【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

文字の大きさ
上 下
20 / 70
第一章 お姉様の婚約者

19:親友の助言(1)

しおりを挟む
 あの日。月明かりに照らされた庭園で。
 あらかじめ作られていた塀の穴から外の世界へ行こうとする姉様を、私は引き留めなかった。

『ごめんなさい。自由になりたい。もう疲れた』

 そう言って涙を流し、秘密の仲だった庭師と共にどこかへ行こうとする姉様。

 姉様の涙なんて初めて見た。

 私の知る姉様はいつも強くて優しくて、ヒーローみたいにカッコよかったから。
 私はあの日。初めて、姉様も普通の女の子なのだと気づいた。
 
 これまでたくさん守ってもらった。
 たくさん愛情をもらった。
 姉様がいなければ、今私はここにいない。

 だから私は何も言わずに、静かに姉様を見送った。これで彼女が幸せになれるのならと、見送った。

 翌朝、大変なことになるなんて分かり切っていたのに。
 兄様がどんな顔をするのかなんて、分かり切っていたのに。
 それでも、私は兄様の幸せと姉様の幸せを天秤にかけ、後者を選んだのだ。
 後のことは全て背負うつもりだった。全部覚悟の上だった。

 なのに。

 朝、教会の控え室の片隅で項垂れる兄様を見て、私は許されない選択をしたことを激しく後悔した。

 

 ***



 あの夜から、私は3日寝込んだ。いわゆる知恵熱というやつだ。普段からろくに頭を使っていないから熱を出したのだろう。
 お義母さまは『あなたが風邪をひくなんて、珍しいこともあるものね』と呆れた顔をしつつも、つきっきりで看病してくれた。やっぱりお義母さまは優しい。
 でも……。

「ちょっと過保護気味なのよね……」

 私はベッドサイドのテーブルの上に用意された水瓶とフルーツと、高々と積み上げられた分厚い本に視線を移した。
 まるでベッドから動くなという無言の圧力をかけられているみたいだ。
 ……ちなみに本のジャンルは詩集。申し訳ないがまるで興味がない。

「はは……。重病人じゃないんだから」

 ただの知恵熱だ、なんて絶対に言えない雰囲気に私は思わず笑ってしまった。
 私の乾いた笑いが静かな室内に響く。広い部屋に1人でいることを実感して、ほんの少しだけ寂しくなった。

 何だかとても空虚な気持ち。

「……………ちょっと死にたいかもしれないわ」

 たくさん寝て熱も下がり、頭がスッキリしているせいで記憶が鮮明に蘇ってきて……。
 今、私はとてつもなく死にたい気分だ。

「兄様の告白がいっそ夢であってくれたらいいのに」

 そんなことを願ってしまう。
 けれど、どれだけ現実逃避をしようともあの夜は夢にはならない。

 兄様は私が好きだ。

 強く憧れたあの一途な愛情が今は姉様ではなく私に向けられている。
 それなのに、不思議なことに私は兄様から向けられる愛情に喜びを感じていない。
 私の心にあるのは強い罪悪感と、少しの解放感。
 『頑張らなくていい』と言ってもらえた瞬間から、私の心は明らかに軽くなっている。妙に頭がスッキリしている。
 これは決して熱が下がったせいではない。
 きっと自分の心についていた嘘がなくなったから。だからスッキリしているのだろう。

 結局、兄様と言う通りだったのだ。
 私は兄様のことを好きではなかったのだ。
 
「なんて自分勝手な姉妹なのかしら」

 私は自嘲するように笑った。
 姉は結婚式当日に失踪し、妹は毎日毎日好きだと言い続けたくせに、いざ愛情を向けられると好きじゃないと宣うなんて。
 
「こんなの、だめよ……」

 兄様はまたひどい失恋をしてしまうことになる。そんなのだめだ。

「どうしたらいい?どうしたら……」

 兄様の望む通り離婚すればいいの?兄様はそれで幸せになれるの?
 それとも兄様が私を好きだと言うのなら、私も兄様を好きになればいい?でも好きになろうとすること自体が兄様を傷つけるのではないの?
 私は足りない頭で必死に考える。けれど、やっぱり私はバカだから、どれだけ考えても正解がわからない。また熱を出しそうだ。

