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第一章 お姉様の婚約者
33:飢えた獣らしい
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「いかがでしょうか?お義母さま」
夜、お城に帰ってきた私はお気に入りのナイトドレスを着てお義母さまの部屋を訪れた。
それはいつかの夜と同じ、襟ぐりの大きく開いた、胸を強調するようなデザインのナイトドレス。長い丈と透けない淡い水色の生地がお気に入りのドレスだ。
私はあの夜と同じように、お義母さまの前でくるりと回ってみせた。
するとお義母さまはまたしても、何かに撃たれたような声を漏らし、苦しそうに胸を押さえた。
「お義母さま……、もしや心臓の病に……!?」
「違うから。泣きそうな顔をするのはおやめなさい」
「本当ですか?ほんとうに?」
「本当の本当に、本当だから!」
「良かったぁ」
私はほっと胸を撫で下ろした。心臓の病は怖いから。
「では、お義母さま。行ってきます!」
ピシッと足を揃え敬礼する。そんな私にお義母さまは小さくため息をこぼした。
「ガウンは?」
「実は忘れてきちゃいました」
「その感じ、忘れたんじゃなくてわざとね?」
「えへへっ。ごめんなさい。お義母さまの香りに包まれたくて、つい」
「あざとい!」
両手で顔を覆ったお義母さまはソファに倒れ込む。高級感漂う家紋の刺繍が入ったクッションが床に落ちた。
メイドはサッとそれを拾い、元に戻す。仕事が早い。
「いいわよ、持っていきなさいな。ガウンの一つや二つ!」
メイドはすぐさま、私の肩にお義母さまのガウンをかけた。やはり仕事が早い。
「ありがとうございます、お義母さま」
「…………ミュリエル」
「はい、何でしょう」
「こちらへいらっしゃい」
「え?あ、はい……」
いつもならこのタイミングで送り出すのに、珍しい。
私は言われるがままにお義母さまの隣に座った。
メイドがラベンダーのハーブティーを私に入れてくれる。
もしかして今日のことを聞いて、眠れるかどうかを心配してくれているのだろうか。もしそうなら、嬉しい。
「あの、お義母さま?」
私は黙ったままのお義母さまの顔を覗き込んだ。
「息子が、ごめんなさいね」
「え?」
「この間、あなたにお見合いをさせたのでしょう?」
「ああ、その事でしたか」
まさかお義母さまから謝られるとは思わなかった私は目を丸くした。
「お義母さまが謝られるようなことではありません」
「いいえ。わたくしの指導不足のせいであの子はあんな失礼なことをしたのだもの。謝るべきだわ」
「指導って……」
ジェフリーはもう良い大人だ。自分の行動には自分で責任を取れる年齢なのに。過保護だなぁと思う。
「結婚式の後にあの子にはよく言って聞かせたつもりだったのだけれど、あの子、何も分かっていなかったのね」
「結婚式って、5年前の私達の、ですか?」
「ええ、もちろんそうよ」
あの日。式が終わったあと、お義母さまジェフリーを呼び出してこう言ったらしい。
大切な人を失って、傷ついたのが自分だけだと思うな、と。
ヘレナが姿を消して泣きたかったのは二人とも同じ。ジェフリーが花嫁を失ったのと同じように、ミュリエルも大事な姉を失ったのだと。
でも、それでもミュリエルは泣かずに、気丈に振る舞い、オーレンドルフ家へ嫁いできてくれたのだと。
国のために、両家のために。何をよりも、大好きな兄様のために……。
「あなたが気丈に振る舞っているのに、あなたよりも大人であるはずのジェフリーがずっと頼りない顔をしているものだから、頬を引っ叩いてやったの。往復で」
「往復……」
往復はやり過ぎだろう。花嫁に逃げられて傷心の息子になんという仕打ち。
「そしてもし、ジェフリーがその覚悟に見合う振る舞いをしないのなら、あなたとは離婚させるとも言っていたの」
「お義母さま……」
「あの子、あの時はちゃんと『わかってる』って言っていたのだけれど……。分かってなかったみたいね」
お義母さまはそう言うと、私の手に自分の手を重ねて優しい包み込んだ。
「もう愛想が尽きたと思うなら離婚しても構わないのよ。あなたの今後の人生はわたくしが責任を持って面倒を見るから」
「お義母さま……」
「あの子の葛藤も分かってはいるのよ。大切にしていた妹に恋愛感情を抱くなんて困惑しても仕方がないもの。……でも流石に勝手に離婚話を進めるのは違うわよね」
「そう、ですね」
「だから、あ、愛想が尽きたと言うのならそれでも構わないの」
