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第一章 お姉様の婚約者
5:月が綺麗な夜のこと(1)
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ずっと好きだった。姉様だけしか映さないあの瞳がずっと、狂おしいほどに好きだった。
私もあんなふうに愛されたかった。あの瞳がこちらを向けばいいのにと、何度も願った。
そして同時に、そんなことを願ってしまう自分にひどく嫌悪した。
私はそういう、人のものを欲しがるような汚い人間だ。汚くて、愚かで、醜くて……。
そんな最低な人間。
だからあの日。私は見て見ぬ振りをした。
月が綺麗に見える夜の庭園で、あらかじめ作られていた塀の穴から外の世界へ行こうとする姉様を引き留めなかった。
『自由になりたいの。もう、疲れた』
そう言って涙を流し、秘密の仲だった庭師と共にどこかへ行こうとする姉様を、私はただただ静かに見送った。
翌朝、大変なことになるなんて分かり切っていたのに。兄様がどんな顔をするのかなんて、分かり切っていたのに。
あの時の私は、兄様がこんな女と結婚しなくて良かったとさえ思った。
なんと愚かな姉妹だろう。
お義父さまはよく、私を責め立てるお義母さまを叱るけれど、私は罵られて当然の女だ。
罪は私にもある。だから責任を取らなくてはならない。
***
「兄様には、姉様を忘れて幸せになってほしいの」
オーレンドルフの分家で開かれた誕生会で、私は珍しく正装した兄様を眺めつつ、彼の母方の従姉妹にあたるバートン侯爵家の娘シルヴィアにそうこぼした。
壁の花に徹していたシルヴィアは扇で口元を隠しながら、舌を鳴らす。令嬢として、舌打ちはさすがにはしたないと思う。
「……ちょっとミュリエル。話しかけないでくれる?」
「どうしてそんな酷いことを言うのよ。私たち友達でしょう?」
「違うわ、顔見知りよ。夜会では話しかけないでと前にも言ったでしょう」
「壁の花に徹していたいから?」
「そうよ。わかっているのならどうか近寄らないで。あなたが近くにいると目立って困るの」
恥ずかしがり屋なシルヴィアがキッと私を睨む。
そんなにら怒らなくてもいいのに。私は口を尖らせた。
「言うほど目立ってないと思うけれど」
「周りを見てごらんなさいな」
シルヴィアが顎をクイッとあげて、辺りを見渡すよう促す。私は言われるがままに周囲を180度確認した。そして頷く。
「うん。なんだかとっても見られているわね!」
私たちの周りだけクレーターができていた。同年代の男性たちがチラチラとコチラを見ては目を逸らすを繰り返す。
「ふむふむ。うーん……」
これは何というか、不思議な感覚だ。私は腕を組み、考えた。
正直、好奇の視線なら慣れっこなのだが、今日のこれは少し違う。
初めましての人が多いからだろうか。この視線はどちらかというと好意の視線のような気が……。
私は隣に立つシルヴィアとの距離を縮めると、彼女の耳元で囁いた。
「シルヴィアってモテるのね」
「いや、あたしじゃねーよ!?」
思わず言葉が崩れるシルヴィア。そんなに変なことを言っただろうか。
私がコテンと首を傾げると、シルヴィアは何故か大きなため息を吐いた。
「あの好意の視線は全部あなたのものよ」
「それはシルヴィアの勘違いよ。好奇の視線なら話は別だけれど」
首都の夜会に出るといつもヒソヒソと内緒話をされる。そして決まって「かわいそうに」と言われる。それが当たり前の世界で5年も生きてきた。
だからわかる。そんなわけないと。
しかしそう言うと、シルヴィアまたしても大きなため息をこぼした。
「そりゃ、首都であなたに声をかける勇気のある男なんていないわよ」
「どういう意味?」
「みんな、身の程をわきまえているってこと。それに首都には聖教区もあるしね。そんな場所では誰も神の教えに背こうなんて思わない。でもこういう、地方のちょっと軽めの夜会では気持ちも緩くなるの」
「そうなんだ。シーズン以外はほとんど出歩かないから知らなかったわ」
「いい?ミュリエル。あなたは分かりやすい美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ちをしているし、その光の当たる角度で色が変わって見える髪は特別感があって羨ましいし、海色の瞳は不思議だけど綺麗だし……」
「そんな褒めても何もでないわよ?」
「褒めてない!!と・に・か・くっ!普通の美的感覚を持っていれば、ちょっかいをかけたくなる程度には可愛いの!それを自覚しなさい!」
「あ、ありがとう……?」
「だから褒めてないってば!」
「えぇ……」
どう聞いても褒められているようにしか思えないのだが。これを褒め言葉と捉えるのは私の自意識が過剰だと言うことなのだろうか。
「でも私、人妻よ?」
「人妻でも関係ないでしょ。こういうのは。特に貴女達はいつ離婚するかわからないもの。今のうちに仲良くなっておけば、あなたが捨てられた時にチャンスが回ってくるかもしれないでしょう?」
「なんてことを言うのよ。離婚しないわ」
「どうだか」
「酷い。友達なら応援してよ。私のこの不毛な片思いを」
「友達じゃない!」
「はいはい。というか、私のことを評価してくれるのはありがたいけど、私よりシルヴィアの方が断然いい子だし可愛いわよ。ほら」
私はシルヴィアの伊達メガネをヒョイッと取り上げると、自分の頭についていた花飾りを一つ取り外して彼女の髪につけた。
その艶やか長い黒髪と白いデイジーの花飾りはとても相性が良く、私は満足げに頷いた。
「うん。やっぱり可愛い」
「………」
「シルヴィアはもっと自信を持ったほうがいいわ」
