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第一章 お姉様の婚約者
24:巻き込まれる(1)
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観劇した舞台は、最近流行りの身分差の恋を描いた物語だった。
ヒロインは没落寸前の貴族令嬢。借金を肩代わりする見返りとして無理矢理に婚約を結ばされた彼女は、横暴な婚約者から酷い扱いを受けていた。
そんな中、ふと街に出たヒロインはそこで運命の相手と出会う。
お相手はチンピラに絡まれているところを助けてくれたとある工房の青年。
ヒロインには彼の煤まみれの手も日焼けした肌も、筋肉質な体や粗雑な言葉遣い、汗の匂いさえも新鮮に映ったようで……、彼女はいとも簡単に恋に落ちた。
そこからは勧善懲悪の物語で、2人で協力して婚約者とその家の悪事を暴き、最終的に婚約者たちは罰を受けることになる。
結末としてはヒロインは無事に婚約を破棄することができ、ヒロインの父は青年に感謝し、彼と娘の婚約を許可して大団円。
よくある物語だ。
舞台の幕が降り、役者たちが緞帳の前で深々と頭を下げる。
聴衆はいっせいに立ち上がって拍手喝采した。
私も2階のボックス席から彼らの演技を讃えて、拍手を送った。
「これ、実話を元にしたお話らしいですよ」
鳴り止まない拍手の中、グレンが私の耳元で話す。
私は軽くお尻を浮かせて、半人分ほど横にずれた。
「……他意はありませんよ。単純に聞こえないかと思って近づいただけですので」
「自意識過剰とお思いですか?」
「いえ、大変良い心がけです」
グレンは満足げに微笑んだ。
上から目線のその評価は大変不愉快である。
「近づかずとも聞こえますので」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
「それで、実話を元にしたとは?」
「ああ。実はこれ、チェスター男爵家のご令嬢のことではないかと言われているのです」
グレン曰く、チェスター男爵の一人娘は平民の男と恋に落ち、一方的に婚約を破棄した上、その平民を男爵家に迎え入れたらしい。
一部の貴族からはこの劇はチェスター男爵が自分の娘の行いを正当化するため、金に物を言わせ作らせたのではないかと言われているそうだ。
「憶測が憶測を呼び、令嬢と婚約していたカーライル子爵家には非難が殺到しているのだとか。ご子息は悪評が広まり、今後結婚できるのかすら怪しいらしいです」
「えぐい……」
男爵家、やることがエグすぎる。カーライル家も可哀想に。
……しかし。
「聞きたくなかったです」
役者も物語も素晴らしかったのに、この豆知識で全てが台無しだ。私はグレンを半眼で睨んだ。
「でも気になりません?」
「何がですか?」
「なぜバートン嬢のお父君はこの舞台を婚約者と見てくるよう言ったのでしょう」
「……確かに」
望まぬ婚約と、性格の悪い婚約者。
結局ヒロインは婚約者ではなく平民の男と結ばれる結末で、シルヴィアとオズウェル殿下の関係性を考えると、婚約して間もない今の時期に見るべき作品ではない気もする。
何か別の意図があったのだろうか。例えばそう、『娘を大事にしないと、お前もこうなるぞ』的な警告とか……。
………うん。ないな。
私は自分の兄であるバートン侯爵を『デリカシーが無さすぎて同じ人類とは思えない』と表現していたお義母さまの顔を思い出した。
「バートン侯爵の性格を考えれば、何も考えずに渡したという線が濃厚かと思います。憶測ですけど」
「何だ、そうなのか」
「ん?何だか残念そうですね?」
「そんなことないですよ。仕事柄、殿下とバートン嬢の婚約の行方が気になるだけです」
「仕事柄?」
「まあでも、どちらにしても殿下とバートン嬢がこの舞台を見ていたら大変気まずかったでしょうね。ははは」
「……?そう、ですね?」
今、話を流された気がするが気のせいだろうか。いや、多分気のせいではない。
そういえば、グレンは何の仕事をしているんだろう。
気になった私はグレンに話しを振ろうとした。
その時だった。
一階の舞台下あたりから女性の悲鳴が聞こえた。
