【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第一章 お姉様の婚約者

9:嘘つきな兄様(1)

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「ミュリエル。友人を紹介したいんだが……。どうだろうか」

 朝、珍しく朝食を共にした兄様はそんなことを言った。
 この唐突すぎる提案には、私よりもお義母さまの方が驚いていた。
 お義母さまは動揺した心を落ち着けようと、一旦ナイフとフォークを置き、口元をナプキンで拭く。

「ジェフリー……。あなた、友達いたのね」

 ひどい言われようである。兄様は少ないけれどいる、と不貞腐れたように答えた。

「兄様、ご友人とはもしや、先日の夜会でお会いした騎士さまのことですか?」
「ああ。そうだ。この間は助けてもらったからな。そのお礼も兼ねて、今週末にでも城に招待しようと思うんだ」
「なるほど、良いと思います」
「では、会ってくれるか?」
「はい!もちろんです!」

 私は満面の笑みで返した。
 兄様のご友人を紹介していただけるなんて、これは大きな一歩ではなかろうか。


 ***


「お義母さま。お義母さま」
「……何かしら」
「今朝の話なのですが……。これは、もしかするともしかするのではないでしょうか」

 昼下がり。私は陽当たりの良い図書室の片隅で、お義母さまに刺繍を教わりながら今朝のことを話題に出した。
 お義母さまは私の手元をジッと見つめながら、話に耳を傾ける。

「あの兄様がご友人を紹介してくださるなんて、今までだったらあり得ない話ですよね?」
「…………そうね」
「そういえば最近は食事を共にする機会も増えてきましたし、私が近くに寄っても邪険に扱わなくなりました。まだまだ夜這いは成功しませんが、確実に兄様との距離が近づいている気するのです」
「そう、ね……」
「これって、私の勘違いでしょうか?」
「…………ミュリエル。あなた、一体何を作っているの?」
「家紋の鷹です」
「…………どう見ても悪魔でしょう、それ」
「え、ひどい」

 どう見ても鷹なのに。
 お義母さまは私のハンカチを取り上げて、それをメイドに見せた。
 正直な意見を求められたメイドはしばらく悩んだ末、遠慮がちに、王国南部の伝承に出てくる死神の名前を口にした。
 ……死神に見える鷹って何よ。聞いたことないわ。

「そっかぁ、死神かぁ」
「ミュリエル、やはり刺繍は諦めましょう。誰にだって得手不得手はあるわ」
「あの、私は別に不得手のつもりなんてなかったのですけれど……」

 なんなら刺繍は得意な方だとさえ思っていた。だって家庭教師は私の刺繍をとても個性的だと褒めてくれていたし。
 しかしそう言うと、お義母さまはやれやれと肩をすくめた。

「一応伝えておくけれど、『個性的ですね』は褒め言葉ではないわよ」
「えぇ!?」

 貴族の言い回しは本当にわかりにくい。下手ならはっきり言って欲しかった。自分は才能があるって勘違いしちゃったじゃないか。恥ずかしい。
 私はソファの背もたれに体を預け、天井を見上げた。

「……あーあ。完璧な淑女への道は遠いなぁ」

 ダンスに刺繍に詩歌。何でも完璧にこなしていた姉様のような女性になりたいのに、なかなかうまくいかない。

「あなた、ダンスは上手じゃない。得意なものが一つでもあるのならそれで十分だわ」
「でも、オーレンドルフの嫁は完璧でなくてはならないのでしょう?嫁いできた当初に大奥様がおっしゃっていましたわ」
「あんな、錆びついた古い考えを持つ老人の言うことなど気にする必要ないわ」
「老人て」
「たとえ刺繍が下手くそであろうとも、子どもさえ産んでおけば誰も文句は言えないのですから」

 何もできなくとも、子どもさえ産めたら一人前。
 逆に何でもできたとしても、子どもが産めなければいつまでも半人前。
 それがこの国の貴族社会の常識だ。女の価値はそこでしか図られない。

「世知辛い世の中ですね」
「そうね」
「ふわぁ……」
「こら、ミュリエル。立派な淑女になりたいのなら、大口を開けてあくびなんてやめなさい。はしたない」
「はっ!すみません」

 しまった、油断した。
 部屋が暖かいせいか、無意識にあくびをしていた私は慌てて口元を押さえた。

「まったく。あなたって子は」

 お義母さまが呆れたように笑った。良かった。怒ってはいないらしい。

「最近ずっとそんな感じね。もしかしてちゃんと眠れていないの?」
「いいえ、よく寝ています。10時間くらい」
「それは寝過ぎよ」
「成長期でしょうか」
「もう止まる時期よ、お馬鹿」
 
 お義母さまは私の頭を軽く小突いた。

「何か悩みでもあるの?」
「いいえ、悩みなんてありませんわ。悩みがないのが悩みなくらいです」

 私はだから、悩む必要がないのだ。
 しかしそう言うと、お義母さまはとても険しい顔をした。その表情は兄様にとてもよく似ていた。

「……そう」
「あ、で、でも!最近はよく悪夢を見るんです!もしかするとそのせいで寝ているつもりでも、きちんと眠れていないのかもしれません!」
「悪夢?」
「はい、金色の悪魔が追いかけてくる夢なんですけど……」

 出口のない暗闇の中、不気味な笑みを浮かべた金色の悪魔はどこまでもどこまでも追いかけてくる。
 私は必死に助けを求めるけれど、声は闇に反響するばかりで誰の耳にも届かない。そんな怖い夢。
 大体の場合は追いつかれて喰われる寸前で、颯爽と現れた聖女さまに助けられて、そこで目が覚めるのだが、

「……そういえば、最近はお助け担当が凛とした聖女さまから、ちょっぴり頼りなさそうな勇者さまに変わりましたね」

 何故だろう。私は首を傾げた。

「その夢、よく見るの?」
「たまにです」
「そう、たまに」

 お義母さまはしばらく思案に暮れると、ハッと明暗でも浮かんだかのような顔をして自分の膝元をポンポンと叩いた。

「え?」
「とりあえず、15分でも仮眠を取ると頭が冴えるわよ」
「いやいやいや、大丈夫です。眠くないですから!」

 まさかの膝枕。流石の私も遠慮する。
 けれど、遠慮されるとムキになってしまうのがお義母さまだ。彼女はムッとした顔で私の頭を掴むと、そこそこ強引に体を横に倒した。  
 強制的に横になった視界に映るのは、たくさんの本が並ぶ書棚と微笑ましげにこちらを見下ろすメイドの姿。
 彼女は何も言わずに軽く頭を下げると、書棚の奥へ行き、毛布を手にして戻ってきた。

「どうぞ、奥様」 
「ありがとう。かけてあげて」
「はい、かしこまりました」

 メイドはふわりと毛布を広げ、私の胸の辺りから下にそれをかけてくれた。暖かい。

「あの、お義母さま……。えっと、寝るなら1人で」
「良いから」

 お義母さまは私の目をその白魚のような手で優しく覆う。
 視界が急に暗くなった。
 なす術がない私は言われるがままに目を閉じる。
 至れり尽くせりで、なんだか面映い気持ち。

  ーーーお母さん、ってこんな感じなのか
 
 頬に感じる人肌の温もりと、頭を撫でる優しい手。心地の良い子守唄。    
 兄様もコレット様もきっと、幼い頃はこうしてお昼寝をしたのだろう。
 そういえば私も昔はよく、姉様に膝枕をしてもらっていたな。

「…………姉、さま」

 スッと意識が遠のく。
 気がつくと、私は寝息を立てていた。


 
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