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第三章 アッシュフォード男爵夫人

26:名誉の決闘(1)

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 アイシャ・ブランチェットの噂は聞いたことがあった。
 金を引っ張れるからという理由だけで皇帝がそばに置くブランチエット伯爵の長女で、ずっと両親から蔑ろにされている娘。
 とても優しくて優秀な子なのにと、エレノア子爵がいつも嘆いていた。
 彼がそう評価するのなら、身内ということを考慮しても本当に優秀なのだろう。
 だから、そんな彼女が褒美としてイアン・ダドリーの元に嫁いできたと聞いた時はとても驚いた。
 そして同時に、皇室はようやくアッシュフォードの重要性を理解したのだと喜んでいた。

 なのに……。

「第一皇子は阿呆だったのか」

 やはり親と子は違う。あの側室の子どもだから、そこそこデキるやつだと期待していたのに残念だ。
 アッシュフォードの関所を通ったコルベール伯爵はそのまま、街の中心部にある復興記念広場へと向かった。
 彼が広場に着くと、そこにはすでに大勢の人が集まっていた。
 イベントごとなど滅多にないアッシュフォードの民は領主が今から決闘をするというのに、もはやお祭り気分だ。
 昼間から酒を飲んでいる者や、楽器を鳴らして踊っている者もいる。
 そんな彼らの様子にコルベール伯爵はやれやれと肩をすくめた。

「こりゃあ、完全に浮かれとるな……」

 魔族との和平が実現し、ようやく未来が見え始めたアッシュフォードの民は元来の明るさを取り戻しつつあるらしい。

「お久しぶりです、伯爵様」
「おお、子爵殿。其方も来ていたのか」
「ええ、野次馬に」
「遅いぞ、コルベール」
「閣下は……、お、お早いですな」

 コルベール伯爵はすでに到着していたエレノア子爵とラホズ侯爵の元に駆け寄った。
 片眼鏡をした人の良さそうなエレノア子爵と無精髭を生やした強面のラホズ侯爵が並んでいると、違和感がすごい。
 人をひとり殺してきたかのような人相の悪さと気難しい性格で有名なラホズ侯爵がこうして微笑みを浮かべながら誰かと穏やかに会話する様を見たら、きっと南部の貴族はリアルに開いた口が塞がらなくなるだろう。
 こんな面倒で厄介な男をここまで懐柔してしまうのだから、ある意味でエレノア子爵家は夫人共々おそろしい。
 コルベール伯爵は長く伸ばした自慢の髭を触り、苦笑した。

「閣下はいつ頃こちらに?」
「私は昨夜から来ておるわ」
「……馬車で二日の距離なのに」
「休むから二日もかかるのだ。休まずに早馬を飛ばせば夜中には着く」
「なるほど、夜中に押しかけたのですか。夫人も可哀想に」
 
 ほぼ初対面の強面のおじさんが夜中に押しかけたとあれば、さぞ驚いたことだろう。
 コルベール伯爵はその対応をせねばならなかったアイシャに同情した。

「久しぶりに連絡してきたかと思えば、まったく彼奴は……」
「まさかこんな事態になってるとは思いもしませんでしたなぁ。子爵殿は知っておったのか?」
「はい。申し訳ありません。口止めされていたもので」
「気にすることはないさ。イアンのことだ。自分の手で解決できるのならそうしたかったのだろう。それに、閣下に知られると面倒だからな」
「コルベール、うるさいぞ」
「はい、すみません」
「……しかし少し意外だな」
「何がですか?」
「異端審問といい、今回の決闘といい、らしくない」
「そう言われれば、確かに」

 ラホズ侯爵の疑問にコルベール伯爵は頷いた。
 彼らの知るイアン・ダドリーという男は寛大な人間だ。いや、諦めているというべきか。
 貴族相手に強固な姿勢をとるようなタイプではない。基本的にはどんな無礼も穏便に聞き流してやる男だ。
 どうしてこんな事態になっているのかと、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
 するとエレノア子爵は不意に群衆の端の方、建物の影になっているあたりを指さした。
 そこには迷子になってしまった子どもの親を探すアイシャがいた。
 彼女は子どもを肩車し、侍女や騎士と共に母親の名を名を呼んでいる。
 しばらくするとイアンも駆け寄ってきた。

「あの子、娘になりました」
「……聞いていないぞ」
「今言いました」

 にこにこと嬉しそうに話すエレノア子爵に、ラホズ侯爵は少し呆れたように笑みを漏らした。

「良かったな。おめでとう」
「ええ、ありがとうございます」
「しかし、なるほどな」
「何がですか?閣下」
「アレを見たまえ、コルベール」

 コルベール伯爵は促されるまま、ラホズ侯爵の視線の先を見る。
 そこには決闘前だというのに、アイシャと共に笑い合うイアンがいた。
 おそらく二人とも、子どもの親が見つかったことに安堵しているのだろう。子どもの母親は二人に深々と頭を下げていた。
 
「二人揃ってお人好しということですか?」
「違う。そこじゃない」

 ラホズ侯爵はコルベール伯爵の答えをそうじゃない言う。
 伯爵は首を傾げながらもう一度二人を見た。
 母子と別れたイアンは、不意にアイシャを物陰に連れ込んでいた。
 そして彼女の服についた土を払う。きっと子どもを肩車した時についたのだろう。
 アイシャは「ありがとう」とイアンの顔を見上げた。
 するとイアンは何を思ったのか、不意に彼女に口付ける。
 アイシャは大きく目を見開き、両手で口元を押さえるとキョロキョロと辺りを見渡した。見られてはいないかと心配したのかもしれない。
 彼女の侍女と護衛は気づいているのかいないのか。二人の方を見ない。
 アイシャはほっと胸を撫で下ろしつつ、ポカポカとイアンの胸元を殴り、抗議した。

「ははは……。デレデレですなぁ」

 これにはコルベール伯爵は苦笑いを浮かべるしかなかった。
 彼らは見えていないとでも思っているのだろうか。皆が気を利かせて見ないフリをしてやっているだけだというのに。

「そりゃあ、手を出されたら怒り狂いますわな」
「むしろ理性的に対応してやっている方だろう」

 あれだけ好いているのだ。
 ダニエルの顔を見た瞬間、彼の首を切り落としてもおかしくはない。

「フッ。彼奴は良い縁に恵まれたようだ」
「侯爵様。あの子、娘です」
「知っておる」
娘は彼の隣に立つにふさわしい女性です」
「いちいち『私の』を強調せんでよいわ。鬱陶しい」
「へへっ。すみません。嬉しくて」

 エレノア子爵は随分浮かれているらしい。
 ラホズ侯爵は珍しいこともあるものだと肩をすくめた。

「閣下。そろそろ時間ですぞ」

 コルベール伯爵が懐中時計を見せる。
 時計の針は12時の少し前を指していた。

「さて、仕方がないから少し付き合ってやるか」
「何が仕方がない、ですか。前乗りしといて」
「うるさいぞ、コルベール」
「はい、すみません。でも楽しみにしてきたのでしょう?」
「それは貴様もだろう」
「当たり前ではないですか。こんなの久しぶりなのだから」
 
 アッシュフォードの民のことを『浮かれている』なんて言ったけれど、本当は彼らだって浮かれている。

 だって、久しぶりに彼の本気が見られるのだから。

 
 
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