私が毛先に口付けてニコッと微笑むと、シルヴィアは何故か顔を真っ赤にして「うるさい」と怒ってしまった。
褒めただけなのに、解せない。
私もあんなふうに愛されたかった。あの瞳がこちらを向けばいいのにと、何度も願った。
そして同時に、そんなことを願ってしまう自分にひどく嫌悪した。
私はそういう、人のものを欲しがるような汚い人間だ。汚くて、愚かで、醜くて……。
そんな最低な人間。
だからあの日。私は見て見ぬ振りをした。
月が綺麗に見える夜の庭園で、あらかじめ作られていた塀の穴から外の世界へ行こうとする姉様を引き留めなかった。
『自由になりたいの。もう、疲れた』
そう言って涙を流し、秘密の仲だった庭師と共にどこかへ行こうとする姉様を、私はただただ静かに見送った。
翌朝、大変なことになるなんて分かり切っていたのに。兄様がどんな顔をするのかなんて、分かり切っていたのに。
あの時の私は、兄様がこんな女と結婚しなくて良かったとさえ思った。
なんと愚かな姉妹だろう。
お義父さまはよく、私を責め立てるお義母さまを叱るけれど、私は罵られて当然の女だ。
罪は私にもある。だから責任を取らなくてはならない。
***
「兄様には、姉様を忘れて幸せになってほしいの」
オーレンドルフの分家で開かれた誕生会で、私は珍しく正装した兄様を眺めつつ、彼の母方の従姉妹にあたるバートン侯爵家の娘シルヴィアにそうこぼした。
壁の花に徹していたシルヴィアは扇で口元を隠しながら、舌を鳴らす。令嬢として、舌打ちはさすがにはしたないと思う。
「……ちょっとミュリエル。話しかけないでくれる?」
「どうしてそんな酷いことを言うのよ。私たち友達でしょう?」
「違うわ、顔見知りよ。夜会では話しかけないでと前にも言ったでしょう」
「壁の花に徹していたいから?」
「そうよ。わかっているのならどうか近寄らないで。あなたが近くにいると目立って困るの」
恥ずかしがり屋なシルヴィアがキッと私を睨む。
そんなにら怒らなくてもいいのに。私は口を尖らせた。
「言うほど目立ってないと思うけれど」
「周りを見てごらんなさいな」
シルヴィアが顎をクイッとあげて、辺りを見渡すよう促す。私は言われるがままに周囲を180度確認した。そして頷く。
「うん。なんだかとっても見られているわね!」
私たちの周りだけクレーターができていた。同年代の男性たちがチラチラとコチラを見ては目を逸らすを繰り返す。
「ふむふむ。うーん……」
これは何というか、不思議な感覚だ。私は腕を組み、考えた。
正直、好奇の視線なら慣れっこなのだが、今日のこれは少し違う。
初めましての人が多いからだろうか。この視線はどちらかというと好意の視線のような気が……。
私は隣に立つシルヴィアとの距離を縮めると、彼女の耳元で囁いた。
「シルヴィアってモテるのね」
「いや、あたしじゃねーよ!?」
思わず言葉が崩れるシルヴィア。そんなに変なことを言っただろうか。
私がコテンと首を傾げると、シルヴィアは何故か大きなため息を吐いた。
「あの好意の視線は全部あなたのものよ」
「それはシルヴィアの勘違いよ。好奇の視線なら話は別だけれど」
首都の夜会に出るといつもヒソヒソと内緒話をされる。そして決まって「かわいそうに」と言われる。それが当たり前の世界で5年も生きてきた。
だからわかる。そんなわけないと。
しかしそう言うと、シルヴィアまたしても大きなため息をこぼした。
「そりゃ、首都であなたに声をかける勇気のある男なんていないわよ」
「どういう意味?」
「みんな、身の程をわきまえているってこと。それに首都には聖教区もあるしね。そんな場所では誰も神の教えに背こうなんて思わない。でもこういう、地方のちょっと軽めの夜会では気持ちも緩くなるの」
「そうなんだ。シーズン以外はほとんど出歩かないから知らなかったわ」
「いい?ミュリエル。あなたは分かりやすい美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ちをしているし、その光の当たる角度で色が変わって見える髪は特別感があって羨ましいし、海色の瞳は不思議だけど綺麗だし……」
「そんな褒めても何もでないわよ?」
「褒めてない!!と・に・か・くっ!普通の美的感覚を持っていれば、ちょっかいをかけたくなる程度には可愛いの!それを自覚しなさい!」
「あ、ありがとう……?」
「だから褒めてないってば!」
「えぇ……」
どう聞いても褒められているようにしか思えないのだが。これを褒め言葉と捉えるのは私の自意識が過剰だと言うことなのだろうか。
「でも私、人妻よ?」
「人妻でも関係ないでしょ。こういうのは。特に貴女達はいつ離婚するかわからないもの。今のうちに仲良くなっておけば、あなたが捨てられた時にチャンスが回ってくるかもしれないでしょう?」
「なんてことを言うのよ。離婚しないわ」
「どうだか」
「酷い。友達なら応援してよ。私のこの不毛な片思いを」
「友達じゃない!」
「はいはい。というか、私のことを評価してくれるのはありがたいけど、私よりシルヴィアの方が断然いい子だし可愛いわよ。ほら」
私はシルヴィアの伊達メガネをヒョイッと取り上げると、自分の頭についていた花飾りを一つ取り外して彼女の髪につけた。
その艶やか長い黒髪と白いデイジーの花飾りはとても相性が良く、私は満足げに頷いた。
「うん。やっぱり可愛い」
「………」
「シルヴィアはもっと自信を持ったほうがいいわ」
私が毛先に口付けてニコッと微笑むと、シルヴィアは何故か顔を真っ赤にして「うるさい」と怒ってしまった。
褒めただけなのに、解せない。
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