【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第一章 お姉様の婚約者

29:巻き込まれる(6)

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「ジェフリー……、私、どうやってここに辿り着いたのかわかりません」
「俺がわかっているから大丈夫だ」
「今動くのは危険ではないのですか?」
「じきに警備隊が突入してくるだろうから、その時にここにいてはかえって危ない」

 ジェフリーは早く行こうと私の手を引く。でも私の足はなかなか前に進まない。
 ジェフリーは不思議そうに俯く私の顔を覗き込んだ。

「ミュリエル?」

 優しい声。私はゆっくりと顔を上げた。

「ど、どうにか出来ないでしょうか……」
「どうにかって?」
「助けてあげられないのでしょうか」
「令嬢たちも連れて一緒に逃げるということか?悪いがそれは無理だ。俺は今、拳銃を一丁しか持っていない。ここにいる奴らを制圧して彼女を救い出すなんて不可能だし……」
「いえ、彼女のことではなく……」
「……?」
「………………彼、カーライル子爵令息のことです」

 私の言葉にジェフリーの呼吸は一瞬止まった。
 そして少し間をおいて、フッと悲しげに苦笑をもらした。
 
「……それは無理だよ」

 彼を救うことはできない。
 彼はすでに罪を犯した。どんな理由があろうとも罪は罪だ。その事実は変えられない。 
 彼に残された選択肢は二つ。このままここで死ぬか、もしくは生きて罪を償うかだ。
 だが綺麗じゃないこの世界で後者の選択をすることは、生き地獄を味わい続けるも同然。
  
「彼に生きるように説得したとして何になる?彼の行く末に光なんてない」

 時に、死は救いとなることがあるとジェフリーは言う。
 私もそう思う。私も過去、何度もその救いを求めた記憶があるから。

「彼のその先の人生に責任を持てないなら、安易に救いの手を差し伸べるべきではないと俺は思うよ」
 
 また、ジェフリーが言う。正論だ。
 私だってそう思う。私も過去、差し伸べられた手をとって、救われて、でもその手を離されて絶望した経験があるから。

 彼を救いたいなど、ひどく傲慢な考えだ。彼の人生に責任を持てない私が彼に未来を示すことは単なる自己満足。
 わかっている。わかっているけれど。
 
「……ジェフリーは先に行っててください」

 私はジェフリーの目をジッと見据えた。
 ジェフリーはグッと眉根を寄せる。

「……できるわけないだろう」
「銃を貸していただければ大丈夫です」
「銃なんて触ったことないくせに」
「一度だけ、姉様に教えてもらったことがあるので大丈夫です」
「嘘をつくな。大丈夫なわけあるか」
「……ジェフリー、お願い」
「……」
「ジェフリー……」
「……」
「ジェフリー……?」
「……ああ、もう!」

 私のお願いにしばらく悩んだジェフリーは苛立ったように頭を掻きむしって、ぶすくれた顔で私を見下ろした。
 その顔、ちょっと懐かしい。

「この、お人よしが」

 ジェフリーは小さく呟くと、私に顔を近づける。そして本当に軽く、羽根よりも軽々しく、私に口付けた。
 一瞬何が起きたのかわからなかった。私は目を見開いてジェフリーを見上げる。
 すると彼はまだぶすくれた顔をして、もう一度私に口付けた。

「死ぬかもしれんからな」

 このままキスすらもできずに死んだら流石に亡霊になりそうだ、と彼は言う。
 人生で二度目のキスは、何ともムードもへったくれもないものとなった。

「………」
「……な、何か反応してくれよ。恥ずかしいだろう」
「恥ずかしいならやらなきゃいいのに」
「うるせぇ」

 ジェフリーは子どもみたいに、フンッとそっぽを向いた。
 それはちょっとずるいのではないだろうか。可愛い。
 私はジッと赤くなる彼の顔を見つめた。

「……おい、そんなに見つめるな」
「見つめてないです」
「見つめてるだろう。だから目が合うんだ。……あんまり見るなら………、もう一回するぞ」
「どうぞ」
「……え」
「お前らさぁ、状況わかってる?」

 ため息混じりの声と共に、突然、視界を男の手で遮られた。
 驚いた私は、私たちの間に入り込んできた手を指先から肘、腕へと声がする方へ視線でなぞる。
 するとそこには、呆れ顔のアルベルト卿がいた。

「ア……」
「アルベルト!?」

 これまで小声で話していたジェフリーは、ここにきてはじめて大きな声を出した。
 先ほどまで男と女の叫び声が響いていたはシンと静まり返る。
 アルベルト卿は慌ててジェフリーの口を抑えたが、多分無意味だろう。もう遅い。

「誰かいるのかっ!?」

 カーライル子爵令息の声が響いた。
 武装集団のボスらしき男が、部下に目配せをすると部下は何も言わずに頷き、こちらへ向かって歩き出した。
 心臓が早鐘を打つ。冷や汗が止まらない。

「ジェフリーのせいだからな」
「急に現れたアルベルトが悪い」
「いや、この状況でいちゃついてたお前が悪い」
「あの、喧嘩してる場合ではないかと……。どうしましょうか、これ」
「はあ……、もうこうなったら仕方ない」

 アルベルト卿は何度もため息をつきながら、あたりをキョロキョロと見渡した。
 そして今いる柱の影から1番近い通路を指差した。あの通路が何かはわからないが、そこが私が通ってきた関係者通路ではないことは確かだった。

「合図したら全力疾走であの通路まで走れ」
「あの通路は何だ?」
「知らん。この劇場、複雑すぎてどこに出るのかまるで見当がつかない。だがこのままここにいるのは1番良くない」
「まあ、そうだな」
「ジェフリー、夫人を守れよ。俺にはお前ら2人を守りながら戦うなんて器用な真似できないからな。自分たちで逃げてくれ」
「アルベルト卿は?」
「とりあえず奴らの相手をしつつ、観客用の出入り口を開けて外にいる警備隊に突入を促します。……本当は突入前にどうにか令嬢の身の安全の確保だけしたかったけど、仕方がない」

 ここはもう、彼女が混乱に乗じて自ら逃げてくれる事を祈るしかない。
 
「さあ、夫人も靴を脱いでください。走りやすいように」
「わ、わかりました」
「ジェフリーは一応コレ、持っておけ」
「これは、短剣?」
「騎士の俺から剣を奪はなかったことは褒めてやるが、今のお前が扱えるのはせいぜいそれくらいだ」
「馬鹿にしてるだろう」
「ああ、馬鹿にしてるだろう。だって馬鹿だから」

 妻を助けるためとはいえ、殴り合いの喧嘩さえした事がない坊ちゃんが単身で武装集団が立てこもる場所に向かうなど、馬鹿としか言いようがない。アルベルトは子どものように「ばーかばーか」と繰り返した。
 だが正論すぎるのでジェフリーは何も言い返せない。
 
「ほら。じゃあ、行きますよ……3、2、1。走れ!!」

 私たちはアルベルト卿の合図とともに全力疾走で通路まで向かった。



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