 私は気分を変えるため、久しぶりに部屋の外へ出ることにした。
 ベッドを降りてガウンを羽織り、辺りを警戒しながらそっと扉を開ける。
 すると、

「こら。せめて着替えてから出てきなさい」

 今、最も会いたくない人物がそこにいた。

「えっと、その……、ご機嫌よう?」
「ご機嫌はよくない」
「あ……、そうですか……」

 兄様はいつもと変わらない不機嫌な顔で私を見下ろす。
 それは間違っても好きな相手に見せる顔ではなかった。

「あれぇ?」

 夢だったかな。
 急激にその可能性が浮上してきた。

「シルヴィアが来ているぞ。体調が大丈夫そうなら顔を見せてやるといい」
「えっ!?シルヴィアが!?」
「ああ、君が熱を出したと聞いて飛んできたそうだ。相変わらず仲がいいな」
「はいっ!大親友ですからっ!」

 なんだかんだと言いつつ、優しいのがシルヴィアだ。
 春になるまで会えないと思っていた彼女に会えるということで、私はつい、悩んでいたことなんて忘れてはしゃいでしまった。
 早く身支度を整えないと。どのドレスを着ようか。

「……嬉しそうだな」
「そりゃあ、もちろん。シルヴィアのことが大好きなので」
「そうか。シルヴィアが羨ましいな」
「………….………………ん?」
「人を呼んでくる。君は部屋に戻っていなさい」
「あ、はい。……ありがとう、ございます……」

 兄様はなんだか複雑そうな顔をして、私を部屋の中に押し込んだ。
 そして扉をゆっくりと閉めた。
 だが何故かすぐに、半分だけ扉を開けてそこから顔を出した。
 兄様が半眼でこちらをジッと見つめている。レディの部屋を覗く変態のようだ。

「…………ミュリエル」
「は、はい。なんでしょうか……」
「夢じゃないからな」
「……………え?」
「この間のこと、夢じゃないぞ」

 釘を刺すように、兄様は言った。私は気まずくなり、彼から目を逸らす。
 すると、兄様は追い討ちをかけるように続けた。

「好きだよ、ミュリエル」

 その言葉に心臓がドクンと跳ねる。額に汗が滲む。
 やはり夢ではなかったらしい。
 ちょっとだけ、そうであることを期待していたのに。
 
「………………あー、えっと……」
「顔、青いぞ」
「……ちょっと、寒くて」
「嘘つき」
「……き、着替えるので。すみません」
「……シルヴィアは応接間にいる。母上が相手をしているからゆっくり支度するといい」
「はい……」

 兄様は相変わらずの不機嫌顔のまま、パタンと扉を閉めた。
 私は力が抜けたようにその場に座り込む。
 私の5年の結婚生活が、大きな音を立てて足元から崩れ落ちていく。

「ど、どうしよう……」

 正解がわからない。
 


 
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

偽りの愛に終止符を

甘糖むい
恋愛
政略結婚をして3年。あらかじめ決められていた3年の間に子供が出来なければ離婚するという取り決めをしていたエリシアは、仕事で忙しいく言葉を殆ど交わすことなく離婚の日を迎えた。屋敷を追い出されてしまえば行くところなどない彼女だったがこれからについて話合うつもりでヴィンセントの元を訪れる。エリシアは何かが変わるかもしれないと一抹の期待を胸に抱いていたが、夫のヴィンセントは「好きにしろ」と一言だけ告げてエリシアを見ることなく彼女を追い出してしまう。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!

風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。 結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。 レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。 こんな人のどこが良かったのかしら??? 家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】 エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

処理中です...