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第一章 お姉様の婚約者
28:巻き込まれる(5)
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「僕は君を愛していたのに!愛しているからこそ、あんなにも君に尽くしてきたのに!それなのに君はこんな男に絆されて!」
「ぐあっ!」
「やめて!お願い、彼を殺さないでっ!!」
「結婚式の準備もしていたのに、あとひと月だったのに!」
「ぐふっ!」
「やめて!やめてぇ!!」
「何故僕を捨てた!?君のせいで何かもお終いだ!」
舞台上には痛ぶる男と痛ぶられる男。客席にはやめてくれと泣き叫ぶ女。
流れる血は血糊ではなく、握られた剣は模造品ではない。
リアリティがありすぎる悲劇は、泣くも笑うも出来ないものであると、私はこの時初めて知った。
仲間であるはずの武装集団の男たちでさえ、ちょっと引き気味に壇上を見上げている。本物の修羅場は怖い。
「壇上の男がカーライル子爵の息子。彼が痛ぶっている手足を拘束された男がチェスター男爵家の婿だ。そして客席で剣を突きつけられて座っている女性が……」
「例のチェスター男爵令嬢だと?」
「ああ、そうだ」
ジェフリーは私の耳元で知り得た情報を教えてくれる。
顔が近いのも、話す声が吐息混じりなのも状況的に仕方がないのに、ドキドキする。
なんて恋愛脳なんだ。私は自分の頭を殴りたい。
「ど、動機は明白ですが、また派手にやらかしたものですね」
「自暴自棄になっているのだろう。彼らの婚約破棄からしばらく経つが、婚約破棄とこの劇のせいでカーライル家は没落寸前だからな」
「あらまあ……」
哀れだ。やっていることはただの犯罪で許されることではないが、流石に同情を禁じ得ない。
私はチラリとジェフリーの方を見た。ジェフリーは悲痛な顔で舞台上の彼を見つめていた。
やはり、自分と重なる部分があるからだろうか。もしかするとジェフリーも、私と同じように彼を哀れに思っているのかもしれない。
「俺は幸運だった」
「……幸運?」
「俺には君がいたから、耐えられたんだと思う。そうじゃなければきっと、俺も暴れていたよ」
結婚式を目前にして花嫁に逃げられた男の末路は悲惨だ。プライドは深く傷つけられ、社交界の笑い者にされる。その点、自分は身代わりを立てることで無事に結婚することが出来たと、ジェフリーは言う。
けれど、私は知っている。この人はたとえ自分がカーライル子爵の息子と同じような状況になったとしても、彼のような行動は取らない。これは絶対だ。
だってこの人は姉様が逃げたと知っても追いかけなかった。
彼女が決めたことなら、と姉様を探すこともなく。唇を真一文字に結び、ひとりであの絶望と屈辱に耐えた。
そんな人があそこで暴れる彼と同じなわけない。
私はジェフリーの手をギュッと握った。
「……彼はこのあとどうするつもりなのでしょう」
「おそらく、自死するつもりなのだろう。令嬢を殺して自分も死ぬつもりだと思う」
「そんな……」
「こんなことをしでかしたんだ。この先、生きていても良いことなんてない」
今回事件を起こしたことで、ただの噂話だった彼の悪評が現実味を帯びた。
判例通りなら令嬢を殺しさえしなければ極刑になることはないが、彼の場合はそれもどう転ぶかわからない。
男爵家のことだ。裁判までに色々とばら撒いて工作するだろう。そうなれば、元々悪評の広まっている彼が裁判で何を語ろうとも妄言にしか聞こえなくなる。
「流石に極刑はないと思うが、監獄送りは確実。何年で出てこられるかわからないが、出てきたところでまともな人生を送れるはずもない」
そういうのも全て覚悟の上で彼は今、ああしている。家門の名誉も自身の矜持も、その命もさえも全て投げ出して。全てを失ってでも、復讐がしたいのだ。あの女に、あの男に。
「愛していたのだろうな……」
ジェフリーはポツリとつぶやいた。
「学園時代の彼を知っているんだ。二つ下の後輩で委員会が同じだったから」
