33 / 80
31:ジェレミーと母親(3)
しおりを挟む
皇帝アルヴィンと隣国から嫁いできた皇后クレアはまごう事なき政略結婚ではあったが、それを感じさせないほど仲睦まじい夫婦だった。どんな時も互いに尊重し合う姿は国民の憧れの的であり、ヨハネスもそんな両親が自慢だった。
仲の良い夫婦とその二人に愛される皇子。まさに理想的な家族だった。
そんな彼らの生活に変化が訪れ始めたのは、皇后の二度目の妊娠が発覚する少し前の頃からだ。彼女の情緒はなぜか不安定になり始めた。
何があったのかは誰にもわからない。ただ、ある日を境に、夫の顔を見ると『あなたは偽物ですか?』と尋ねるようになり、『本物だ』と答えると泣き出すようになった。
当初は、それからしばらくして二人目の妊娠が発覚したこともあり、妊娠による体調の変化で不安定になっているだけだと思われた。
だが、段々とそうでないことがわかりはじめる。 皇后は妊娠を拒絶したのだ。
わざと階段から落ちてみたり、自分の腹を殴ったり……。すべて護衛のイライザ・ミュラーのおかげで難を逃れたが、助けられるたびに彼女はこの子は生まれてはダメなのだと泣いた。
このままでは子供が生まれる前に妻が死んでしまうも知れない。そう思った皇帝は堕胎することを考えた。だが勿論のこと教会は堕胎を許さず、仕方なく皇后は出産までの期間を南の離宮で静養することに決まった。
景色の綺麗な海辺の宮殿だ。彼女は信頼できる侍女を数人と護衛のイライザ・ミュラー、そして息子のヨハネスと共に産前産後の一年ほどをそこで過ごすことになった。
そして十月十日、お腹の中で二人目の息子を育てた皇后は無事に出産した。難産の末、生まれてきたのは黒髪の元気な男の子だった。過去に皇帝を取り上げたこともある産婆は、生まれたばかりの赤子を見て父親である皇帝にそっくりだと言った。
しかし、皇后は赤ん坊を拒絶した。おそらく、彼の瞳の色が黄金に輝いていたせいだろう。
この時、周囲の人間は初めて正しく理解した。皇后がおかしくなった、その理由を。
-----皇后を姦通罪で処刑しろ。生まれた不義の子を殺せ
そんな声が教会から上がった。
帝国では皇族の姦通は死刑が常だ。そして不義の子は災いを呼ぶとして、その魂を清めるために教会の聖水の池に生きたまま沈められる。
つまり慣例に乗っ取れば、皇后も2人目の皇子もその時死ぬはずだった。
しかし、皇帝はその慣例には従わなかった。本当に姦通することは物理的に可能なのだろうか、と皇后を擁護したのだ。
皇后の周りには常に侍女がおり、基本的に彼女が一人になる時間は少ない。彼女の就寝中は常に選りすぐりの護衛騎士が目を光らせており、彼らの目を掻い潜って彼女に近づくことのできる男などそういない。だから瞳の色が違うというだけで姦通を疑い、帝国の繁栄に貢献した皇后を亡き者にするのはおかしいとした。
皇帝の決定には逆らえない教会は渋々、毎月教会に通い、身を清めることを条件に第二皇子を皇族として認めることにした。
「もう、何が正解かわかんねーな」
母親を部屋に送り届けたヨハネスは、母の部屋の前で必死に笑顔を作った。
医者の勧めでジェレミーは生まれてすぐ母親から引き離されている。ジェレミーさえ視界に入れなければ、彼女は笑うことができるからだ。
だからずっと、ヨハネスは母の前ではジェレミーの存在を隠してきた。母のためだと自分に言い聞かせながら、ジェレミーを除け者にして父と3人でパーティー出たこともあれば、彼がいない所で食事を楽しんだこともある。
自分たちが笑い合って食卓を囲むその裏でジェレミーがひとり、母の付き人たちから責められ、教会の司祭から不義の子だと罵詈雑言を浴びせられているのを知っていたのに、見て見ぬ振りをした。
最低なことをしているという自覚はある。けれど、心の奥深くで『ジェレミーさえいなければ』と思ってしまう自分がいることも、ヨハネスは自覚していた。
だから、罪滅ぼしのように、ただ弟を溺愛するそぶりを見せていたのだ。彼は自分にはそれしかできないと思っていたから。
それなのに……。
『もう1人います』
リリアンは堂々と皇后にそう進言した。
今まで守っていた暗黙の了解を破ってまで、ジェレミーの存在を母親に教えた彼女はとても辛そうに見えた。
「あれは本来、私が言うべき言葉だったのにな……」
ヨハネスは自嘲するような笑みを浮かべた。
弟を本気で可愛いと思うのならば、早々に彼の存在を母に認めさせるべきだったのに。
「ダニエル。リリアンとジェレミーは?」
「……ジェレミー殿下は執務室です。ハイネ嬢は先ほど帰られました」
「そうか」
「あの、ジェレミー殿下については特に心配はないと、先ほどクライン卿から連絡がありましたので……」
「心配はないって?」
「はい」
「……まあ、そうだろうな。リリアンがそばにいたんだから」
リリアンはジェレミーを笑顔にできる数少ない人物だ。
ヨハネスはやはり彼女を弟の婚約者にできてよかったと笑った。
その笑顔に隠された複雑な感情をダニエルが理解することはできない。
「陛下のところに報告へ行こう」
「はい……」
