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第二章 悪魔退治
38:ラングハイムの港で(3)
しおりを挟む今日の私はいつもよりも健康的で、いつもよりも溌剌としているように見えるだろう。
コルセットは緩めで、スカートの裾は地面につかない程度の丈しかないし、靴の踵もいつもよりずっと低い。
動きやすい服装に身を包んだ私はエントランスにある大きな鏡の前でクルクルと回ってみた。
「ふふっ。嬉しい」
こういう動きやすい服装は好きだ。
「お義母さまもみんなも、本当にありがとうございます!」
私は満面の笑みでお義母さまとメイドたちにお礼を言った。
お義母さまは腕を組み、満足げな表情を浮かべた。お義母さまが嬉しそうだと私も嬉しい。
「ところでジェフリーはまだなの?」
「今、セバスチャンが呼びに行ってくれて……、あ!来ました!」
「ミュリエル……?」
私はちょうど、執事のセバスチャンと一緒にエントランスに降りてきたジェフリーに駆け寄る。
そして普段とは違う私を見せつけるように、彼の前でくるりと回ってみせた。
「………………母上。こんなに着飾ってもらっては困りますよ」
額を抑え、呆れたようにため息をこぼすジェフリー。
どうやらこの格好は好みではなかったようだ。私はちょっとだけ残念な気持ちになった。
別に可愛いと言われたかったわけではないが、「似合うね」くらいは言って欲しかった。
……というか、言うべきだろう。紳士として。
「ジェフリー。わたくしはあなたを、着飾ったレディを褒めることもできないような男に育てた覚えなどないのだけれど」
「いや、そうではなく。商店街に行くのであまり派手な格好は……」
「どこが派手なのよ。どう見ても、せいぜいそこそこ稼いでいる商家のお嬢様にしか見えないでしょう?今日のミュリエルを見て、誰がオーレンドルフの若奥様だと思うのよ」
「で、でも……」
「それとも何?わたくしのミュリエルが可愛くないとでも言いたいの?」
「そんなこと誰も言っていないでしょう!?俺はただ……」
「では、可愛く着飾った妻に『かわいいね、素敵だよ』くらい言いなさいな!あの不器用な閣下ですら、わたくしが着飾ればちゃんと褒めてくださいますよ!?」
お義母さまは強くジェフリーを叱責した。メイド達はお義母さまの言葉に賛同するようにうんうんと大きく頷く。ここに彼の味方は一人もいないようだ。
見かねたセバスチャンが口を挟む。
「奥様。坊っちゃまは若奥様の可愛らしいお姿を他の男に見せたくはないのですよ」
「なっ!?」
「本日の若奥様は誰もが振り返る程の愛らしさですからね。きっと坊っちゃまは不安なのです」
セバスチャンはやれやれと肩をすくめた。
「へぇー。ふーん。なるほどねぇ?」
「ち、違う!」
「もしかして、あなたがずっとミュリエルを城に閉じ込めていたのはそういう理由?」
「なっ!?閉じ込めていたのは母上でしょう!?」
「何を言っているの?妻の外出に必要なのは義母の許可ではなく夫の許可でしょう?わたくしにミュリエルの外出を制限する権利なんてないわ。ミュリエルが外に出られないのはあなたが許可を出さないからよ」
「……許可ならいつも出しています」
「それはわたしと一緒に出かける時の話でしょう」
「そ、そもそもミュリエルが自分から外出したいなんて言わないので。許可を出すも何もないんです!」
「あなたが言えない雰囲気を作っていたのではなくて?」
先程まで和やかだったエントランスの雰囲気が一気に険悪になる。この空気に耐えられなかった私はお義母さまとジェフリーの間に割って入った。
「お、お義母さま!」
「ミュリエル。行きたいところがあれば遠慮せずに言えば良いのよ?」
「いいえ、お義母さま。私に行きたいところなんてありませんわ」
行きたいところなんてない。やりたいことも特にない。ジェフリーがいる場所が私のいる場所で、ジェフリーのしたいことが私のしたいこと。私はお義母さまの前でそう宣言した。
するとお義母さまはとても険しい顔をした。その顔はジェフリーにとてもよく似ていた。
「ミュリエル……」
「あ、でもジェフリーと一緒ならブティックもオペラも行きたいです!」
私は、今度はジェフリーの方を向いて、甘えるように「今度連れて行ってください」とおねだりした。
ジェフリーはグッと眉間に皺を寄せたかと思うと、思い切りそっぽを向く。ひどい。
「ちょっと、ジェフリー。その態度は何なの!?」
お義母さまの顔が一気に鬼になる。まずい。
これ以上は親子喧嘩に発展してしまうと判断した私は、咄嗟にジェフリーの手を掴んだ。
「さ、さあ行きましょう!デート楽しみですっ!」
「デートじゃないってば」
「では、お義母さま!行ってまいります!!」
私はデートじゃないと言うジェフリーを無視して強引に外に出ると、そのまま用意されていた馬車に乗り込んだ。
向かいに座ったジェフリーは不貞腐れたまま、こちらを見ない。
「……もう。ジェフリーのお馬鹿」
「何だと?」
「お義母さまと喧嘩するジェフリーはお馬鹿さんです」
「喧嘩してない」
「しそうになってました。お義母さまを怒らせたら、日が暮れるまでお説教コースだと嘆いていたのは貴方でしょう?せっかく私が良い感じに場を収めようとしていたというのに」
「……それは、すまん」
ジェフリーは小言を言われてバツの悪そうな顔をしたものの、自分が悪いことは理解しているのか素直に謝った。珍しい。
私はそんな彼が素直にちょっと可愛く見えてしまって、無意識にクスッと笑ってしまった。
「……笑うなよ」
「ごめんなさい。何だか可愛くて」
「可愛いって言うな」
「どうして?」
「可愛くないから」
「可愛いです。ジェフリーは可愛い。ふふっ」
「可愛くない。可愛いっていう言葉は今の君みたいな人に使う言葉だ。男に使う言葉じゃない」
「あら、それは偏った考えで………、え?」
今、可愛いって言った?
私は疑いの眼差しでジェフリーを凝視する。
すると、ぶすっとした顔をして外の景色を眺めるジェフリーの耳がみるみる赤くなっていく。
そんな顔をするくらいなら言わなきゃいいのに。
「うるさいな」
「まだ何も言ってませんけど。最近なんだか様子がおかしくないですか?」
この間までのジェフリーなら、絶対に可愛いなんて言わなかったのに。
「らしくないです」
「……うるさい」
ジェフリーは怪訝な顔をする私を見て不服そうに眉根を寄せた。
「可愛いよ!君はいつでも可愛いよ!今日だけじゃなくていつも可愛い!」
「いや、そんな挑むように言われても」
無理しなくて良いのに。不器用なりに頑張ってくれているのだろうが、やはり慣れない。何だかこそばゆい気持ちになる。
長年の塩対応に慣れている私は、唐突の褒め言葉に対応できない。
「……ジェフリーは日頃の行いが悪いのですよ」
「何の話だよ」
「別に」
私は熱った顔を隠すように窓の外を眺めた。
なんか、心がムズムズする。
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