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第一章 お姉様の婚約者
22:ダメだ、あいつ
しおりを挟む「若奥様、少しよろしいでしょうか」
シルヴィアとお茶をしていると、セバスチャンがなんとも言えない表情をして声をかけてきた。
この執事、有能すぎるが故に気苦労が絶えないのか、いつも疲れた顔をしている。もう歳も歳だし、是非ともご自愛いただきたい。
「どうしたの?」
「実はバレンシュタイン家のグレン様がお見舞いにいらしているのですが……」
「え、グレンが?」
「ああ、例の浮気相手?」
「浮気じゃないから。怒るわよ?」
「やーん、こわーい」
シルヴィアはわざとらしく、体をくねらせた。
そういうのは男性の前でやればいいのに。
「いかがいたしましょうか?」
「そうね。シルヴィアは……」
「私は構わないわよ」
「ふふっ。ありがとう。ではセバスチャン、お通しして」
「かしこまりました」
セバスチャンは軽く頭を下げ、スッと下がる。
そして足音も立てずにグレンを呼びに行った。
彼の前世はきっと、東方の国に存在するというニンジャという種族だと思う。
しばらくして、花束を持ったグレンがやってきた。
グレンは私の顔を見ると、ホッとしたように微笑んだ。
「……良かった。お元気そうで安心しました」
一体どんな風に聞かされていたのだろう。その反応は死の淵から生還した相手に見せるものだった。
「ご心配をおかけしました。でも、本当にただの風邪なのでどうかお気になさらず」
本当は知恵熱だけど、風邪と言い張るのは恥ずかしいから。
私はグレンから受け取った花束をメイドに渡した。
メイドの1人はすぐに花瓶を用意して、近くの棚に花を生ける。手際がいい。
「……貴方がグレン・バレンシュタインね」
シルヴィアは私の隣に移動し、自分の座っていた席にグレンを誘導する。
「はい。一応、初めましてになるのでしょうか。グレン・バレンシュタインです」
「一応も何も、はじめましてよ。どうも、シルヴィア・バートンです。……それにしても、先ぶれもなく訪問なんて無礼な人ね?」
「ちょっとシルヴィア!」
「すみません。兄が公子様からお誘いを受けたと言うので便乗してしまいました」
グレンは申し訳なさそうに笑いつつ、私たちの向かいに座った。
私はメイドに代わり、サッと彼の前に紅茶を用意する。
シルヴィアは品定めするように彼を頭のてっぺんから足の先まで、舐めるように見つめた。
「あ、あの、バートン嬢?」
「……あなた、ジェフリーお兄様には会ったの?」
「はい、先ほど兄と一緒にご挨拶を」
「その時、お兄様にはここに来ることを言った?」
「はい。夫人にお会いするのですから、一応許可をいただきませんと」
グレンの言葉にシルヴィアは眉根を寄せる。
「…………は?お兄様、他の男が妻に会いに行くのを許可したの?」
「あ、えっと、僕とミュリエルは友人になったので、それで許可していただけたのだと……」
「はぁああ!?友達だろうがなんだろうが、男は男でしょ!?あのお兄様がそんなこと許すわけないでしょうが!」
シルヴィアはまた、勢いよく立ち上がった。今日はなんだか機嫌が悪い。
「チッ、あの男。どうせ何とも思ってませーん、みたいな顔して『ああ、構わない』とか言ったんでしょ?ねえ、そうなんでしょ?」
「ちょ、シルヴィア?」
「すごいですね、バートン嬢。まるで見ていたようだ。その通りです」
「ふんっ!やっぱりね!」
「シルヴィア、とりあえず座ろう?」
「あー、ダメだわ。なんか腹たってきた」
「……シルヴィア?」
「ごめん、ミュリエル。あたし、ちょっとお兄様に文句言ってくる」
「えぇ!?」
「大体、お兄様もお兄様よね。男として意識されてないからって、拗ねて離婚とかお見合いとか勝手に進めてさ?本当に好きなら、好きにさせる努力くらいしなさいよって話でしょ?意識させる努力をしなさいよ!いつもいつも受け身で!ほんと見ててイライラするわ!」
「ちょっと、シルヴィア!?」
怒り心頭のシルヴィアには私の声が届かない。
彼女はまたしても、「もうもう」言いながらドスドスと歩いて部屋を出て行ってししまった。
グレンは開いたままの扉を見つめ、呟く。
「何というか、嵐のような人ですね」
「す、すみません」
「いえ。ただ、僕の陳腐な想像とはかけ離れた方でしたので少し驚きました」
「あははは……」
きっと、読書好きのお淑やかな深窓の令嬢を想像していたのだろう。シルヴィアは喋らなければ、大人しく可愛らしい女の子に見えるから。
私は少しがっかりした様子のグレンを見て、なんだか申し訳なくなった。
*
「ダメだわ、あいつ。ウジウジウジウジウジウジと!蛆虫かっての!」
20分後、鬼の形相で戻ってきたシルヴィアは、テーブルの上にとあるチケットを叩きつけた。
それは入手困難とされる人気劇団のプレミアチケットだった。
私はチケットを手に取り、まじまじと眺めた。
「ちょ、これどうしたの!?滅多に手には入らないと噂のチケットじゃない!!」
「羨ましい?」
「当たり前でしょ!?」
「ならあげるわ」
「え!?いいの!?」
「別にいいわよ。婚約者と2人で行って仲を深めて来いってお父様にもらったのだけれど、まだそんな段階じゃないのよね。だからそれ、貴女にあげるわ。そこの男とデートでもしてくるといい。……そしてあの分からず屋のお兄様をやきもきさせてやればいいわ!!」
シルヴィアはキーッと金切り声を上げる。
彼女は兄様がヘタレだと怒り狂っているようだが、私はそれよりも婚約という言葉が気になって仕方がない。
「え、待って。婚約?ねえシルヴィア、婚約したの?いつ?誰と?」
「つい最近よ。オズウェル殿下と」
シルヴィアはケロッとした顔で言った。
え?オズウェル殿下って、あの?
