【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第一章 お姉様の婚約者

12:絶対はない(2)

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「では改めまして。グレン・バレンシュタインです。年は19。趣味は読書で、兄のように剣技は得意ではありませんが、射撃はそこそこできます」
「ミュリエル・オーレンドルフです。年は17。私も本を読むのは好きです。射撃は……まあ普通ってところです。これといった特技はないのですが、ふふっ。そうですね。お茶を淹れるのが上手だと言われたことはあります」
「もしや、公子様にそう言われたのですか?」
「…………いえ。あはは……、誰だったかな。忘れちゃいました」
「そう、ですか……?」
「そ、それより!読書がお好きなのですよね?どんな本を読まれるのですか?私は、はしたないと言われるかもなのですが、実は大衆向けの恋愛小説が好きなのです!」
「僕は……、あー……、どうしようかな」
「グレン?」
「……まあ、いいか。うん」

 グレンは悩みながらも、持って来ていたカバンの中から一冊の本を見せてくれた。私はその本を見て、首を傾げる。

「哲学書、ですか?」
「外側はね。でも、中を開くと……」
「……ん?哲学書、ではない?」
「はい。恋愛小説です」
「なんとっ!?」

 私はグレンの本を手に取り、まじまじと眺めた。その本は外側こそ完全に小難しい哲学書なのに、中を開くとただの大衆向け恋愛小説という不思議な本だった。
 
「もしやこれ、レディ・ローズの『皇女様は夢を見ない』ですか?」
「レディ・ローズをご存知でしたか」
「はい。比較的好きな作家です。……それにしてもこれ、本当にすごいわ。ご自分でお作りになられたのですか?」
「はい。でも、そこそこ丈夫な紙に哲学書の表紙を書いて、それを恋愛小説の表紙に貼り付けただけですよ。表紙は絵の得意な使用人に頼んで作らせました」
「なるほど……」

 元々大衆向けの、特に恋愛小説は直接的な表現が多く低俗だと、貴族の間では敬遠されがちだ。だから当然、貴族令嬢は巷で話題の小説を読む時、すごく周りに気を使う。
 その点、これなら人目を気にせず恋愛小説が読める。画期的なアイディアだ。私は自分も作ってみようかなと呟いた。

「……あの」
「ん?何ですか?」
「気持ち悪くはないのですか?」
「そうですね。糊のせいかな?手に取った感じは少しゴワゴワするかもしれません。でも気になりませんよ?まあ、外の紙質と中の髪質が違いすぎる点を気持ち悪いと思う人はいるかもですけど」
「いえ、そうではなく」
「……?」
「その、男の僕が、そういう小説を好きなこと。気持ち悪いとは思わないのですか?」
「……え?何故ですか?どこが気持ち悪いのですか?好きなものは人それぞれでしょう?」

 私はトマトが好きだが、兄様はトマトが嫌い。
 私は庶民のパンが好きだが、お義母様は絶対に庶民のパンなんて食べない。
 好きなものは人それぞれだ。好きなものに性別も年齢も無い。
 私はそれが普通のことと思っていた。だからグレンの質問の意図がわからず、キョトンと首を傾げた。
 するとグレンは驚いたように目を見開いて、そして次の瞬間にはとても嬉しそうに顔をクシャッとして笑った。

「素敵ですね、その考え方」
「そうですか?普通ですよ」
「それを簡単に普通と言ってしまえることが素敵なんです」
「何だかよく分かりません」
「ははっ。わからなくて良いです」

 私が不思議そうな顔をしていると、グレンは笑いながら不意に手を伸ばして来た。
 そして私の頭の上でその手をピタリと止める。

「……何か?」
「撫でても良いですか?」
「どうぞご自由に」
「では失礼して」

 許可を出すと、グレンはまるで犬を可愛がるように私の頭を撫でた。
 なんだろう。多分、物語の中ならドキドキするシチュエーションなはずなのに、全然ときめきがない。

「うーん。やはりミュリエルを見ていると、何だか妹を思い出します」
「妹様がいらっしゃるのですか?」
「ええ。半分しか血が繋がってないのですが。すごく可愛いのです」
「ちなみにおいくつで?」
「5歳です」

