上 下
117 / 149
第三章 アッシュフォード男爵夫人

35:来世に期待(2)

しおりを挟む
 満月の夜、教会の馬車がヴィルヘルムの屋敷にやってきた。
 エレノア子爵夫人は騎士と共に、魔女とその関係者を馬車に押し込んだ。
 聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせてくる異端たちにも、夫人は微笑みを絶やすことなく毅然とした態度で接し、彼らを審問官に引き渡した。

「奥様、大丈夫ですか?」
「ありがとう。大丈夫よ。そう心配しないで」

 彼らの言葉に心優しい夫人が傷ついていないかと心配する侍女たち。
 しかし夫人は、彼女たちにも笑顔で返す。
 だって、

「あなたは羽虫の声に耳を傾けたことがあるの?」

 ただ単に耳障りなだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
 彼らの言葉はあくまでもそういった類の雑音でしかない。
 
 夫人はそう言って、やっぱり笑った。
 

 ***

  
 なぜ、こうなってしまったのだろう。 
 どうして、まるで犯罪者のように枷をつけられ、安っぽい馬車に押し込まれなければならないのだろう。
 ブランチェット伯爵には今の状況が何ひとつ理解できない。

 だから、険しい山道を走る馬車の中、彼は必死に考えた。
 どうすればこの状況を切り抜けられるかということだけを、必死に。

 眼前の妻はもう、娘が異端審問にかけられるという事実が受け入れられずに壊れ気味で使い物にはならない。
 ベアトリーチェは魔女として縄でしばられ、今は荷馬車に乗せられている。

 金を積めば教会は見逃してくれるだろうか。
 けれど、先ほど異端審問官は教皇が第一皇子派から抜けたと言っていた。
 ダニエルの策略に乗った結果、こうなっているということを考えれば今は金を積んでも難しいかもしれない。

「やはりベアトリーチェに魅了されていた被害者として振る舞うべきか……」

 もしここで、娘を庇えば自分も同じ異端として扱われる。
 ベアトリーチェには悪いが、それが一番現実的だろう。
 父から受け継いだ莫大な財産も、今の地位も何もかも、全て手放したくはないから。  

「これは仕方のないことだ」



 ブランチェット伯爵がそんな最低すぎる結論を導き出した時だった。急に馬車が大きく揺れた。
 夫人が恐怖のあまり、単語になっていない言葉を叫ぶ。
 伯爵は大きな石でも踏んだのかと、ギュッと目を閉じた。

 すると、何故だろう。急に水の音が聞こえた。

 水辺を通っていなかったはずなのに、おかしい。
 不思議に思った彼が恐る恐る目を開けると、そこには大きな滝壺があった。

「ひっ………!」

 あまりの壮大さに、その恐ろしさに、伯爵は尻餅をついたまま後退りする。  
 鬱蒼としげる森の中、カラスの鳴き声や風が草花を揺らす音さえも全てが不気味に聞こえた。

「こ、ここはどこだ!?」
「輪廻の滝ですよ」

 誰に問いかけたわけではないのに、答えが返ってきた。   
 どこかで聞いたことのある声だ。伯爵はゆっくりと、声のする方を見た。
 そこには外套のフードを目深に被った女と、赤目の男がいた。

「ごきげんよう、ブランチェット伯爵様」
「き、貴様はっ!」
 
 アッシュフォード男爵家の執事だ。
 男爵家に滞在中、ずっと胡散臭い笑みを浮かべて、こちらの要望を一切飲まなかったあの男だ。
 伯爵は彼につかみかかろうと立ち上がった。
 しかし手を拘束されているため、バランスが取れず横に倒れてしまう。
 赤目の執事はそんな彼を鼻で笑った。

「とても良い光景です。気分がいい」
「貴様、何がしたいのだ!」
「少しばかり、あなたにお聞きしたいことがあったのですよ」
「……何?」
「十数年前、あなたはヴィルヘルムの街で人を轢きましたね?」

 執事はにっこりと、相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべて、伯爵の前にしゃがみ込む。
 伯爵は何のことだかわからない、と返した。
 
「そうですか。覚えておいでではないのですか。残念です」

 では、思い出させてあげなくては。
 執事はそういうと、フードの女から鞭を受け取った。
 そして彼の腕を鞭で打った。
 汚い叫び声が、夜の樹海に響く。

「き、貴様!何を……」
「もう一度聞きます。人を轢き殺した覚えはありませんか?」
「し、知らん!」
「そうですか。ではもう一度」
「ぐぁ!?」

 そうやって、執事は同じ問答を何度も繰り返した。
 そして鞭を打って九回目。
 伯爵はついに認めた。その昔、ヴィルヘルムの街で人を轢いたことを。

「ああ、そうだ。確かに轢いた。けど、だから何だっていうんだよ!たかが平民一人を轢いたくらいで!」
「……」
「なんだ?お前はその平民の関係者か?もしかして復讐のつもりか?今更そんな理由で、私にこんな仕打ちをして許されると思っているのか!?」
 
 まるで反省が見えない。性根が腐り切っている。
 これはもう無理だ。期待できない。
 執事はその禍々しい真紅の瞳を細め、もう一度鞭を打った。

「……く、くそう」
「10回です」
「は?」
「あなたは今、10回鞭を打たれましたが、どうですか?自分が馬鹿だということを理解できましたか?」
「は?何の話だよ」
「そうですか。ならば仕方がありませんね」

 執事はそう言うと、伯爵のシャツの後ろ襟を掴んで滝壺の方へと引きずっていく。
 伯爵は首が締まり、苦しそうにジタバタもがく。
 だが執事はそんなこと、気にも留めない。

「うちの可愛い猪娘がね、教えてくれたんです。『10回くらい鞭打って、それでも自分が馬鹿であることが理解できないようなら今世は期待できない』って」
「はあ!?」
「僕は今、10回鞭を打ちました。けれど、あなたはご自分が馬鹿であることを理解できないようだ」

 ならば仕方がない。残念だが、今世はもう無理だ。
 執事は滝壺の端にブランチェット伯爵を立たせた。

「お、おい。やめろ……やめてくれ……」
「来世に期待してください。さようなら」

 執事は彼の敵の背中を思い切り蹴飛ばした。
 
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...