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第一章 お姉様の婚約者
15:ひどく身勝手な(1) *side ジェフリー
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ヘレナが俺をどう思っているのかなんて、初めからわかっていた。
デートにはいつも妹を連れてくるし、俺が近くに寄ろうとすると必ず半歩後ろに下がる。
歩く時は決まって間に妹を挟んで歩く。絶対に俺の隣は歩かない。
送り物を身につけてもらったことは一度もないし、不器用ながらに愛を囁いても『ありがとう』しか返ってこず。もちろん、彼女から言葉をもらったこともない。
ここまで徹底的に壁を作られていれば、彼女の気持ちに気づかない方がおかしい。
でも俺は、それでも良かった。
ヘレナが俺を愛してくれなくとも、俺が彼女を愛し続けてていればいつか振り向いてくれるかもしれない。結婚することは決まっているのだから、じっくりと時間をかけて愛を育んでいけばいい。愚かな俺はそう思っていた。
だからあの日、ヘレナが姿を消したと聞いた時はバチが当たったのだと思った。
笑顔の裏に隠した彼女の本心に気がつかないふりをし続けたバチが当たったのだと。
『捜索はやめましょう。どうか、彼女を放っておいてあげてください』
ヘレナが逃げたとの知らせを受けたとき、俺は父にそう言った。父は複雑そうな顔をしていたが、俺の意見を尊重し、首都警備隊に付近を適当に捜索させたあと、早々に捜索を打ち切らせた。
多分、父もわかっていたのだろう。連れ戻したところで俺との結婚生活など上手くいくわけがないと。逃げ出すほど嫌だった結婚を強要された彼女はきっと、心を病んでしまう。
そうなるくらいならむしろ、まだ幼いながらも聡く従順なミュリエルを彼女の代わりに立てたほうが都合がいいと。
俺としても、心から愛した女性が幸せになれるのならその方が良いと思った。俺が少し惨めな思いをするだけでヘレナが幸せになれるのなら安いものだと……。
ーーー良いわけないのに。
物分かりの良い優しい男のフリをすることで自尊心を保とうとしていた愚かな俺は、神の前で誓いを立てるまで気づけなかった。
俺がヘレナの幸せを願う代償として捧げたのは俺の初恋などという陳腐なものではなく、本当の妹のように大事にして来た一人の少女の未来だということに。
急遽決まった結婚。サイズの合わないウエディングドレスを雑に手直しして、好奇な視線に晒されながらバージンロードを歩く小さな花嫁。
大好きな絵本を広げて、このお姫様みたいにみんなが羨むような幸せな花嫁になることが夢だと語っていた少女は今、理想とは程遠い姿でこの国の誰よりも哀れな花嫁になろうとしている。
こんなこと、許されるわけがない。そう思うのに、もう引き返せない。今更後悔してももう遅い。
俺は彼女の震える手を取り、夫婦の誓いを立て、誓いのキスをした。
小さく、柔らかな唇に最初に触れたのが自分であることに、激しく嫌悪した。自分を殺してやりたくなった。
『兄様。本当はずっと兄様のことが好きでした』
初夜。似合わない薄手のナイトドレスに身を包んだミュリエルは、そう言ってゆっくりとガウンを脱いだ。
胸が締め付けられる思いだった。強張った表情で心にもない言葉を吐く姿が、俺の目にはひどく痛々しく見えたのだ。
初夜にベッドで行われることがどんなことなのか、はっきりと理解していないくせに。ドレスの裾をギュッと握る手は恐怖で震えているくせに。
それでもミュリエルは必死に笑顔を取り繕い、絶えず俺への愛を語った。
きっと、俺への親愛の情を恋愛感情であったのだと思い込もうとしていたのだろう。そうすることで自分の気持ちに整理をつけようとしていたのだ。
『もういい』
その姿に耐えられなくなった俺は彼女の口を、手でそっと塞いだ。そして懺悔の言葉と共に、小さな肩にガウンをかけた。
『母上が言っていただろう?今夜は一緒に寝るだけだ。何もしない。形式として一緒に寝たという事実が必要なだけだから』
『……兄様?』
『大丈夫だ、ミュリエル。君は俺の大事な妹だから、……俺が君を好きになることはない。絶対にだ』
だから、安心していい。
俺がそう言うと、ミュリエルの表情はフッと和らいだように感じた。心なしか、体の緊張もほぐれたようにも思う。そんな彼女の反応は俺の心をさらに抉った。
『ごめん。本当にごめん』
俺は無意味な懺悔を繰り返した。謝ったところでもう取り返しがつかないのに、それでもこの時の俺は謝ることしかできなかった。
オーレンドルフの嫁になってしまったミュリエルは同世代の令嬢と同じように、学園に通うこともできなければ、絵本のお姫様のように幸せな恋をすることも叶わない。
ずっと大切にしてきた存在を、俺は深く傷つけた。
どうにかしなければ。
貴族の結婚がそう簡単に破棄できないことは知っている。
だから“いつ“とは約束できない。
けれどいつか必ず、ミュリエルに自由を返そう。
