上 下
138 / 149
番外編 ビターチョコレート

11:面倒くさいけど(2)

しおりを挟む
 その日の夜。ランはリズベットの部屋を訪れていた。
 時間からして、そろそろテオドールが来る頃合いなのだろう。リズベットは気まずそうに時計を見る。きっと逢い引きを邪魔されたくないのだ。
 だからランは時間は取らせないと言ってやった。
 すると、彼女は少し安堵したように「そうか」と笑った。

「単刀直入に言いますね。ちゃんと告白した方がいいです」
「な、何よ。急に……」

 藪から棒にそんなことを言い出すものだから、リズベットは動揺した。
 全てを見透かしたような胡桃色の瞳が、少し怖い。
 
「リズさんはいつまで可哀想な女の子のままでいるつもりですか?」
「どういう意味よ」
「あなたの呼ぶ『テオ』が墓の下に眠る男でないことは見ていればわかります」

 騎士団のみんなは、リズベットはテオドールのことが好きなのだと思っている。
 だからニーナは『二人の複雑な関係に気づいている人は少ない』と言っていたのだろう。
 だが、そんなことは当たり前だ。リズベットは実際に、テオドールを見ているのだから。
 テオドールを通してテオバルトを見ているわけじゃない。ちゃんとテオドールをテオドールとして見ている。
 見方が歪んでいるのは、下手に当時の状況を知ってしまっているニーナたちの方だ。

「あなたは、テオ様とテオバルトさんを似ているとは思っていても、テオ様を彼の代わりにはしていない。最初はどうだったか知らないけれど、今は違う」
「……何を言ってるの?」
「本当はもう気づいてる。二人は全くの別人で、あなたが好きなのはいつもあなたを気にかけてくれるテオ様の方。あなたの心にテオバルトさんが入り込む隙間なんてもうない。ただ彼の最後のひと言が気掛かりで前に進めないだけ」
「言っている意味がわからないわ……」
「もしくはテオ様を自分に繋ぎ止めていたいがために、未だ二人が重なって見えるフリをしている、とか?だとしたらかなりズルいわね」

 わざと挑発するような言い方をしてくるランをリズベットは睨みつけた。

「あら、図星?」
「喧嘩売ってんの?」
「売ってる」

 ランは食い気味に返した。

(怒ればいい)

 喧嘩にでもなれば、リズベットだって本心を吐き出すかもしれない。
 怒りに任せて言いたいことを全部ぶち撒けてしまえば、きっと心は少しスッキリするはず。
 
(そうして晴れた心であの人を見ればきっと、彼が自分を見ていることに気づいてくれるはず…‥)

 だからランは言葉を続けた。
 
「別に好きだったわけじゃないんでしょ?」
「……っ!?」

 リズベットはびくりと肩を跳ねさせた。さすがだ。反応がわかりやすい。

「リズさんはテオバルトさんのこと、『隊長』って呼んでいたと聞きました」

 ランはイアンにそれとなく、リズベットとテオバルトの関係を尋ねた。するとイアンは仲の良い兄妹のように見えたと言っていた。
 リズベットは別にテオバルトに恋をしていたわけじゃない。
 憧れてはいたが、それだけだ。当時はまだ、それ以上でもそれ以下でもなかった。

「好きでもなかった死人に義理立てする必要がどこに?」

 ランの鋭い視線にリズベットは目を逸らせた。
 胡桃色の瞳は前を見ろと言っている。
 心地の良い微睡の中でうずくまっていないで、いい加減に目を覚ませと言っている。
 
「お節介よね、本当に」

 リズベットが前を向いたら、真っ先にすることがテオドールへの告白だと知っているくせに。
 敵に塩を送るみたいなことをして、馬鹿みたいだ。
 でも、リズベットはランのそういうところが好きだ。
 だから、彼女の覚悟には応えないといけない。
 リズベットは大きく深呼吸をして、観念したように声を震わせながら口を開いた。

「……た、大切な人だった。あたしのこと大事にしてくれたの」
「そうですか」
「甘ったれだったあたしに現実を教えてくれた。そしてその上であたしを必要としてくれた。だからあたしは、隊長の期待に応えたくて頑張った」
「……うん」
「好きじゃなかったけど、好きになりかけてたの。多分あのまま同じ時間を過ごしていたら、きっと恋になってた」

 捻くれた性格も、口は意地悪なくせに触れる手は優しいところも、全部好ましいと思っていた。
 だからテオドールが目の前に現れた時、帰ってきてくれたのだと思った。

「似ていたの。声とか話し方とか。だから代わりにした。隊長と歩んだはずの未来を想像しながら、テオに恋をした。でも……」
「テオ様本人を好きになってしまったんですね」
「うん……」

 リズベットは目に涙をためて、頷いた。
 結局、誰かが誰かの代わりになるなんて不可能だ。絶対にどこかで歪みが生じる。
 テオドールとテオバルトは似ているけれど、全然違う人間で。
 リズベットは、リズベットの事情を知りながら、それでも何も言わずにそばにいて、ずっと死人の代わりをしてくれるテオドールに恋をした。
 気持ちがないのに気持ちがあるフリすらしてくれる、残酷なほどに優しい彼に、恋をした。