学生時代、彼は真面目で優しい男だった。派手な女生徒からすれば面白みのないつまらない男に見えたのだろうが、ジェフリーは真面目で誠実な彼に好感を持っていたらしい。
「俺が卒業する年の学園主催のダンスパーティで、彼はあの令嬢に交際を申し込んだ」
みんなが見ている前で、彼は顔を真っ赤にしながら令嬢の前にひざまづいて、大きな薔薇の花束を差し出した。
ありきたりな、ベタな求婚だ。けれど令嬢にはそのベタな告白が刺さったらしい。彼女は薔薇の花束を受け取り、笑顔で『はい』と答えた。
嬉しさのあまりに号泣する彼と、そんな彼を見てあたふたする彼女。
周りはその光景を微笑ましく見ていた。
ジェフリーは暴れ狂う彼を懐かしそうに見つめながら、そう語る。
「誰が見てもお似合いのカップルだったんだ。彼は深くあの令嬢を愛していたし、彼女も彼を愛していた。少なくとも俺にはそう見えた」
あの時はまさかこんなことになるなんて思ってもいなかったのだろう。
数年間、大切に大切に育んできた愛が、たった一度会っただけの男に奪われるなんて思ってもいなかったのだろう。
ただ少し、珍しいから。新鮮だから。そんなくだらない理由で最愛の人を奪われた彼の絶望は計り知れない。
「哀れだよ、本当に」
きっと彼は全てを失って地獄へ堕ちる。
愛も地位も名誉も、家族も友も、自分の心さえも失って、地獄に堕ちる。彼女と共に。
「……さあ、ミュリエル。逃げよう。来た道を戻れば外へ出られるから」
ジェフリーはグッと唇を噛み締め、私の手を握り返した。
そう、私たちはここから出なければならない。
武装集団が舞台上の光景に気を取られている今がチャンスだ。
私には壇上の彼が、客席の彼女がどうなろうともそれを見届ける義務などないし、そもそも彼らと知り合いですらないのだから何も気にする必要がない。
ーーーでも、
ふと、5年前のジェフリーの姿を思い出してしまった。
私の前では気丈に振る舞いながらも、ひとりになると虚ろな目をしていたあの姿を。
1人きりで温室に篭り、姉様が戯れに好きだと言った花の世話をしていたあの姿を。
そして時折、声も出さずに泣いていたあの姿を。
「ぐあっ!」
「やめて!お願い、彼を殺さないでっ!!」
「結婚式の準備もしていたのに、あとひと月だったのに!」
「ぐふっ!」
「やめて!やめてぇ!!」
「何故僕を捨てた!?君のせいで何かもお終いだ!」
舞台上には痛ぶる男と痛ぶられる男。客席にはやめてくれと泣き叫ぶ女。
流れる血は血糊ではなく、握られた剣は模造品ではない。
リアリティがありすぎる悲劇は、泣くも笑うも出来ないものであると、私はこの時初めて知った。
仲間であるはずの武装集団の男たちでさえ、ちょっと引き気味に壇上を見上げている。本物の修羅場は怖い。
「壇上の男がカーライル子爵の息子。彼が痛ぶっている手足を拘束された男がチェスター男爵家の婿だ。そして客席で剣を突きつけられて座っている女性が……」
「例のチェスター男爵令嬢だと?」
「ああ、そうだ」
ジェフリーは私の耳元で知り得た情報を教えてくれる。
顔が近いのも、話す声が吐息混じりなのも状況的に仕方がないのに、ドキドキする。
なんて恋愛脳なんだ。私は自分の頭を殴りたい。
「ど、動機は明白ですが、また派手にやらかしたものですね」
「自暴自棄になっているのだろう。彼らの婚約破棄からしばらく経つが、婚約破棄とこの劇のせいでカーライル家は没落寸前だからな」
「あらまあ……」
哀れだ。やっていることはただの犯罪で許されることではないが、流石に同情を禁じ得ない。
私はチラリとジェフリーの方を見た。ジェフリーは悲痛な顔で舞台上の彼を見つめていた。
やはり、自分と重なる部分があるからだろうか。もしかするとジェフリーも、私と同じように彼を哀れに思っているのかもしれない。
「俺は幸運だった」
「……幸運?」
「俺には君がいたから、耐えられたんだと思う。そうじゃなければきっと、俺も暴れていたよ」