「…………え、嘘でしょ。あの出涸らし王子と!?」
「ミ、ミュリエル!不敬ですよ!」
「そうよ、あの出涸らし王子と」
「ちょ、バートン嬢まで!ダメですってば!」
グレンは口元で人差し指を立ててシーっと言う。その仕草はちょっと可愛い。
だが心配しなくとも、この部屋にいる人間の中に私たちの失言を口外する人はいない。
それにしてもサプライズすぎる報告だ。この間の夜会ではあんな感じだったのに。
「夜会の時はあたしも彼も知らなかったのよ。婚約を言われたのは本当に最近だから」
「そうなんだ。でもどうしてオズウェル殿下と……」
「さあ?あたしはこの通りの性格だから婚約の申し込みを受けたことなんてないし、あっちはあっちで、馬鹿が露呈しすぎて相手が見つからない。余り物同士でちょうど良かったって感じじゃない?」
「……シルヴィアはそれでいいの?」
「別にいいとか悪いとかないでしょ。もう決まったことだもの」
シルヴィアはフッと乾いた笑みを浮かべた。それは諦めたというより、そもそも期待なんてしていなかったという表情だった。
「恋愛結婚が主流になってきたなんて言っても、結局それは平民とか下位貴族の話よね……。あたしたちの世界ではまだ結婚なんて家同志の契約で、子どもには拒否権なんてないもの」
「シルヴィア……」
「一応歩み寄る努力はするけど、できるかしら。………あたし、あの出涸らしとは会話が成立する気さえしないわ」
遠い目をしてそう語るシルヴィアは哀愁が漂っていた。
「まあバートン侯爵家の娘としては、いずれ誰かと結婚はしなくちゃいけないわけだし……。それに条件だけ見るとオズウェル殿下は意外に優良物件よ?腐っても第二王子だから家柄は悪くないし、絶対にお金に困ることはないだろうし、何より顔だけはいいからね。観賞用としては悪くないし?」
シルヴィアはむしろあの男でラッキーだと、歯を見せてニカッと笑った。
だが無理して笑っているのが丸わかりだ。
シルヴィアも自分で無理があるなと思ったのか、すぐにスンッと真顔になった。
「…………はあ。学園で勉強ばかりしていたツケが回ってきたかな」
「学園は勉強するところですよ、バートン嬢」
「建前はね。実際はただの婚活の場よ」
周りに馴染もうともせずに斜に構えて、結婚相手探しに奔走していた令嬢たちを内心で嘲笑っていたツケが回ってきただけ。自業自得だ。
シルヴィアはそう言って苦笑した。
その笑みにグレンも私も何も言えなかった。
きっとどんな言葉をかけても、安っぽい慰めの言葉にしかならないから。
「ねえ、ミュリエル。あたしね、好きな人と結婚できるのはもちろん幸せだけれど、結婚相手を好きになれるのもとても幸せなことだと思うの」
「シルヴィア……」
「お兄様にもそれをわかって欲しかったんだけど……。何を言ってもお兄様はでもでもだってしか言わなくて……。ウジウジウジウジと………………、あいつはぁぁあああ!!!」
「あ、結局そこに戻るんだ」
「バートン嬢、落ち着いてください……」
「蛆虫が!このウジウジ虫が!ウジウジジメジメしやがって!もう勝手にキノコでも生やしてろ!もうもうもうもうもう!」
また牛になってしまったシルヴィア。頭の血管が切れそうで心配になる。
シルヴィアが兄様と何を話したのかはわからないが、兄様への怒りが再燃した彼女は最終的に、グレンとのデートを強要してきた。
仲良くデートする姿を見せつけて、ヤキモチでも妬かせてやればいい。それが私を泣かせた罰なのだそうだ。
なんて言うか……。
「……シルヴィアって、結構私のこと好きよね」
「調子に乗らないで!」
シルヴィアは私の頭をポカリと殴って、プリプリと怒りながら部屋を出て行ってしまった。
どうしよう。シルヴィアが大好きすぎる。
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