私とグレンはボックス席から顔を覗かせ、下を見る。
するとそこには銃や剣を手に暴れる十数名ほどの体格の良い男たちと、顔を切りつけられて横たわる女性の姿があった。
一階席はパニック状態で観客たちは一斉にホールの外へと逃げる。
警備員たちは男たちを取り押さえようと立ち向かうが、数に差がありすぎてあっという間に倒されてしまってた。
「な、何?何が起こってるの!?」
「わかりませんが巻き込まれては大変です。僕たちも外に出ましょう!」
「そ、そうですね」
私はグレンに促されるまま、ホールの外へ出た。
狭い廊下には人が押し寄せ、中々うまく前へ進めない。
2階には有事の際に使用できる避難通路が用意されているはずだが、このような事態を想定していなかったのか、職員はきちんと誘導できておらず、劇場は混乱状態。
私はあっという間にグレンと逸れた。
*
「……私のバカ」
逃げる際、グレンが手を差し伸べてくれたのに、ふと兄様の顔がチラついて彼の手を握ることが出来なかった。
こんな時にも私が考えるのは兄様のこと。馬鹿みたいに兄様のことだけ考えている。
おかげでこの有様だ。本当に馬鹿でどうしようもない。自分に呆れ果てた私は小さくため息をこぼした。
ああ、どうしたものか。
人混みに流されるがまま階段を降りた私は、何がどうしてそうなったのか、ホールの1階へと辿り着いていた。
いや、本当。何故に?
外へ向かって逃げたはずなのに、よりにもよって1階にたどり着くとは思わなかった。この劇場の構造は一体どうなっているのか。謎だ。
「……とりあえず、外に出るしかないよね。これ」
私は柱の影から舞台下の様子をのぞいた。
「……っ!?」
私は目の前に広がる光景を見て悲鳴をあげそうになり、慌てて口を塞いだ。
嘘でしょ?死んでないよね?
舞台下で血を流して倒れている複数の警備員。それから舞台近くの客席に座らされた茶髪の女性。舞台上には集団で殴られた後のようにも見える小麦色の肌をした男性が1人、転がっている。
私は倒れた彼らの生死が不安になり、もう一度柱の影から顔を覗かせようとした。
しかし、
「動くな」
私は顔を出す前に背後から口を塞がれ、羽交締めにされた。
ヒロインは没落寸前の貴族令嬢。借金を肩代わりする見返りとして無理矢理に婚約を結ばされた彼女は、横暴な婚約者から酷い扱いを受けていた。
そんな中、ふと街に出たヒロインはそこで運命の相手と出会う。
お相手はチンピラに絡まれているところを助けてくれたとある工房の青年。
ヒロインには彼の煤まみれの手も日焼けした肌も、筋肉質な体や粗雑な言葉遣い、汗の匂いさえも新鮮に映ったようで……、彼女はいとも簡単に恋に落ちた。
そこからは勧善懲悪の物語で、2人で協力して婚約者とその家の悪事を暴き、最終的に婚約者たちは罰を受けることになる。
結末としてはヒロインは無事に婚約を破棄することができ、ヒロインの父は青年に感謝し、彼と娘の婚約を許可して大団円。
よくある物語だ。
舞台の幕が降り、役者たちが緞帳の前で深々と頭を下げる。
聴衆はいっせいに立ち上がって拍手喝采した。
私も2階のボックス席から彼らの演技を讃えて、拍手を送った。
「これ、実話を元にしたお話らしいですよ」
鳴り止まない拍手の中、グレンが私の耳元で話す。
私は軽くお尻を浮かせて、半人分ほど横にずれた。
「……他意はありませんよ。単純に聞こえないかと思って近づいただけですので」
「自意識過剰とお思いですか?」
「いえ、大変良い心がけです」
グレンは満足げに微笑んだ。
上から目線のその評価は大変不愉快である。
「近づかずとも聞こえますので」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
「それで、実話を元にしたとは?」
「ああ。実はこれ、チェスター男爵家のご令嬢のことではないかと言われているのです」
グレン曰く、チェスター男爵の一人娘は平民の男と恋に落ち、一方的に婚約を破棄した上、その平民を男爵家に迎え入れたらしい。
一部の貴族からはこの劇はチェスター男爵が自分の娘の行いを正当化するため、金に物を言わせ作らせたのではないかと言われているそうだ。
