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第一章 お姉様の婚約者
17:ひどく身勝手な(3) *side ジェフリー
しおりを挟む家族の首、婚家の面子、王権の安定、それから姉の自由。
あの時のミュリエルはいろんなものを背負っていた。そしてそれらを守るために、俺と結婚した。
毎日毎日、俺に好きだと言うのも本当に俺のことが好きだからではない。
子を望む周りの期待に応えるため、あるいは、オーレンドルフを非難する人間に自分が幸せであることを見せつけるためだ。
もしかすると、俺がヘレナを探したりしないように俺の気を引きたがっている、というのもあるかもしれない。
ミュリエルの言う『好き』には、彼女なりの覚悟が含まれている。
あと足りないのは、好きでもない男と一夜を共にする覚悟くらいだ。
そのくらい、彼女は強い意志と覚悟を持って俺と結婚した。
だが、やはり自分の心に反する言動をすることは、ひどく疲れるものらしい。
「…………最近、ミュリエルは夜中に徘徊するようになった」
「それって……」
「いわゆる夢遊病だろう。まだ母上にも言えていないけど、城の何人かは知っている」
ミュリエルは時折、夜中に城内を徘徊している。
17歳の誕生日を迎えた辺りからだ。
積み重ねてきた努力が、重荷になって、彼女を苦しめている。
「そんな状態でもし告白なんてしてみろ。どうなると思う?」
「どうなるんだよ」
「ミュリエルは絶対に俺を受け入れようとするんだ」
あの子はそういう子だ。ずっと見てきたから知っている。
きっと、俺を受け入れる。
少し異性として触れるだけで怯えて固まってしまうくせに。「嬉しい」とか言って微笑んで。自分の気持ちを押し殺して、俺の気持ちに応えようと頑張るのだ。
「嫌なんだ。俺はこれ以上、ミュリエルに頑張らせたくない」
これ以上、頑張って欲しくない。
俺は両手で顔を覆い、声を絞り出した。
「難儀なもんだねぇ……」
俺の切実で複雑な心を理解してくれたのか、アルベルトは簡単に「素直になれ」なんて言うべきじゃなかったと謝った。
「医者には掛かったのか?」
「相談だけ」
「医者はなんて?」
「とりあえず、心労の原因を取り除けって。あとは好きなことや楽しいことをしてリラックスできる環境を作れって」
「それでこのお見合いか?」
「だって心労の原因って俺だろ?」
俺との結婚生活が彼女のストレスとなっている。ならば、俺から離れるのが治療する上でも最も重要だ。
俺は自嘲するように笑った。
「……ジェフリー、そうとは限らないだろ」
「そうに決まっている」
「何故言い切れる?」
「だって俺は結婚してから今まで、ミュリエルの、あんなふうにリラックスした笑顔をほとんど見たことがない」
ミュリエルの自然な笑顔は滅多に見られない。
俺の前でミュリエルはいつも笑っているが、それは作られた笑顔。
側から見て幸せに見えるように、笑うことを意識して笑っている。
彼女の完璧な笑顔はいつも俺の心を抉る。
「……あんな風に笑えるんだな」
グレンと楽しそうに話すミュリエルを見下ろしながら、俺はつぶやいた。この時の俺は多分、ものすごく嫉妬に満ちた顔をしていたと思う。
アルベルトにはその醜い嫉妬を見抜かれていたのか、彼は呆れたようなため息をこぼした。
「自分の心に反する言動をし続けるのは疲れるな、ジェフリー」
「……」
「それはお前も同じじゃないか?本心では絶対に離したくないって思っているくせに」
「……思っていない」
「嘘をつけ。なあ、ジェフリー。お前たちの複雑な事情は理解した。でも……、それでもやっぱり一度、ちゃんと夫人と話し合った方がいい。お前の独断でことを進めるのはよくない。結婚も離婚も、二人のことだろ?」
ひどく真っ当な意見だ。俺は何も言い返せない。
「俺は離婚が最善の策とは思えない。オーレンドルフの嫁という地位を捨てさせることは本当に彼女のためになるのか?」
「……どういう意味だ?」
「お前も知っているだろう。子どものいない女性が離婚された場合、貴族たちは必ず“子どもが産めない女だから捨てられた”と判断する。彼女は社交界でそういうレッテルを貼られて生きていくことになるんだぞ」
「だから次の嫁ぎ先を見つけて……」
「お前は?」
「は?」
「離婚したらお前はどうするんだ?再婚するのか?」
「それはわからないけど」
「じゃあきっとグレンと再婚した夫人は『オーレンドルフの元嫁は不倫をしていた』なんて噂されるんだろうな。姉のことがあったから、姉妹揃ってふしだらな女だとゴシップ紙に書かれるんだろうなぁ?」
「……それは」
「まさかそんな事まで考えていなかったとか言うんじゃないだろうな?」
図星だった。俺はまた、押し黙る。
俺のこの態度にアルベルトは顔を顰めた。
「はあ……。少し考えればわかることだろう」
彼の声色に少しだけ、怒りがこもる。
「この際、感情の話は置いておこう。恋愛感情などなくとも結婚生活を続けることは可能だからな」
「……」
「それを踏まえて考えみろ。離婚は得策か?オーレンドルフの莫大な富と権力は魅力的なものだ。しがない伯爵家の次男坊と再婚するよりも遥に良い暮らしができるはずだろう」
「確かに、それはそうかも知れないけど……、でもこの家にいる限り、ミュリエルにはずっと負担をかけてしまうから……」
「もしお前が言うように夫人の心労の原因が本当にお前であるのなら、物理的に距離を取ればいい話じゃないのか?オーレンドルフならいくつも保養地を持っているだろう?」
「……それは、持っているけど」
「病気を理由に何年も社交界に顔を出していない貴婦人も少なくない。夫人も保養地でしばらく静養すれば少しは良くなるんじゃないか?」
「……」
「別々の場所にいて、必要な時しか顔を合わせない夫婦なんて山ほどいる」
「でも、子どもが……」
「言っておくが、子どもは割とどうとでも出来るぞ。どうしても子どもができない家は分家から養子をもらうこともあるし、何なら愛人に産ませた子を本家に迎え入れることもある」
「そんなの……!」
「ああ、そうだ。もちろんその子は苦労するだろう。この国のクソみたいな文化は正当な血筋の男子以外認めようとしないからな。分家から来ようが愛人の子だろうが、それが当主と夫人の子でない限り、必ず苦労する。けれど、どちらの方法も継承法の解釈では正当に認められているものだし、何よりもオーレンドルフが決めたことならば、誰も口出しできないはずだろ?」
アルベルトは強い口調で俺の言葉を遮った。
彼の正論の数々は鋭く胸に突き刺さる。
俺はどんどん追い詰められる。まるで崖の上に立たせれている気分だ。
「保養地で静養しつつ、友人として医者を紹介して少しずつカウンセリングでも行えばいい。違うか?」
「……違わない」
そう、違わない。
本当はわざわざ離婚なんてしなくてもいい。
人目のないところでのびのびと生活させてやればいい。
アルベルトは大きく息を吸い込み、俺の目を見据えて言う。
「お前は離婚が夫人のためであるかのように言うが、離婚は本当に彼女のためか?ジェフリー・オーレンドルフ」
「……っ!」
言葉に詰まる。
違う。俺の都合だ。
我慢できずに手を出して傷つけたくない。
俺のこともオーレンドルフのことも気にせず、心穏やかに過ごしてほしい。
そう思うのに、その心とは裏腹に本心は彼女を手放したくないと思っている。
見合いをさせたのも離婚したいのも、全部全部、俺の都合。俺の勝手だ。
だってきっと俺は、ミュリエルが離婚して別の誰かのものになるくらい、そのくらいどうも仕様がない状況にならない限り、彼女を諦めきれない。
ヘレナの時のように、聞き分けの良い男にはなれそうもない。
だから、さっさと俺の手の届かないところに行って欲しいんだ。
俺はひどく身勝手な考えで、離婚したがっている。
「……ミュリエルが可哀想だ」
俺なんかに好かれてる彼女はとても、可哀想だ。
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