にあの苦行を強いるのか!?……私は父に泣いて訴えた。もう辞めてくれと。母の気持ちを、エルザの気持ちを考えろと。もちろん、当主にそんな暴言を吐いた私は祖母に厳しく折檻されたけど。でもそのおかげか、それからしばらくは儀式の話が出なくなった」
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