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第一章 お姉様の婚約者
31:巻き込まれる(8) *side ジェフリー
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俺に向けて手を差し伸べるミュリエルの後ろからは光が差していた。
ーーージェフリー、知っているか?ミュリエルは天使なんだ。
俺はふと、ヘレナのその言葉が思い出した。
確かにそうだなと思う。ミュリエルは天使だ。可愛くて優しくて、そこにいるだけで周りを幸せにする存在だ。
だが同時に、本当にそうか?とも思う。
だってこれ、どう見ても、狩りをするライオンだろう。
「こらっ!やめなさいっ!」
混乱に乗じて外へ逃げようとした令嬢を鬼の形相で追いかけるカーライル……、を追いかけるミュリエル。
壇上から飛び降り、客席の椅子を飛びこえながら、カーライルの足元に二発、銃弾を撃ち込む。ギリギリ当たらないように撃つなんてなかなかの腕前だ。
驚いた彼は足をもつれさせて転んだ。令嬢はその隙にと泣きべそをかきながら出口に向かって走り出す。駆け寄ったアルベルトは令嬢を保護した。
「くそ!くそぅ!!」
もう何をしても無駄だと悟ったのか、カーライルは持っていた短剣を自分の首元に突きつけた。
「ダメですー!!」
ミュリエルはそう叫びながら、彼の頭目掛けて飛び蹴りをくらわせた。
彼は手から短剣を落とし、泡を吹いて倒れた。
それは……、やりすぎではなかろうか。
ミュリエルは一件落着、とでも言いたげに「ふぅ」と額の汗を拭った。
「いや。ふぅ、じゃねーよ。何だよその身体能力」
か弱い女の子みたいな形をしておいて。聞いていないぞ。
「ジェフリー、お前何してんの?」
緊張の糸が途切れたのか、気絶してしまった令嬢を横抱きしたアルベルトが舞台の方に近づいてくる。何してんの、ってこっちが聞きたい。俺はたまらず目を逸らした。
だってそうだろう。
短剣を構えて舞台上で呆然とする俺の間抜けさたるや……。死にたい。
「夫人、すごいな。あんなに動けるのか」
「そういえば昔、ヘレナが言っていた。ミュリエルには護身術を叩き込んだと」
ミュリエルは可愛すぎるから、自分の身を自分で守れるようにと教えたらしい。
これも淑女教育の一環だとか何とか言っていたが、俺はこんな淑女なんて見た事がないし、見たいとは思わない。
「まあとにかく、協力ありがとう。カーライルを生け捕りにできたのは助かったよ」
「生け捕りにしたのは俺じゃないけどな」
俺はミュリエルへと視線を戻した。
ミュリエルは縄で拘束されたカーライルを説き伏せている。話し声は聞こえないが、彼はミュリエルの言葉に声を荒げて怒り、泣き、そして最後には笑った。
彼女は結構人たらしなところがあると思っていたが、まさかこんな場面でもそれを発揮するとは。
「好きな女が自分以外の男のために頑張るのは妬けるなぁ……、って顔だな」
「うるさいぞ、アルベルト」
こちら見上げて揶揄うアルベルトを俺は睨みつけた。
「お前は何もわかってない」
別に妬くとかはない。だって彼女がカーライルの心を救おうするのは俺のためだから。
5年前の俺が重なって見えているだけだから。だから放って置けない。それだけだ。
「彼女は俺のことが好きだからな」
「………………この間まで信じてすらいなかったくせに、ドヤってんなよ」
アルベルトは俺の顔を見て心底呆れたように肩をすくめた。
その態度が大変腹立たしく、俺は舞台から飛び降りて借りていた短剣をアルベルトに突きつけた。
「返す、ありがとな」
「ありがたいと思っているのなら刃先をこちらに向けるなよ、馬鹿」
アルベルトはフッと小馬鹿にしたように笑い、短剣を受け取った。
チラリと見えた彼の手はやはり、鍛錬を重ねた騎士の手で最近少し鍛え始めただけの俺のものとは大きく違っていた。
「何だよ、ジロジロ見て」
「……別に」
「そんな簡単に鍛錬の成果が出るわけないだろ、騎士をなめてんのか?」
「……まだ何も言ってないだろ」
「言わなくてもわかるさ、親友だからな。何だ?カッコいいところを見せたかったか?夫人はずっと絵本に出てくる騎士に憧れていたもんな?」
「…………」
「ははっ。かわいいねぇ?」
「殺す」
「やれるもんならやってみろ、ばーか」
アルベルトが舌を出して揶揄う。俺は堪えきれずに彼の足を踏みつけてやった。
このくらいの反撃しかできないのが悔しいし、このくらいの反撃ではびくともしないのが悔しい。
「アルベルト卿!」
「ああ、夫人。ご協力ありがとうございました」
「あの、お願いがあるのですが」