「はい」
「……でも一つだけ言わせてちょうだい。あの子、本当は優しい子なのよ。優しい子なのだけど、ちょっと不器用でヘタレなだけなの。カッコいいわけでもないし、性格だって暗いし……、優しい子なのだけどね。優しい………、ああ、どうしましょう。息子を褒めるのに『優しい』しか出てこないなんて思わなかったわ」
息子をアピールしたいのにうまく言葉が出てこないお義母さま。彼女の表情は崖っぷちに立たされた処刑待ちの罪人のように見えた。
離婚するつもりなんてないのに。あまりに差し迫った様子で話すものだから私は思わず笑ってしまった。
「ふふふっ」
「な、何がおかしいのよ」
「お義母さまは私が義娘では嫌ですか?」
「そんなことあるわけないでしょう!」
「ああ、良かった」
ならば何の問題もない。
「離婚なんてしたくありません」
「ミュリエル……」
「私、大好きなんです。ジェフリーのことも、お義母さまのことも、お父様のことも。本当に愛しているのです」
私はこの家に来て、たくさんの愛をもらった。
まさか自分がこんな風に大切にされて、愛情を注いでもらえるなんて思わなかった。
周囲は私のことを哀れな子だと言うが、やっぱり私はそうは思わない。
私はオーレンドルフの嫁になれてとても幸せだ。
「お義母さま、だーいすき」
私がそう言うと、お義母さまはとても険しい顔をして私をギュッと抱きしめた。
表情と行動が合ってないところ、本当にジェフリーにそっくりだ。
「お義母さま、私、今から夜這いに行ってきます」
「夜這いって。言い方が良くないわ」
「何かアドバイスはありますか」
「そうね、とりあえずは……」
嫌なら嫌とはっきり言うこと。
間違っても「優しくして」なんて言わないこと。
上目遣いはしないこと。
お義母さまはグレンとは真逆のアドバイスをした。
「お義母さま。この間とは言っていることが違うと思うのですが」
「状況が大きく変わりましたから。今のジェフリーは謂わば野に放たれた飢えた獣なのです。以前とは違うのです」
「獣て」
「いいこと、ミュリエル。飢えた獣は本当に恐ろしいのよ。こちらが隙を見せれば骨の髄まで貪られるわ」
「私、今から何と戦いに行くのでしょう」
「安易に男の劣情を煽ってはいけません。決して。わかりましたね。ヘタをすると死にます」
「まさかの死」
そんなに恐ろしいものなのか。私は少し怖くなった。
夜、お城に帰ってきた私はお気に入りのナイトドレスを着てお義母さまの部屋を訪れた。
それはいつかの夜と同じ、襟ぐりの大きく開いた、胸を強調するようなデザインのナイトドレス。長い丈と透けない淡い水色の生地がお気に入りのドレスだ。
私はあの夜と同じように、お義母さまの前でくるりと回ってみせた。
するとお義母さまはまたしても、何かに撃たれたような声を漏らし、苦しそうに胸を押さえた。
「お義母さま……、もしや心臓の病に……!?」
「違うから。泣きそうな顔をするのはおやめなさい」
「本当ですか?ほんとうに?」
「本当の本当に、本当だから!」
「良かったぁ」
私はほっと胸を撫で下ろした。心臓の病は怖いから。
「では、お義母さま。行ってきます!」
ピシッと足を揃え敬礼する。そんな私にお義母さまは小さくため息をこぼした。
「ガウンは?」
「実は忘れてきちゃいました」
「その感じ、忘れたんじゃなくてわざとね?」
「えへへっ。ごめんなさい。お義母さまの香りに包まれたくて、つい」
「あざとい!」
両手で顔を覆ったお義母さまはソファに倒れ込む。高級感漂う家紋の刺繍が入ったクッションが床に落ちた。
メイドはサッとそれを拾い、元に戻す。仕事が早い。
「いいわよ、持っていきなさいな。ガウンの一つや二つ!」
メイドはすぐさま、私の肩にお義母さまのガウンをかけた。やはり仕事が早い。
「ありがとうございます、お義母さま」
「…………ミュリエル」
「はい、何でしょう」
「こちらへいらっしゃい」
「え?あ、はい……」
いつもならこのタイミングで送り出すのに、珍しい。
私は言われるがままにお義母さまの隣に座った。
メイドがラベンダーのハーブティーを私に入れてくれる。
もしかして今日のことを聞いて、眠れるかどうかを心配してくれているのだろうか。もしそうなら、嬉しい。
「あの、お義母さま?」
私は黙ったままのお義母さまの顔を覗き込んだ。
「息子が、ごめんなさいね」
「え?」
「この間、あなたにお見合いをさせたのでしょう?」
「ああ、その事でしたか」
まさかお義母さまから謝られるとは思わなかった私は目を丸くした。
