【完結】狂愛の第二皇子は兄の婚約者を所望する

七瀬菜々

文字の大きさ
上 下
67 / 80

64:聖女爆誕(1)

しおりを挟む
 あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。
 目を覚ましたリリアンは真っ白な天井に描かれたあの世の風景とこちらを見下ろす女神像を見渡し、舌を慣らした。
 自分の詰めの甘さに吐き気がする。
 長らく戦場を離れていたから、なんてのはただの言い訳だ。ハイネ家の人間がこんなにアッサリと敵の手に落ちるなどあってはならない。

「お父様にバレる前に帰らなきゃ」

 どんな相手でも怒った時の父の恐ろしさには敵わない。リリアンは枷がつけられた手で器用に上体を起こした。
 足には枷がついていないところを見る限り、体術は使えないと思われているのだろう。奴らの勘違いに少し安堵した。

「ふふっ。お目覚めかしら、公女様」

 無駄に音が響く神殿の特別祈祷室。耳障りなルウェリンの声にリリアンは眉を顰めた。
 ただでさえ物語の小悪党のような彼女の登場に辟易しているというのに、彼女の背後には黒いローブを目深に被った魔法師と、神に仕えているはず司祭たちがずらりと並ぶ。皆、皇族が国の安寧を祈願して祈るこの場所にはふさわしくない者たちだ。
 リリアンは彼らの顔を一通り眺め、フンと鼻で笑った。

「見知った顔がチラホラと……、気のせいかしら」
 
 リリアンが凄むと、魔法師たちは一歩後ずさる。この程度で怯む覚悟ならば、初めからこんな女に加担しなければいいのに。

「……ありがとう、夫人。最近寝不足だったから助かったわ」

 リリアンはわざとらしく大きなあくびをした。この状況で『よく眠れた』と余裕の笑みを見せる彼女にルウェリンは舌を鳴らす。
 泣きながら命乞いをする様を期待していたようだが、生憎リリアンはこんな奴のために流す涙を持ち合わせてはいない。

「その余裕、いつまで続くかしらね」
「慌てふためいて泣き叫ぶ私が見たいのなら、それ相応のことをしていただかないと」
「そう、ではご希望にお答えするわ」

 ルウェリンはそういうと、近くにいた男のローブを乱暴に剥ぎ取った。
 ローブの中から現れたのは、寝衣のまま連れ出されたであろう皇后クレア。
 乱れた長い黒髪と裸足のまま歩かされ傷ついた足。そしてジェレミーとよく似た面立ちに浮かぶ絶望と恐怖の表情にリリアンは顔を歪めた。
 彼女は今、信じていた人に裏切られたことで混乱している。恐ろしくて涙も声も出せないようだ。
 ただでさえ不安定な精神状態にある人になんてことをしてくれたのだろう。

「……ははっ。これで、グレイス侯が何をどうやってもあなたは死を免れないわね。皇后誘拐の罪は重いもの」

 リリアンは大きく息を吸い、手枷を壊そうと手首に魔力を集中させた。
 しかし、集めた魔力はシャボン玉が弾けるようにパチっと音を立てて消えた。
 その様子にルウェリンはニヤニヤと品のない笑みを浮かべる。

「……ああ、そう」

 リリアンは何か納得したようにため息をこぼした。この女もそこまで馬鹿ではないらしい。

「ご丁寧に、魔法師用の枷を用意してくれていたのね。後でこれを用意した魔法師の名前を教えてくれると嬉しいわ。手足をもいで差し上げないといけないから」
「あら、強がるのも大概にしては?見苦しいだけよ、公女。残念だけど、あなたには何も出来ないわ」
「強がってるつもりはなかったのだけれど。ふぅ……、まあ仕方がないわよね」

 リリアンはゆっくりと立ち上がると首を鳴らし、足首を回した。
 久しぶりだから上手く手加減出来るかわからないが、魔力が封じられては仕方がない。
 リリアンはこれからの展開を頭でイメージすると、大きく深呼吸をして地面を蹴った。
 
「なっ……!?」

 ルウェリンが驚いた次の瞬間には、クレアはリリアンの後ろにいた。
 風を切る勢いでそばを通り過ぎた彼女は、ルウェリンを取り囲んでいたはずの男たちを次々と薙ぎ倒した。
 背後に回り込んで枷を利用して首を絞めたり、目潰ししたり、飛び蹴りしたり、挙句男の急所を蹴り上げたりと、やりたい放題だ。
 魔法師が応戦しようと詠唱するも、それをし終える前に彼女が打撃を与えてしまうため、彼らにはもう打つ手がなかった。

「足枷もつけておくべきだったわね、夫人?」

 リリアンはクスッと小馬鹿にしたように笑う。
 ここまで体術も優れているなど聞いていない。魔法を封じればどうにかなると思っていたルウェリンは悔しそうに顔を歪めた。

「さあ、どうする?こんな状態の私と皇后様がこの神殿の飛び出せば世間は大騒ぎよ?」
「……このまま逃げるつもり?逃げられるとでも?」
「逃げられない理由なんてある?魔法が使えないくらい、私には瑣末なことよ」

 敵はあと20と少し。だがまともに戦えそうな奴はそう多くもなく。加えて、ここから逃げるのに奴らを全滅させる必要性はない。クレアを担いで走れば済む話だ。
 ルウェリンはそう話す彼女にギリっと奥歯を鳴らした。
 
「……これを見てもまだそんなことが言えるかしらね!」

 それはまるで地団駄を踏む子どものように、ルウェリンは床の大理石を勢いよく踏む。
 すると真っ白な大理石の一部が不自然に切り取られたかのように窪み、カチッと何かがハマる音がし、次の瞬間には地鳴りのような音が祈祷室に鳴り響いた。
 リリアンはクレアを庇うようにして体勢を低くした。地震ではないこの揺れの正体がわからない。

「……と、扉が」

 クレアはその漆黒の瞳を大きく見開いた。女神像の後ろの壁に扉が現れたのだ。
 ルウェリンはその、ふくよかな人が一人通れるかどうかの扉をゆっくりと開ける。すると中には檻に入れらた貧相な身なりをした人たちと、おそらく人の血で描かれたであろう魔法陣があった。



 
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが

カレイ
恋愛
 天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。  両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。  でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。 「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」  そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える

たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。 そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

処理中です...