結婚式を目前にして花嫁に逃げられた男の末路は悲惨だ。プライドは深く傷つけられ、社交界の笑い者にされる。その点、自分は身代わりを立てることで無事に結婚することが出来たと、ジェフリーは言う。
けれど、私は知っている。この人はたとえ自分がカーライル子爵の息子と同じような状況になったとしても、彼のような行動は取らない。これは絶対だ。
だってこの人は姉様が逃げたと知っても追いかけなかった。
彼女が決めたことなら、と姉様を探すこともなく。唇を真一文字に結び、ひとりであの絶望と屈辱に耐えた。
そんな人があそこで暴れる彼と同じなわけない。
私はジェフリーの手をギュッと握った。
「……彼はこのあとどうするつもりなのでしょう」
「おそらく、自死するつもりなのだろう。令嬢を殺して自分も死ぬつもりだと思う」
「そんな……」
「こんなことをしでかしたんだ。この先、生きていても良いことなんてない」
今回事件を起こしたことで、ただの噂話だった彼の悪評が現実味を帯びた。
判例通りなら令嬢を殺しさえしなければ極刑になることはないが、彼の場合はそれもどう転ぶかわからない。
男爵家のことだ。裁判までに色々とばら撒いて工作するだろう。そうなれば、元々悪評の広まっている彼が裁判で何を語ろうとも妄言にしか聞こえなくなる。
「流石に極刑はないと思うが、監獄送りは確実。何年で出てこられるかわからないが、出てきたところでまともな人生を送れるはずもない」
そういうのも全て覚悟の上で彼は今、ああしている。家門の名誉も自身の矜持も、その命もさえも全て投げ出して。全てを失ってでも、復讐がしたいのだ。あの女に、あの男に。
「愛していたのだろうな……」
ジェフリーはポツリとつぶやいた。
「学園時代の彼を知っているんだ。二つ下の後輩で委員会が同じだったから」
学生時代、彼は真面目で優しい男だった。派手な女生徒からすれば面白みのないつまらない男に見えたのだろうが、ジェフリーは真面目で誠実な彼に好感を持っていたらしい。
「俺が卒業する年の学園主催のダンスパーティで、彼はあの令嬢に交際を申し込んだ」
みんなが見ている前で、彼は顔を真っ赤にしながら令嬢の前にひざまづいて、大きな薔薇の花束を差し出した。
ありきたりな、ベタな求婚だ。けれど令嬢にはそのベタな告白が刺さったらしい。彼女は薔薇の花束を受け取り、笑顔で『はい』と答えた。
嬉しさのあまりに号泣する彼と、そんな彼を見てあたふたする彼女。
周りはその光景を微笑ましく見ていた。
ジェフリーは暴れ狂う彼を懐かしそうに見つめながら、そう語る。
「誰が見てもお似合いのカップルだったんだ。彼は深くあの令嬢を愛していたし、彼女も彼を愛していた。少なくとも俺にはそう見えた」
あの時はまさかこんなことになるなんて思ってもいなかったのだろう。
数年間、大切に大切に育んできた愛が、たった一度会っただけの男に奪われるなんて思ってもいなかったのだろう。
ただ少し、珍しいから。新鮮だから。そんなくだらない理由で最愛の人を奪われた彼の絶望は計り知れない。
「哀れだよ、本当に」
きっと彼は全てを失って地獄へ堕ちる。
愛も地位も名誉も、家族も友も、自分の心さえも失って、地獄に堕ちる。彼女と共に。
「……さあ、ミュリエル。逃げよう。来た道を戻れば外へ出られるから」
ジェフリーはグッと唇を噛み締め、私の手を握り返した。
そう、私たちはここから出なければならない。
武装集団が舞台上の光景に気を取られている今がチャンスだ。
私には壇上の彼が、客席の彼女がどうなろうともそれを見届ける義務などないし、そもそも彼らと知り合いですらないのだから何も気にする必要がない。
ーーーでも、
ふと、5年前のジェフリーの姿を思い出してしまった。
私の前では気丈に振る舞いながらも、ひとりになると虚ろな目をしていたあの姿を。
1人きりで温室に篭り、姉様が戯れに好きだと言った花の世話をしていたあの姿を。
そして時折、声も出さずに泣いていたあの姿を。
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