「憶測が憶測を呼び、令嬢と婚約していたカーライル子爵家には非難が殺到しているのだとか。ご子息は悪評が広まり、今後結婚できるのかすら怪しいらしいです」
「えぐい……」
男爵家、やることがエグすぎる。カーライル家も可哀想に。
……しかし。
「聞きたくなかったです」
役者も物語も素晴らしかったのに、この豆知識で全てが台無しだ。私はグレンを半眼で睨んだ。
「でも気になりません?」
「何がですか?」
「なぜバートン嬢のお父君はこの舞台を婚約者と見てくるよう言ったのでしょう」
「……確かに」
望まぬ婚約と、性格の悪い婚約者。
結局ヒロインは婚約者ではなく平民の男と結ばれる結末で、シルヴィアとオズウェル殿下の関係性を考えると、婚約して間もない今の時期に見るべき作品ではない気もする。
何か別の意図があったのだろうか。例えばそう、『娘を大事にしないと、お前もこうなるぞ』的な警告とか……。
………うん。ないな。
私は自分の兄であるバートン侯爵を『デリカシーが無さすぎて同じ人類とは思えない』と表現していたお義母さまの顔を思い出した。
「バートン侯爵の性格を考えれば、何も考えずに渡したという線が濃厚かと思います。憶測ですけど」
「何だ、そうなのか」
「ん?何だか残念そうですね?」
「そんなことないですよ。仕事柄、殿下とバートン嬢の婚約の行方が気になるだけです」
「仕事柄?」
「まあでも、どちらにしても殿下とバートン嬢がこの舞台を見ていたら大変気まずかったでしょうね。ははは」
「……?そう、ですね?」
今、話を流された気がするが気のせいだろうか。いや、多分気のせいではない。
そういえば、グレンは何の仕事をしているんだろう。
気になった私はグレンに話しを振ろうとした。
その時だった。
一階の舞台下あたりから女性の悲鳴が聞こえた。
私とグレンはボックス席から顔を覗かせ、下を見る。
するとそこには銃や剣を手に暴れる十数名ほどの体格の良い男たちと、顔を切りつけられて横たわる女性の姿があった。
一階席はパニック状態で観客たちは一斉にホールの外へと逃げる。
警備員たちは男たちを取り押さえようと立ち向かうが、数に差がありすぎてあっという間に倒されてしまってた。
「な、何?何が起こってるの!?」
「わかりませんが巻き込まれては大変です。僕たちも外に出ましょう!」
「そ、そうですね」
私はグレンに促されるまま、ホールの外へ出た。
狭い廊下には人が押し寄せ、中々うまく前へ進めない。
2階には有事の際に使用できる避難通路が用意されているはずだが、このような事態を想定していなかったのか、職員はきちんと誘導できておらず、劇場は混乱状態。
私はあっという間にグレンと逸れた。
*
「……私のバカ」
逃げる際、グレンが手を差し伸べてくれたのに、ふと兄様の顔がチラついて彼の手を握ることが出来なかった。
こんな時にも私が考えるのは兄様のこと。馬鹿みたいに兄様のことだけ考えている。
おかげでこの有様だ。本当に馬鹿でどうしようもない。自分に呆れ果てた私は小さくため息をこぼした。
ああ、どうしたものか。
人混みに流されるがまま階段を降りた私は、何がどうしてそうなったのか、ホールの1階へと辿り着いていた。
いや、本当。何故に?
外へ向かって逃げたはずなのに、よりにもよって1階にたどり着くとは思わなかった。この劇場の構造は一体どうなっているのか。謎だ。
「……とりあえず、外に出るしかないよね。これ」
私は柱の影から舞台下の様子をのぞいた。
「……っ!?」
私は目の前に広がる光景を見て悲鳴をあげそうになり、慌てて口を塞いだ。
嘘でしょ?死んでないよね?
舞台下で血を流して倒れている複数の警備員。それから舞台近くの客席に座らされた茶髪の女性。舞台上には集団で殴られた後のようにも見える小麦色の肌をした男性が1人、転がっている。
私は倒れた彼らの生死が不安になり、もう一度柱の影から顔を覗かせようとした。
しかし、
「動くな」
私は顔を出す前に背後から口を塞がれ、羽交締めにされた。
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