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36:恋の自覚

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   執務室に戻ったヨハネスは奥の仮眠スペースに入り、すぐにカーテンを閉めた。 
 そしてベッドに突っ伏して枕に顔を埋めると、『うおおおお!』と叫ぶ。
    
「……考えるってなんだよ」

    静まり返った部屋で、ヨハネスはポツリと呟いた。
 考える余地などない。猶予期間はとっくに過ぎ、二人は正式に婚約した。だから、リリアンが再びヨハネスの元に戻る可能性などゼロに等しい。
 仮にジェレミーと婚約を破棄したとしても、すでに公国の姫との婚約が決まっているヨハネスが彼女を娶る事はできない。

「ダニエルのやつ、別に好きじゃないって言ってるのに……」
 
   リリアンは妹みたいな存在で、大切だけどそれ以上でもそれ以下でもない。ヨハネスは心の中でそう繰り返した。

 ……本当は、不意に触れたくなる時がある。それがどこからくる衝動なのかも薄々気づいている。
 けれど自分から手を離したのに、それを口に出す事は許されない。

「とりあえず、リリアンに話を聞いてみよう」

 ジェレミーの恋を応援すると誓った。
 淡い恋心を抱く幼馴染より、弟の方が大切だ。
 
 ヨハネスは大きなため息をこぼし、少しだけ眠った。


 ***

    それから2日後の昼過ぎのこと。
 ジェレミーの仕事の都合で2日ぶりに城に向かうリリアンの手には、真っ新なノートが握られていた。
 先日言っていた交換日記だ。
 この歳で交換日記など、恥ずかしい気もするが、彼のあの笑顔が見られるのなら仕方がない。

(……笑うと可愛いんだもの)

    澄ました顔もかっこよくて好きだが、やはり笑顔が一番好きだ。リリアンは揺れる馬車の中で、ノートをキュッと抱きしめた。

「お嬢様、なんだか楽しそうですね」
「そう?」
「ええ。婚約者がジェレミー殿下に変わってから、何だか恋の楽しさを知ったようなお顔をされています」

 向かいに座るケイトは優しい笑みを浮かべてそう言った。
 リリアンは『恋』という単語に、少し頬を赤らめる。

「こ、恋?」
「恋でしょう?そのお顔はもう、恋する乙女のお顔です」
「恋……。これは恋なのかしら……」
「逆に聞きますが、恋でないのなら何だというのです?」
「ゆ、友情?」
「友情でそんな顔はしません」
 
    ケイトはコンコンと馬車の窓を叩き、窓に映る自分を見るように促した。
    本当は自分で気づくまで待つつもりだったが、多分そんなのを待っていたら、この鈍感お嬢様は一生自覚しない。いい加減自覚してもらわねば、流石にジェレミーが可哀想だ。
 
「見てください。今、どんなお顔をされていますか?」
「どんなって……」

 リリアンが窓に顔を向けると、そこに映る自分の姿はいつかの夜会でヨハネスに熱い視線を送っていた令嬢たちと同じ顔をしていた。

「最近のお嬢様はおしゃれに気を配るようになりました。それは何故ですか?」
「何故……?」

    何故だろう。いつからか、リリアンは念入りに化粧をするようになった。
 ヨハネスと会う時はリップの色や髪飾りをどうするかと聞かれても、『何でも良い』と答えていたのに、今はああでもない、こうでもないと言いながら自分で選ぶようになった。
 ジェレミーの好きな色はどれだろう。好きなデザインはどれだろう。
 自然と、そんな事を考えながら選んでいる。
 今朝のリップを選ぶ時も『今日はキスするのかな』とか、そんなことも考えたりした。

(あ、むり。恥ずかしい……)

    色々と自分の行動を思い出したリリアンは、ノートで顔を隠した。

「そうか……。こ、これが恋なのね……」

    そう呟く彼女にケイトは『ようやく自覚したか』と呆れたように笑った。
 
「ちゃんと、気持ちをお伝えしないといけませんね」
「……つ、伝える?」
「ええ。殿下のことが好きになったのなら、そうお伝えしてさしあげませんと!殿下はきっと、お待ちです!」
「……それって、好きだって言うってこと?」
「はい!」
「そ、それって、俗に言う『告白』ってやつ?」
「はい!」
「……」
「……お嬢様?」
「そ、そうよね。ちゃんと、伝えなきゃいけないわよね……」


 いつも全身で愛情を表現してくれるジェレミーには、ちゃんと言葉で気持ちを返すべきだ。
 リリアンは大きく深呼吸をし、『よし』と気合を入れた。


 
 それからすぐ、馬車は城に到着した。
 軽くノックされた馬車の扉はゆっくりと開き、見慣れた表情をしたジェレミーがひょこりを顔を出す。
 リリアンは、彼の手を取ると馬車のステップを降りた。

「二日ぶりなのに、久しく会ってない気がするな。会いたかったよ、リリアン」
「わ、私も、よ。ジェレミー……」

 恋を自覚したからだろうか。いつもと同じ、少しこそばゆい彼の挨拶がより恥ずかしく感じる。
 リリアンは思わず目を逸らせた。

「リリアン?どうしたの?」

 様子のおかしい彼女を不思議に思い、ジェレミーは顔を覗き込んだ。端正な顔立ちをしているのは元からだが、いつもよりもキラキラして見える。
 リリアンは耐えきれずに、急接近した彼の肩を軽く押した。

「ジェレミー。ち、ちかい……」
「……え?」
「も、もう少し……、離れて……。死にそう……」
「俺、何かした?」
「無理。ちょっと、今は無理……」
「何が?すごく顔赤いけど大丈夫?」

    挙動がおかしいのは熱のせいかと思い、ジェレミーはリリアンの額に自分の額を近づけた。
 距離の近さと彼の額が自分の額に触れていると言う事実が、さらにリリアンの体を熱くする。昔、自分も同じような事をした記憶があるのに、何故こんなにも恥ずかしいのだろう。
 とうとうキャパシティの限界を迎えたリリアンはジェレミーを突き飛ばし、光の速さでいつも散歩している庭園の方へ走り去ってしまった。

「……キース」
「はい、殿下」
「何、あれ。すんごい可愛い顔してたんだけど」
「そうですね」
「そうですねって……、見たのか?」
「見てません。話を合わせただけです」
「良かった。見ていたらお前の目玉を抉りとってやらねばならないところだった。危ない危ない」
「本当にね!!こえーよ!!」

    あまりに理不尽な発言にキースは吠えたが、ジェレミーは気にも留めない。
 それよりも、さっきのリリアンの反応で頭がいっぱいだ。

「あんなの、もう好きだろ」

    あれは恋する乙女の反応だ。
 ジェレミーは急いでリリアンの後を追いかけた。


 
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