【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々

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第一章 お姉様の婚約者

16:ひどく身勝手な(2) *side ジェフリー

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「………… 想像よりもはるかに美しく成長した妻に欲情する自分が許せないか?」

 応接室の窓から外を見下ろし、眉間に皺を寄せる俺をアルベルトは鼻で笑った。
 他の男と楽しそうに談笑する妻を見つめる友人の姿がそんなにおかしいのか。
 俺はアルベルトを睨みつける。だが彼はそれすらも嘲笑った。

「夫の都合で勝手に見合いをセッティングされるなんて、夫人も可哀想にな」
「別に見合いとは言ってない。ただ友人の弟を紹介しただけだ」
「言っていなくとも状況は完全に見合いだ。誰でも気づくぞ。むしろ気づかない方がおかしい」

 年頃の男女を引き合わせ、「あとは若い二人で」と席を離れ、彼らを二人きりにするなんてお見合い以外の何ものでもない。アルベルトは馬鹿だなとため息をこぼした。
 
「なんで見合いなんてさせるんだよ」
「準備が整ったから」
「離婚の?」
「ああ。でもミュリエルの実家はあまり信用できないから、彼女をあそこに返すのは抵抗があってな」
「だから離婚後の嫁ぎ先を用意しておかないとって?」
「そういうことだ」
「ハッ。それはそれは。随分とお優しい旦那様だな」
「……馬鹿にしているのか?」
「ああ、馬鹿にしている。だって馬鹿だからな」
「喧嘩は売られても買わない主義だ」
「別に売ってないし。……なあ、ジェフリー。そんな顔をするなら、今からでも下に降りて見合いを潰してきたらいいじゃないか」
「……そんな顔ってどんな顔だよ」
「こんな顔だよ、馬鹿」

 アルベルトはそう言って、上着のポケットに入れていた手鏡を俺に渡した。
 鏡に映った俺の顔は、見るに堪えないものだった。
 だから俺はその手鏡を突き返し、見なかったことにした。

「……なんで手鏡なんて持ってるんだよ」
「婚約者の忘れ物。この後、届けようと思って」
「そうかよ」
「で?どんな顔をしていた?」
「……」
「後悔してるって顔してなかったか?」
「してない」
「素直じゃないねぇ」
「うるさい」
「まあいいや。でもな、ジェフリー。俺は弟が可愛いんだ」
「……は?なんだよ急に」
「実を言うと、夫人の容姿はグレンのタイプのど真ん中だ」
「だから何だって言うんだよ」
「だからやっぱり後から離婚したくないとか言われても、知らないからなってこと。もしグレンが夫人を気に入ったのなら、俺はあいつの恋を応援するつもりだぞ」
「…………それは」
「後悔しているのなら早いうちに考え直せ。……まあ、もう手遅れかもしれないがな」

 アルベルトはまた、俺を見て鼻で笑った。
 俺のことを馬鹿で哀れなやつだと思っているのだろう。そんなこと、言われなくても俺が一番わかっている。
 けれど、もうこれ以上、ミュリエルを俺のそばに置いておくわけにはいかないのだ。

 ーーーだって、もう耐えられない。

 少し気を抜けば、あの赤子のような柔らかな肌に触れたくなる。
 その細く弱々しい肩を抱きしめたくなる。
 思ってもいないくせに、好きだ好きだと言ってくるあの残酷な口を塞ぎたくなる。
 何もされるわけがないと、安心し切っているあの呑気な顔を歪めてやりたくなる。

 何もかも全部ぶつけて、この生温い平穏を壊したくなる。

「…………そんなの、許されない」

 ミュリエルの中の俺は、いつまでもお姉様の婚約者だ。彼女が俺に求めているのは今も、あの頃と変わらない優しい兄様。間違っても、こんな汚い感情を押し付けてくる夫じゃない。
 
「ミュリエルが望むなら、俺はいつまでも兄でいなければならない。それがせめてもの償いだったんだ。でももう、これ以上は我慢できそうにない」
 
 俺はいつか、衝動に駆られてミュリエルに触れるだろう。
 その時、多分俺は死にたくなる。

 アルベルトはそう語る俺を見て、肩をすくめた。そして出窓に腰掛け、庭園を見下ろしながら、わかんないなと呟いた。

「別に、欲情したっていいじゃん。彼女はお前の妻なんだから。たとえお前に対して恋愛感情を持っていなくとも、好かれてはいるんだろ?だったらなんの問題もないじゃないか」
「は?バカ言うな。問題しかない」
「年齢のことか?6歳の差なんてよくあることだろ」
「違う。そうじゃない」
「じゃあやっぱり問題なんてないじゃないか」
「結婚もしてない奴がわかったような口を聞くな」
「もうすぐ結婚予定だから実質既婚者だ」
「どんな理屈だよ」
「はあ……。いいか、ジェフリー。俺と俺の婚約者は政略により結ばれた仲だが、時間をかけてお互いに歩み寄る努力をした。毎日手紙を送り合い、お互いの好きなものを知り、嫌いなものを知り……。時にはふと芽生えた愛おしさをそのまま相手に伝えたりもした。その結果、彼女は俺に好意的になり、俺も彼女に好感を持っている。巷で流行りの恋愛小説のような激情は感じないけれど、徒に触れてみたくなる程度には欲情する」
「…………俺と君では状況が違うだろう」
「同じだよ。お前たちだって、政略により結ばれた仲だろ?そして、夫婦になろうと歩み寄ってきた。……まあ、お前はどうかわからないが、少なくとも夫人の方はお前の妻になろうと努力してきたんだろ?毎日毎日、好きだ好きだと言われてきたんだろ?」
「それは、そうだけど……」
「どれだけ『好きになってはいけない』と自分を律していたとしても、毎日毎日、いじらしく愛の言葉を紡ぐ姿を見れば、揺るがずにはいられない。たとえそれが恋愛感情からくる『好き』ではないとしても、絆されてしまうのは普通のことだよ。男なら尚更な」

 ミュリエルを好きになるのは自然なこと。何もおかしなことじゃない。胸を張って堂々と彼女に好きだと伝えればいい。素直になれ。アルベルトは諭すようにそう繰り返し、俺の肩をポンと叩いた。
 友人として、俺の恋を応援してくれているつもりなのだろう。だけど、

「ダメなんだよ……」

 俺は力無く呟いた。

 
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