そしてその日が来るまでは、兄として全力で彼女を守ろう。
そう心に誓った。強く、強く。
それなのに、俺は……。
デートにはいつも妹を連れてくるし、俺が近くに寄ろうとすると必ず半歩後ろに下がる。
歩く時は決まって間に妹を挟んで歩く。絶対に俺の隣は歩かない。
送り物を身につけてもらったことは一度もないし、不器用ながらに愛を囁いても『ありがとう』しか返ってこず。もちろん、彼女から言葉をもらったこともない。
ここまで徹底的に壁を作られていれば、彼女の気持ちに気づかない方がおかしい。
でも俺は、それでも良かった。
ヘレナが俺を愛してくれなくとも、俺が彼女を愛し続けてていればいつか振り向いてくれるかもしれない。結婚することは決まっているのだから、じっくりと時間をかけて愛を育んでいけばいい。愚かな俺はそう思っていた。
だからあの日、ヘレナが姿を消したと聞いた時はバチが当たったのだと思った。
笑顔の裏に隠した彼女の本心に気がつかないふりをし続けたバチが当たったのだと。
『捜索はやめましょう。どうか、彼女を放っておいてあげてください』
ヘレナが逃げたとの知らせを受けたとき、俺は父にそう言った。父は複雑そうな顔をしていたが、俺の意見を尊重し、首都警備隊に付近を適当に捜索させたあと、早々に捜索を打ち切らせた。
多分、父もわかっていたのだろう。連れ戻したところで俺との結婚生活など上手くいくわけがないと。逃げ出すほど嫌だった結婚を強要された彼女はきっと、心を病んでしまう。
そうなるくらいならむしろ、まだ幼いながらも聡く従順なミュリエルを彼女の代わりに立てたほうが都合がいいと。
俺としても、心から愛した女性が幸せになれるのならその方が良いと思った。俺が少し惨めな思いをするだけでヘレナが幸せになれるのなら安いものだと……。
ーーー良いわけないのに。
物分かりの良い優しい男のフリをすることで自尊心を保とうとしていた愚かな俺は、神の前で誓いを立てるまで気づけなかった。
俺がヘレナの幸せを願う代償として捧げたのは俺の初恋などという陳腐なものではなく、本当の妹のように大事にして来た一人の少女の未来だということに。
急遽決まった結婚。サイズの合わないウエディングドレスを雑に手直しして、好奇な視線に晒されながらバージンロードを歩く小さな花嫁。
大好きな絵本を広げて、このお姫様みたいにみんなが羨むような幸せな花嫁になることが夢だと語っていた少女は今、理想とは程遠い姿でこの国の誰よりも哀れな花嫁になろうとしている。
こんなこと、許されるわけがない。そう思うのに、もう引き返せない。今更後悔してももう遅い。
俺は彼女の震える手を取り、夫婦の誓いを立て、誓いのキスをした。
小さく、柔らかな唇に最初に触れたのが自分であることに、激しく嫌悪した。自分を殺してやりたくなった。
『兄様。本当はずっと兄様のことが好きでした』
初夜。似合わない薄手のナイトドレスに身を包んだミュリエルは、そう言ってゆっくりとガウンを脱いだ。
胸が締め付けられる思いだった。強張った表情で心にもない言葉を吐く姿が、俺の目にはひどく痛々しく見えたのだ。
初夜にベッドで行われることがどんなことなのか、はっきりと理解していないくせに。ドレスの裾をギュッと握る手は恐怖で震えているくせに。
それでもミュリエルは必死に笑顔を取り繕い、絶えず俺への愛を語った。
きっと、俺への親愛の情を恋愛感情であったのだと思い込もうとしていたのだろう。そうすることで自分の気持ちに整理をつけようとしていたのだ。
『もういい』
その姿に耐えられなくなった俺は彼女の口を、手でそっと塞いだ。そして懺悔の言葉と共に、小さな肩にガウンをかけた。
『母上が言っていただろう?今夜は一緒に寝るだけだ。何もしない。形式として一緒に寝たという事実が必要なだけだから』
『……兄様?』
『大丈夫だ、ミュリエル。君は俺の大事な妹だから、……俺が君を好きになることはない。絶対にだ』
だから、安心していい。
俺がそう言うと、ミュリエルの表情はフッと和らいだように感じた。心なしか、体の緊張もほぐれたようにも思う。そんな彼女の反応は俺の心をさらに抉った。
『ごめん。本当にごめん』
俺は無意味な懺悔を繰り返した。謝ったところでもう取り返しがつかないのに、それでもこの時の俺は謝ることしかできなかった。
オーレンドルフの嫁になってしまったミュリエルは同世代の令嬢と同じように、学園に通うこともできなければ、絵本のお姫様のように幸せな恋をすることも叶わない。
ずっと大切にしてきた存在を、俺は深く傷つけた。
どうにかしなければ。
貴族の結婚がそう簡単に破棄できないことは知っている。
だから“いつ“とは約束できない。
けれどいつか必ず、ミュリエルに自由を返そう。
そしてその日が来るまでは、兄として全力で彼女を守ろう。
そう心に誓った。強く、強く。
それなのに、俺は……。
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