「お義母さまが謝られるようなことではありません」
「いいえ。わたくしの指導不足のせいであの子はあんな失礼なことをしたのだもの。謝るべきだわ」
「指導って……」
ジェフリーはもう良い大人だ。自分の行動には自分で責任を取れる年齢なのに。過保護だなぁと思う。
「結婚式の後にあの子にはよく言って聞かせたつもりだったのだけれど、あの子、何も分かっていなかったのね」
「結婚式って、5年前の私達の、ですか?」
「ええ、もちろんそうよ」
あの日。式が終わったあと、お義母さまジェフリーを呼び出してこう言ったらしい。
大切な人を失って、傷ついたのが自分だけだと思うな、と。
ヘレナが姿を消して泣きたかったのは二人とも同じ。ジェフリーが花嫁を失ったのと同じように、ミュリエルも大事な姉を失ったのだと。
でも、それでもミュリエルは泣かずに、気丈に振る舞い、オーレンドルフ家へ嫁いできてくれたのだと。
国のために、両家のために。何をよりも、大好きな兄様のために……。
「あなたが気丈に振る舞っているのに、あなたよりも大人であるはずのジェフリーがずっと頼りない顔をしているものだから、頬を引っ叩いてやったの。往復で」
「往復……」
往復はやり過ぎだろう。花嫁に逃げられて傷心の息子になんという仕打ち。
「そしてもし、ジェフリーがその覚悟に見合う振る舞いをしないのなら、あなたとは離婚させるとも言っていたの」
「お義母さま……」
「あの子、あの時はちゃんと『わかってる』って言っていたのだけれど……。分かってなかったみたいね」
お義母さまはそう言うと、私の手に自分の手を重ねて優しい包み込んだ。
「もう愛想が尽きたと思うなら離婚しても構わないのよ。あなたの今後の人生はわたくしが責任を持って面倒を見るから」
「お義母さま……」
「あの子の葛藤も分かってはいるのよ。大切にしていた妹に恋愛感情を抱くなんて困惑しても仕方がないもの。……でも流石に勝手に離婚話を進めるのは違うわよね」
「そう、ですね」
「だから、あ、愛想が尽きたと言うのならそれでも構わないの」
「はい」
「……でも一つだけ言わせてちょうだい。あの子、本当は優しい子なのよ。優しい子なのだけど、ちょっと不器用でヘタレなだけなの。カッコいいわけでもないし、性格だって暗いし……、優しい子なのだけどね。優しい………、ああ、どうしましょう。息子を褒めるのに『優しい』しか出てこないなんて思わなかったわ」
息子をアピールしたいのにうまく言葉が出てこないお義母さま。彼女の表情は崖っぷちに立たされた処刑待ちの罪人のように見えた。
離婚するつもりなんてないのに。あまりに差し迫った様子で話すものだから私は思わず笑ってしまった。
「ふふふっ」
「な、何がおかしいのよ」
「お義母さまは私が義娘では嫌ですか?」
「そんなことあるわけないでしょう!」
「ああ、良かった」
ならば何の問題もない。
「離婚なんてしたくありません」
「ミュリエル……」
「私、大好きなんです。ジェフリーのことも、お義母さまのことも、お父様のことも。本当に愛しているのです」
私はこの家に来て、たくさんの愛をもらった。
まさか自分がこんな風に大切にされて、愛情を注いでもらえるなんて思わなかった。
周囲は私のことを哀れな子だと言うが、やっぱり私はそうは思わない。
私はオーレンドルフの嫁になれてとても幸せだ。
「お義母さま、だーいすき」
私がそう言うと、お義母さまはとても険しい顔をして私をギュッと抱きしめた。
表情と行動が合ってないところ、本当にジェフリーにそっくりだ。
「お義母さま、私、今から夜這いに行ってきます」
「夜這いって。言い方が良くないわ」
「何かアドバイスはありますか」
「そうね、とりあえずは……」
嫌なら嫌とはっきり言うこと。
間違っても「優しくして」なんて言わないこと。
上目遣いはしないこと。
お義母さまはグレンとは真逆のアドバイスをした。
「お義母さま。この間とは言っていることが違うと思うのですが」
「状況が大きく変わりましたから。今のジェフリーは謂わば野に放たれた飢えた獣なのです。以前とは違うのです」
「獣て」
「いいこと、ミュリエル。飢えた獣は本当に恐ろしいのよ。こちらが隙を見せれば骨の髄まで貪られるわ」
「私、今から何と戦いに行くのでしょう」
「安易に男の劣情を煽ってはいけません。決して。わかりましたね。ヘタをすると死にます」
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