ヨハネスは先ほどの出来事を皇帝の元に報告に行った。
仲の良い夫婦とその二人に愛される皇子。まさに理想的な家族だった。
そんな彼らの生活に変化が訪れ始めたのは、皇后の二度目の妊娠が発覚する少し前の頃からだ。彼女の情緒はなぜか不安定になり始めた。
何があったのかは誰にもわからない。ただ、ある日を境に、夫の顔を見ると『あなたは偽物ですか?』と尋ねるようになり、『本物だ』と答えると泣き出すようになった。
当初は、それからしばらくして二人目の妊娠が発覚したこともあり、妊娠による体調の変化で不安定になっているだけだと思われた。
だが、段々とそうでないことがわかりはじめる。 皇后は妊娠を拒絶したのだ。
わざと階段から落ちてみたり、自分の腹を殴ったり……。すべて護衛のイライザ・ミュラーのおかげで難を逃れたが、助けられるたびに彼女はこの子は生まれてはダメなのだと泣いた。
このままでは子供が生まれる前に妻が死んでしまうも知れない。そう思った皇帝は堕胎することを考えた。だが勿論のこと教会は堕胎を許さず、仕方なく皇后は出産までの期間を南の離宮で静養することに決まった。
景色の綺麗な海辺の宮殿だ。彼女は信頼できる侍女を数人と護衛のイライザ・ミュラー、そして息子のヨハネスと共に産前産後の一年ほどをそこで過ごすことになった。
そして十月十日、お腹の中で二人目の息子を育てた皇后は無事に出産した。難産の末、生まれてきたのは黒髪の元気な男の子だった。過去に皇帝を取り上げたこともある産婆は、生まれたばかりの赤子を見て父親である皇帝にそっくりだと言った。
しかし、皇后は赤ん坊を拒絶した。おそらく、彼の瞳の色が黄金に輝いていたせいだろう。
この時、周囲の人間は初めて正しく理解した。皇后がおかしくなった、その理由を。
-----皇后を姦通罪で処刑しろ。生まれた不義の子を殺せ
そんな声が教会から上がった。
帝国では皇族の姦通は死刑が常だ。そして不義の子は災いを呼ぶとして、その魂を清めるために教会の聖水の池に生きたまま沈められる。
つまり慣例に乗っ取れば、皇后も2人目の皇子もその時死ぬはずだった。
しかし、皇帝はその慣例には従わなかった。本当に姦通することは物理的に可能なのだろうか、と皇后を擁護したのだ。
皇后の周りには常に侍女がおり、基本的に彼女が一人になる時間は少ない。彼女の就寝中は常に選りすぐりの護衛騎士が目を光らせており、彼らの目を掻い潜って彼女に近づくことのできる男などそういない。だから瞳の色が違うというだけで姦通を疑い、帝国の繁栄に貢献した皇后を亡き者にするのはおかしいとした。
皇帝の決定には逆らえない教会は渋々、毎月教会に通い、身を清めることを条件に第二皇子を皇族として認めることにした。
「もう、何が正解かわかんねーな」
母親を部屋に送り届けたヨハネスは、母の部屋の前で必死に笑顔を作った。
医者の勧めでジェレミーは生まれてすぐ母親から引き離されている。ジェレミーさえ視界に入れなければ、彼女は笑うことができるからだ。
だからずっと、ヨハネスは母の前ではジェレミーの存在を隠してきた。母のためだと自分に言い聞かせながら、ジェレミーを除け者にして父と3人でパーティー出たこともあれば、彼がいない所で食事を楽しんだこともある。
自分たちが笑い合って食卓を囲むその裏でジェレミーがひとり、母の付き人たちから責められ、教会の司祭から不義の子だと罵詈雑言を浴びせられているのを知っていたのに、見て見ぬ振りをした。
最低なことをしているという自覚はある。けれど、心の奥深くで『ジェレミーさえいなければ』と思ってしまう自分がいることも、ヨハネスは自覚していた。
だから、罪滅ぼしのように、ただ弟を溺愛するそぶりを見せていたのだ。彼は自分にはそれしかできないと思っていたから。
それなのに……。
『もう1人います』
リリアンは堂々と皇后にそう進言した。
今まで守っていた暗黙の了解を破ってまで、ジェレミーの存在を母親に教えた彼女はとても辛そうに見えた。
「あれは本来、私が言うべき言葉だったのにな……」
ヨハネスは自嘲するような笑みを浮かべた。
弟を本気で可愛いと思うのならば、早々に彼の存在を母に認めさせるべきだったのに。
「ダニエル。リリアンとジェレミーは?」
「……ジェレミー殿下は執務室です。ハイネ嬢は先ほど帰られました」
「そうか」
「あの、ジェレミー殿下については特に心配はないと、先ほどクライン卿から連絡がありましたので……」
「心配はないって?」
「はい」
「……まあ、そうだろうな。リリアンがそばにいたんだから」
リリアンはジェレミーを笑顔にできる数少ない人物だ。
ヨハネスはやはり彼女を弟の婚約者にできてよかったと笑った。
その笑顔に隠された複雑な感情をダニエルが理解することはできない。
「陛下のところに報告へ行こう」
「はい……」
ヨハネスは先ほどの出来事を皇帝の元に報告に行った。
8
お気に入りに追加
355
あなたにおすすめの小説

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる