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第三章 アッシュフォード男爵夫人
28:名誉の決闘(3)
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それは一瞬の出来事だった。
レイピアを手にしたオリバーは、始まりの合図と共に一歩踏み出した。
そして一気に間合いを詰め、二、三回剣を交えたのち、イアンのレイピアを彼の手から叩き落とした。
武器を落とされては勝ち目はない。オリバーは戦争の英雄も大したことないなとイアンを嘲笑った。
しかし、彼が余裕ぶっていられたのはその瞬間までだった。
イアンはオリバーの顔に砂をかけて目をくらませると、しゃがみ込み、足を払って体勢を崩させる。そして瞬時に彼の背後に回り込み、ほぼゼロ距離で足を真上から振り落とすと、彼の顔面を容赦なく石畳の地面に叩きつけた。それから仕上げに彼の利き手を肘から容赦なくへし折り……というよりは粉砕し、戦闘不能へと追い込んだ。
どういう風に体を使えばとそんなことができるのだろう。一瞬の出来事すぎて。自身の身に何が起きたのか理解できないオリバーは笑うしかなかった。
「ははは……。いだい……」
「すまんな。レイピアとかあまり使わないから油断した。武器を落とされてはこうするしかない」
「こんなのズルだろ」
「どうする?ギャラリーはつまらないと残念がっているが、俺はこのまま降参でも良いぞ?無駄な殺生は好まんからな」
オリバーの背中を膝で押さえつけたまま、イアンは彼のレイピアを遠くに滑らせた。そして彼の首元に、どこからともなく取り出したガードのない短剣の剣先を押し当てる。
首に感じるひんやりとした感触にオリバーは思わず体を震わせた。
「どこから出したんだよ」
「袖」
「流石にズルくないか?砂かけて目眩しといい。というか、砂もどこから出したんだよ」
「ポケットに入れておいた。でもズルはお前だって人のこと言えないだろう?剣先に毒を塗っているのだから」
「気づいていたのか」
「先の方が少しくすんでいたからな」
「でも咎められないはずだ。なんでもアリなのだろう?侯爵閣下が言っていた」
「ああ、なんでもアリだな。だから今ここでお前の首にこの短剣を突き立ててもお咎めなしだ」
イアンは小声で話をしながら、少しずつ首元の短剣に力を入れる。
そして降参を促すように足でオリバーの背中を押さえつけた。
オリバーは苦しそうな声を漏らす。
「お前に勝ち目はない」
「でも……殺すように言われているんだよなぁ」
「無理だ。俺がお前らに殺されることはない。俺がお前を殺すことはあるかもしれないがな?」
「いいの?英雄殿のお姫様は人が殺されるところなんて見たことないだろ?卒倒するよ?嫌われるかもな」
「生憎だが、彼女は既に俺が人を殺すところを見ている。今更だ」
「……そんな姿を見て、よく逃げ出さなかったな」
「そういう人なんだよ」
そういう女だから、今もここにいる。
そう言われたオリバーは、目線だけ動かしてアイシャを探した。
しかし、イアンの陣営にアイシャはいない。
(あれ?どこに行った?)
やはり決闘を見るのが怖くて逃げたのだろうか。
「余裕だな?よそ見か?」
「あいだだだだだだ!背骨折れるって!」
「折ろうとしてんだよ。時間を稼いでどうする気だ?あの皇子は何を企んでいる?」
「俺が時間稼いでるってわかっててトドメを刺さないのは少し甘いのではないですかね、英雄殿?」
「別に好んで彼女に死骸を見せたいわけではないからな」
「死骸って……、せめて死体って言えよ……」
「それに、だ。そもそも俺の相手はお前だ。それ以外の相手は他の奴がするさ」
「それは英雄殿の騎士のことか?」
「まさか。ここにいる全員だよ」
「……は?」
「お前は忘れたのか?ここはアッシュフォードだぞ?」
長きにわたる戦争で研ぎ澄まされたアッシュフォードの民は、主人に向けられた刃を許しはしない。
オリバーを捕えられた今、ダニエルとたった5人の近衛が相手にしなければならないのはアッシュフォードの騎士団だけではないのだ。
下手な動きをすれば、民衆による集団リンチが待っている。
「何それ、怖っ」
そう言われてしまえば、酔っ払いが持つ酒瓶も、屋台のおやじが握る包丁も、どこぞの母ちゃんが手に持つフライパンも、全部が武器に見えてくる。
…………ところで、何故にフライパン?
「フライパンは武器なのか?」
「武器だぞ?あの威力を知らんのか?意外とお坊ちゃんなんだな」
「意味がわからん。……しかし、なるほどな。恥をかかせるために集めたのではなく、自分を守らせるために集めたのか」
「そういう関係性を築いてきたからな。何も言わなくても俺の望む通りに動いてくれる」
「英雄殿はやはり狡いな」
「狡くなければ生き残ってはいないさ」
「ははっ!間違いない!」
これはもう負けだ。この後に皇子が何をしようが敵いっこない。
オリバーは降参を口にしようとした。
しかし、その時だった。彼の言葉に被せるようにして何かが倒れる音と共に歓声が湧いた。
先程まで観戦し甲斐のないオリバーとイアンの決闘に落胆していたのに。
「何ごと?」
「さあ?」
その歓声は確実に、オリバーを抑えつけるイアンに向けられたものではない。
イアンは音のした方を振り返り、そして苦笑した。
「はは……。ほんと好きだよ。そういうところ」
彼の視線の先には椅子ごと前に倒れたダニエルと、明らかに彼を蹴り飛ばしたと見られる、ドレスの裾をたくしあげたアイシャがいた。
「え、何があったのさ。見たい」
「ダメだ」
「降参するから」
「見せない。お前が惚れたら面倒だから」
「えぇ……」
気になるオリバーは残念そうにため息をこぼした。
レイピアを手にしたオリバーは、始まりの合図と共に一歩踏み出した。
そして一気に間合いを詰め、二、三回剣を交えたのち、イアンのレイピアを彼の手から叩き落とした。
武器を落とされては勝ち目はない。オリバーは戦争の英雄も大したことないなとイアンを嘲笑った。
しかし、彼が余裕ぶっていられたのはその瞬間までだった。
イアンはオリバーの顔に砂をかけて目をくらませると、しゃがみ込み、足を払って体勢を崩させる。そして瞬時に彼の背後に回り込み、ほぼゼロ距離で足を真上から振り落とすと、彼の顔面を容赦なく石畳の地面に叩きつけた。それから仕上げに彼の利き手を肘から容赦なくへし折り……というよりは粉砕し、戦闘不能へと追い込んだ。
どういう風に体を使えばとそんなことができるのだろう。一瞬の出来事すぎて。自身の身に何が起きたのか理解できないオリバーは笑うしかなかった。
「ははは……。いだい……」
「すまんな。レイピアとかあまり使わないから油断した。武器を落とされてはこうするしかない」
「こんなのズルだろ」
「どうする?ギャラリーはつまらないと残念がっているが、俺はこのまま降参でも良いぞ?無駄な殺生は好まんからな」
オリバーの背中を膝で押さえつけたまま、イアンは彼のレイピアを遠くに滑らせた。そして彼の首元に、どこからともなく取り出したガードのない短剣の剣先を押し当てる。
首に感じるひんやりとした感触にオリバーは思わず体を震わせた。
「どこから出したんだよ」
「袖」
「流石にズルくないか?砂かけて目眩しといい。というか、砂もどこから出したんだよ」
「ポケットに入れておいた。でもズルはお前だって人のこと言えないだろう?剣先に毒を塗っているのだから」
「気づいていたのか」
「先の方が少しくすんでいたからな」
「でも咎められないはずだ。なんでもアリなのだろう?侯爵閣下が言っていた」
「ああ、なんでもアリだな。だから今ここでお前の首にこの短剣を突き立ててもお咎めなしだ」
イアンは小声で話をしながら、少しずつ首元の短剣に力を入れる。
そして降参を促すように足でオリバーの背中を押さえつけた。
オリバーは苦しそうな声を漏らす。
「お前に勝ち目はない」
「でも……殺すように言われているんだよなぁ」
「無理だ。俺がお前らに殺されることはない。俺がお前を殺すことはあるかもしれないがな?」
「いいの?英雄殿のお姫様は人が殺されるところなんて見たことないだろ?卒倒するよ?嫌われるかもな」
「生憎だが、彼女は既に俺が人を殺すところを見ている。今更だ」
「……そんな姿を見て、よく逃げ出さなかったな」
「そういう人なんだよ」
そういう女だから、今もここにいる。
そう言われたオリバーは、目線だけ動かしてアイシャを探した。
しかし、イアンの陣営にアイシャはいない。
(あれ?どこに行った?)
やはり決闘を見るのが怖くて逃げたのだろうか。
「余裕だな?よそ見か?」
「あいだだだだだだ!背骨折れるって!」
「折ろうとしてんだよ。時間を稼いでどうする気だ?あの皇子は何を企んでいる?」
「俺が時間稼いでるってわかっててトドメを刺さないのは少し甘いのではないですかね、英雄殿?」
「別に好んで彼女に死骸を見せたいわけではないからな」
「死骸って……、せめて死体って言えよ……」
「それに、だ。そもそも俺の相手はお前だ。それ以外の相手は他の奴がするさ」
「それは英雄殿の騎士のことか?」
「まさか。ここにいる全員だよ」
「……は?」
「お前は忘れたのか?ここはアッシュフォードだぞ?」
長きにわたる戦争で研ぎ澄まされたアッシュフォードの民は、主人に向けられた刃を許しはしない。
オリバーを捕えられた今、ダニエルとたった5人の近衛が相手にしなければならないのはアッシュフォードの騎士団だけではないのだ。
下手な動きをすれば、民衆による集団リンチが待っている。
「何それ、怖っ」
そう言われてしまえば、酔っ払いが持つ酒瓶も、屋台のおやじが握る包丁も、どこぞの母ちゃんが手に持つフライパンも、全部が武器に見えてくる。
…………ところで、何故にフライパン?
「フライパンは武器なのか?」
「武器だぞ?あの威力を知らんのか?意外とお坊ちゃんなんだな」
「意味がわからん。……しかし、なるほどな。恥をかかせるために集めたのではなく、自分を守らせるために集めたのか」
「そういう関係性を築いてきたからな。何も言わなくても俺の望む通りに動いてくれる」
「英雄殿はやはり狡いな」
「狡くなければ生き残ってはいないさ」
「ははっ!間違いない!」
これはもう負けだ。この後に皇子が何をしようが敵いっこない。
オリバーは降参を口にしようとした。
しかし、その時だった。彼の言葉に被せるようにして何かが倒れる音と共に歓声が湧いた。
先程まで観戦し甲斐のないオリバーとイアンの決闘に落胆していたのに。
「何ごと?」
「さあ?」
その歓声は確実に、オリバーを抑えつけるイアンに向けられたものではない。
イアンは音のした方を振り返り、そして苦笑した。
「はは……。ほんと好きだよ。そういうところ」
彼の視線の先には椅子ごと前に倒れたダニエルと、明らかに彼を蹴り飛ばしたと見られる、ドレスの裾をたくしあげたアイシャがいた。
「え、何があったのさ。見たい」
「ダメだ」
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