「テオがあまりに優しいから、つい甘え過ぎたわ」

 随分とひどいことをしたと思う。
 テオドールの気持ちがこちらにないのはわかっているのに、長い間自分に縛り付けていた。
 そのせいでテオドールは今、手を差し伸べた責任感と芽生え始めた恋心の狭間で揺れている。

 長く依存していたから、手を離すのは少し怖い。
 けれど、もう解放してあげなくては。 

 リズベットはそう言って不安げに笑う。ランは彼女の手をギュッと握った。

「大丈夫ですよ。そんなに必死にしがみつかなくても、リズさんなら大丈夫だから!きっと想いは報われます。だから真正面からあの人を見て。ちゃんと向き合って。代わりじゃないんだって、教えてあげてください」
「うん……。そうね。いつまでもこのままじゃダメよね」

 戦争は終わった。みんなそれぞれに前を向いて歩み出している。
 リズベットもそろそろ、ケジメをつけなくてはいけない。
 
 この恋を、

 リズベットは少しだけ寂しそうに目を細め、ランを見下ろした。
 ランは聡いのに、自分のことはあまり見えていない。
 だから彼女はひとつだけ、一番大事なことを間違えている。
 悔しいから、まだ教えてやる気はないけれど。

「あ、もしかしてテオバルトさんのこと気にしてますか?それも大丈夫。テオバルトさんには報告だけしておけばいいんですよ。死ぬほど面倒くさい男はどうせ死んでも面倒くさいんだから、謝ったって許してくれるわけないし、事後報告だけして逃げるが勝ちです!」
「あははっ。そこは彼も許してくれる、とか言うところじゃないの?」
「だって、絶対許してくれないでしょ?」
「うん。多分許してくれない。そういう人だもの。でも……」

 そういえば、一度だけ言われた気がする。
 『リズは泣き顔が一番可愛い』と。

「だから、墓の前で泣いて見せたら、あたしのことが可愛く見えて許してしまうかもしれないわ」
「……うわぁ。まじで性格悪い人だったんですね」

 ランは自分なら絶対に好きにならないと、心底嫌そうに眉を顰めた。
 リズベットは「ランは意外とそういう人の方が好きだと思うけど」と笑った。

「夏祭り、テオを誘ってみるわ」
「それがいいです」
「ラン。ありがとう」
「別に何もしてないです」  

 珍しく素直にお礼を言われたのが気恥ずかしいのか、ランは俯いて顔を隠した。
 リズベットはそんな彼女の前にしゃがみ込むと、下から見上げて顔を覗いた。
 
「最後にひとつだけ、聞いてもいい?」
「はい」
「どうしてそんなに、あたしのことわかるの?」
「わかりますよ。だって私も、同じ男を見ているのだから」

 ランはサラッと言った。
 あまりにアッサリと認めたものだから、リズベットは大きく目を見開いた。

「意外ね。認めるとは思わなかったわ」
「人の領域に土足で踏み込んでおいて、嘘をつくのは誠実ではないでしょう?」
「真面目ね」
「リズさんほどじゃないですよ」
「あたし、ランのこと好きよ」
「私も嫌いではありません」
「そこは好きって言ってほしいなぁ」

 リズベットはまるで姉が妹に言うように優しい声で、仕方がないなと呟いた。 



 そう、仕方がない。
 この小娘が相手なら、素直に負けを認めてやる。
 

 

 ***



 リズベットの部屋を出てすぐ、ランはテオドールと遭遇した。
 彼は何か言いたそうにしていたが、ランは無視して通り過ぎた。

 これはリズベットのためにやったこと。

 けれど、それが結果的には彼を救うことになるだろう。
 そのことが腹立たしいので、今はまだ話したくない。

「はあああああ」

 ランはまた大きなため息をこぼした。多分これで辛うじて残っていた幸せの残りかすも全部消えたことだろう。

「ほんと、面倒くさいんだから……」


 でも、そういう面倒くさいところは嫌いじゃない。

しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

愛を求めることはやめましたので、ご安心いただけますと幸いです!

風見ゆうみ
恋愛
わたしの婚約者はレンジロード・ブロフコス侯爵令息。彼に愛されたくて、自分なりに努力してきたつもりだった。でも、彼には昔から好きな人がいた。 結婚式当日、レンジロード様から「君も知っていると思うが、私には愛する女性がいる。君と結婚しても、彼女のことを忘れたくないから忘れない。そして、私と君の結婚式を彼女に見られたくない」と言われ、結婚式を中止にするためにと階段から突き落とされてしまう。 レンジロード様に突き落とされたと訴えても、信じてくれる人は少数だけ。レンジロード様はわたしが階段を踏み外したと言う上に、わたしには話を合わせろと言う。 こんな人のどこが良かったのかしら??? 家族に相談し、離婚に向けて動き出すわたしだったが、わたしの変化に気がついたレンジロード様が、なぜかわたしにかまうようになり――

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...