 それを聞いた私はサッとグレンの手を払いのけた。失礼なやつめ。

「怒ってしまいましたか?」
「5歳児と一緒にされては誰だって怒ります」
「でも可愛いですよ?僕の妹」
「知りませんよ」
「良かったら今度紹介させてください。今は一緒に住めていませんが、近々正式に屋敷に迎え入れるようなので」

 彼の父の愛人が流行病で亡くなったらしい。だから屋敷に迎えるのだそうだ。
 誰かに可愛い妹を自慢したくて仕方がないのか、グレンは嬉しそうに語る。
 腹違いの年の離れた妹なんてそう簡単に受け入れられるものなのだろうか。いや、歳が離れすぎているからこそ、逆に受け入れやすいのかもしれない。
 私は妹の可愛さを饒舌に語る彼を見て、思わず吹き出した。

「何故笑うのですか」
「私、知っています。貴方のような方を“シスコン”と言うのでしょう?」
「否定はしません」
「否定しないんだぁ……」
「ちょっと!引かないでくださいよ!」
「……まあ、うん。兄妹仲睦まじいのは良いことですわ……。うん……」
「その間は何ですか」

 グレンが拗ねたように口を尖らせた。
 その顔が何だか面白くて、私は堪えきれずに吹き出す。
 するとグレンも耐えられなかったのか、私と同じように吹き出した。
 私たちはひとしきり笑い合ったあと、息を落ち着けるようにフーッと深呼吸をした。

「ま、まあつまり、僕が言いたいのは、ミュリエルは妹にしか見えなさそうだから安心してくださいって話です」
「恋愛対象外ってことですね」
「元々人妻という時点で興味はありませんが、実は僕、年上の女性の方が好みなのです」
「それ、見合い相手に言うセリフじゃないです」
「でも安心したでしょう?」
「はい、かなり」
「ではどうです?これを機に、僕と恋愛小説を語り合う会でも結成しませんか?定期的にお互いのおすすめの本を持ち寄って紹介し合うのです」
「まあ!それは素敵ですね!」
「ははっ。決まりですね。ではこれから、"友人"としてよろしくお願いします」

 グレンは友人を強調した。私が兄様と離婚する気がないのを察しているのだろう。私を安心させようとしてくれている。優しい人だ。

「そうだ!良かったら、私の大親友のシルヴィアを今度ご紹介させてください。彼女も恋愛小説が好きなのです」
「シルヴィアって、シルヴィア・バートンさんのことですか?」
「あら?ご存知でしたか?」
「ええ。学園時代に少しだけ見かけたことがありまして」
「そうか、2人とも学園に通っているのですよね」
「僕は昨年卒業しましたけどね。バートンさん。素敵ですよね。学園では皆が誰かとつるむのに、彼女は平気な顔で1人で本を読んでいるんです」

 木陰でひとり、本を読む姿がとても印象的だったとグレンは話してくれた。
 私的には、それってただ友達がいないだけでは?と思わなくもないが、それは野暮というやつだろう。言わないでおこう。

「バートンさんが良いのであれば、僕は大歓迎です」
「やった!」

 私は両手を広げ、歯を見せてニカッと笑った。少し子どもっぽい仕草だったかもしれない。
 お義母さまに見つかったら『淑女らしくしなさい!』と強めのお叱りを受けることだろう。
 でも、仕方ないじゃないか。やっぱり嬉しいものは嬉しいのだ。
 だって友人ができたのは久しぶりだ。シルヴィアに続いて、2人目の友達。
 そのあと私たちは、好きな作家の話や、恋愛小説あるあるなどを話で大いに盛り上がった。


 グレンと話しているととても楽しいし、なんだか気持ちが軽くなる。
 変に取り繕わなくていいからか、それとも単に波長が合うだけなのか。原因はよくわからないがとてもこの空間にいるのは気が楽だ。
 なんだかシルヴィアと話している時と同じ感覚になる。

 友達っていいな。

 この瞬間、私は兄様のことも姉様のことも、全部忘れていた。
 
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