「はい、何でしょう?」
「令嬢を外へお連れする前に、先に彼を外へ連行してもらえないでしょうか」
「それは構いませんが……」
「ではよろしくお願いします」
駆け寄ってきたミュリエルはアルベルトにそう告げると深々と頭を下げた。
アルベルトは首を傾げながらも言われるがままに警備隊に指示を出す。
「どういうつもりだ?」
「別に大したことをするわけではありません。さあ、行きましょう」
「……?ああ……」
俺はよくわからぬまま、警備隊から受け取った毛布をミュリエルの肩にかけ、外へ出た。
すると、先に出ていたカーライルは大勢の野次馬の前で膝をつき、号泣していた。
彼は自分と令嬢の婚約破棄の真実と悪意を持って広められた噂により実家が没落寸前となったこと、それから数日前に両親が首を吊ったことなど、自身の身に起きた不幸を涙ながらに語りながらも、自棄になって罪を犯したことを猛省する姿を見せる。
彼を連行する警備隊は彼の背中を摩り、落ち着けようと優しく声をかけていた。
俺はやっぱりわけがわからず、ミュリエルを見る。
ミュリエルはしーっと口元で人差し指を立てて、悪い笑みを見せた。
「復讐ですよ」
「復讐?」
「そう、復讐。どうせやるなら同じことをやり返しませんと」
罪は罪。彼は罰を受けなければならない。それは揺るがざる事実。
けれど情状酌量の余地はあるとミュリエルは言う。
「劇場を出たところで、涙ながらに真実を語りつつ、自分の行いを猛省する姿を見れば、世間は見方を変えます。彼を擁護する事はできなくても、男爵家を見る目が変わるでしょう?」
カーライル子爵家に集まった同情が裁判にどう作用するのかはわからない。
だがチェスター男爵家の商売は一般市民を相手にしているものが多い。
彼らの悪行を知ることとなった市民はきっと、彼らを非難するだろう。
「……と、いうわけです」
「なるほどな」
あそこで先に傷ついた令嬢が騎士に抱かれて出てくれば、市民は彼女に同情する。あとでどれだけカーライルが泣きながら演説したところで市民の心には何も響かない。
俺はどうだ、と胸を張るミュリエルの頭を撫で回してやった。
「やめてください!髪が乱れます!」
「もう乱れてる。手遅れだろ」
さっき散々暴れたから、綺麗に結っていた髪はボサボサだ。
ミュリエルは頬を膨らませながら、いそいそと髪を手櫛で梳いた。
可愛い。むくれたか顔も可愛い。やはり訂正だ。
ミュリエルはライオンではない。天使だ。
ーーージェフリー、知っているか?ミュリエルは天使なんだ。
俺はふと、ヘレナのその言葉が思い出した。
確かにそうだなと思う。ミュリエルは天使だ。可愛くて優しくて、そこにいるだけで周りを幸せにする存在だ。
だが同時に、本当にそうか?とも思う。
だってこれ、どう見ても、狩りをするライオンだろう。
「こらっ!やめなさいっ!」
混乱に乗じて外へ逃げようとした令嬢を鬼の形相で追いかけるカーライル……、を追いかけるミュリエル。
壇上から飛び降り、客席の椅子を飛びこえながら、カーライルの足元に二発、銃弾を撃ち込む。ギリギリ当たらないように撃つなんてなかなかの腕前だ。
驚いた彼は足をもつれさせて転んだ。令嬢はその隙にと泣きべそをかきながら出口に向かって走り出す。駆け寄ったアルベルトは令嬢を保護した。
「くそ!くそぅ!!」
もう何をしても無駄だと悟ったのか、カーライルは持っていた短剣を自分の首元に突きつけた。
「ダメですー!!」
ミュリエルはそう叫びながら、彼の頭目掛けて飛び蹴りをくらわせた。
彼は手から短剣を落とし、泡を吹いて倒れた。
それは……、やりすぎではなかろうか。
ミュリエルは一件落着、とでも言いたげに「ふぅ」と額の汗を拭った。
「いや。ふぅ、じゃねーよ。何だよその身体能力」
か弱い女の子みたいな形をしておいて。聞いていないぞ。
「ジェフリー、お前何してんの?」
緊張の糸が途切れたのか、気絶してしまった令嬢を横抱きしたアルベルトが舞台の方に近づいてくる。何してんの、ってこっちが聞きたい。俺はたまらず目を逸らした。
だってそうだろう。
短剣を構えて舞台上で呆然とする俺の間抜けさたるや……。死にたい。
「夫人、すごいな。あんなに動けるのか」
「そういえば昔、ヘレナが言っていた。ミュリエルには護身術を叩き込んだと」
ミュリエルは可愛すぎるから、自分の身を自分で守れるようにと教えたらしい。
これも淑女教育の一環だとか何とか言っていたが、俺はこんな淑女なんて見た事がないし、見たいとは思わない。
「まあとにかく、協力ありがとう。カーライルを生け捕りにできたのは助かったよ」
「生け捕りにしたのは俺じゃないけどな」
俺はミュリエルへと視線を戻した。
ミュリエルは縄で拘束されたカーライルを説き伏せている。話し声は聞こえないが、彼はミュリエルの言葉に声を荒げて怒り、泣き、そして最後には笑った。
彼女は結構人たらしなところがあると思っていたが、まさかこんな場面でもそれを発揮するとは。
「好きな女が自分以外の男のために頑張るのは妬けるなぁ……、って顔だな」
「うるさいぞ、アルベルト」
こちら見上げて揶揄うアルベルトを俺は睨みつけた。
「お前は何もわかってない」
別に妬くとかはない。だって彼女がカーライルの心を救おうするのは俺のためだから。
5年前の俺が重なって見えているだけだから。だから放って置けない。それだけだ。
「彼女は俺のことが好きだからな」
「………………この間まで信じてすらいなかったくせに、ドヤってんなよ」
アルベルトは俺の顔を見て心底呆れたように肩をすくめた。
その態度が大変腹立たしく、俺は舞台から飛び降りて借りていた短剣をアルベルトに突きつけた。
「返す、ありがとな」
「ありがたいと思っているのなら刃先をこちらに向けるなよ、馬鹿」
アルベルトはフッと小馬鹿にしたように笑い、短剣を受け取った。
チラリと見えた彼の手はやはり、鍛錬を重ねた騎士の手で最近少し鍛え始めただけの俺のものとは大きく違っていた。
「何だよ、ジロジロ見て」
「……別に」
「そんな簡単に鍛錬の成果が出るわけないだろ、騎士をなめてんのか?」
「……まだ何も言ってないだろ」
「言わなくてもわかるさ、親友だからな。何だ?カッコいいところを見せたかったか?夫人はずっと絵本に出てくる騎士に憧れていたもんな?」
「…………」
「ははっ。かわいいねぇ?」
「殺す」
「やれるもんならやってみろ、ばーか」
アルベルトが舌を出して揶揄う。俺は堪えきれずに彼の足を踏みつけてやった。
このくらいの反撃しかできないのが悔しいし、このくらいの反撃ではびくともしないのが悔しい。
「アルベルト卿!」
「ああ、夫人。ご協力ありがとうございました」
「あの、お願いがあるのですが」
「はい、何でしょう?」
「令嬢を外へお連れする前に、先に彼を外へ連行してもらえないでしょうか」
「それは構いませんが……」
「ではよろしくお願いします」
駆け寄ってきたミュリエルはアルベルトにそう告げると深々と頭を下げた。
アルベルトは首を傾げながらも言われるがままに警備隊に指示を出す。
「どういうつもりだ?」
「別に大したことをするわけではありません。さあ、行きましょう」
「……?ああ……」
俺はよくわからぬまま、警備隊から受け取った毛布をミュリエルの肩にかけ、外へ出た。
すると、先に出ていたカーライルは大勢の野次馬の前で膝をつき、号泣していた。
彼は自分と令嬢の婚約破棄の真実と悪意を持って広められた噂により実家が没落寸前となったこと、それから数日前に両親が首を吊ったことなど、自身の身に起きた不幸を涙ながらに語りながらも、自棄になって罪を犯したことを猛省する姿を見せる。
彼を連行する警備隊は彼の背中を摩り、落ち着けようと優しく声をかけていた。
俺はやっぱりわけがわからず、ミュリエルを見る。
ミュリエルはしーっと口元で人差し指を立てて、悪い笑みを見せた。
「復讐ですよ」
「復讐?」
「そう、復讐。どうせやるなら同じことをやり返しませんと」
罪は罪。彼は罰を受けなければならない。それは揺るがざる事実。
けれど情状酌量の余地はあるとミュリエルは言う。
「劇場を出たところで、涙ながらに真実を語りつつ、自分の行いを猛省する姿を見れば、世間は見方を変えます。彼を擁護する事はできなくても、男爵家を見る目が変わるでしょう?」
カーライル子爵家に集まった同情が裁判にどう作用するのかはわからない。
だがチェスター男爵家の商売は一般市民を相手にしているものが多い。
彼らの悪行を知ることとなった市民はきっと、彼らを非難するだろう。
「……と、いうわけです」
「なるほどな」
あそこで先に傷ついた令嬢が騎士に抱かれて出てくれば、市民は彼女に同情する。あとでどれだけカーライルが泣きながら演説したところで市民の心には何も響かない。
俺はどうだ、と胸を張るミュリエルの頭を撫で回してやった。
「やめてください!髪が乱れます!」
「もう乱れてる。手遅れだろ」
さっき散々暴れたから、綺麗に結っていた髪はボサボサだ。
ミュリエルは頬を膨らませながら、いそいそと髪を手櫛で梳いた。
可愛い。むくれたか顔も可愛い。やはり訂正だ。
ミュリエルはライオンではない。天使だ。
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