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第三章 アッシュフォード男爵夫人

27:名誉の決闘(2)

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 もはや意地だった。
 アイシャが自分に興味がないのも、アイシャがあの平民上がりの男を愛してしまったことも、流石にもう理解している。
 けれど、たかだか平民の男に負けるなどプライドが許さない。  
 だからダニエルは『どちらがアイシャに相応しいかを決闘で決めよう』と言うイアンの安っぽい挑発に乗ってやった。


「皇子殿下。今ちょっと後悔してるっしょ?」
「うるさいぞ、オリバー」

 アッシュフォードの復興記念広場とかいう場所に連れてこられたダニエルは、その野次馬の多さにうんざりしていた。
 集まった群衆の中には真昼間から酒を飲み交わす奴や、楽器を奏でて踊っている奴までいる。果ては屋台を引っ張ってきて商売を始めている者さえ出てきて、もはやお祭り騒ぎだ。
 その騒がしさだけでも腹立たしいのに、端の方で行われている賭けの内容が、『皇子殿下がイアンにひれ伏す』か『皇子殿下か泣く』の二択なのが本当に解せない。
 完全に馬鹿にされている。
 嫌がらせのように用意された無駄に豪華な椅子に腰掛けたダニエルは親指の爪を噛んだ。
 
「こんな群衆の前で負けるとか、一生の恥だぞ。立ち会い人まで呼びやがって」

 立ち会い人にラホズ侯爵を呼ぶとは思わなかった。
 というより、侯爵がイアンに呼び出されて、二つ返事で現れるとは思わなかった。
 彼は気難しい人だから、格下の男爵風情の呼び出しに応じるはずがないと思っていた。
 
 これは完全に想定外だ。

 北部の貴族には何の根回しもできていない。
 どういう結果になれど、早く首都に戻らねば。変に噂が広まれば目も当てられない状態になる。
 
「オリバー。殺せ」

 もうなりふり構ってはいられない。ダニエルは冷静さを失っていた。
 オリバーはそんな彼を鼻で笑う。本当に愚かな男だ。

「いいか。どんな手を使ってもいい。必ず殺すんだ」
「……最低っすねー」
「お前にいくら払ったと思ってる」
「わーかってますよ。金の分の仕事はします」

 金で雇われた以上、それがどんなに下衆の所業でも求められたことはやる。それが彼のプライドだ。
 オリバーは軽く体をほぐしながら、向かい側でアイシャと楽しそうに会話するイアンを見やった。
 
(しかし、アレが英雄かぁ)

 女を前にデレデレと。アレではまるで牙を抜かれた獅子だ。
 一昨日のサロンでの、ダニエルを締め上げたイアンの姿はオリバーが求めていた英雄そのもので少し期待していたのに、ガッカリした。
 あんな風に腑抜けてしまっているのなら、剣豪オリバーの相手にはならない。
 
「ま、せいぜい楽しませてくれよ?」

 オリバーはその光のない真っ黒な瞳を細め、手首を鳴らした。


 *


 時計の針は約束の12時を指した。

「では両者、前へ」

 広場の中央を空けて群衆が綺麗に円を作るその中で、オリバーとイアンはラホズ侯爵の声に従い前へ出る。
 侯爵は二人の姿を確認し、右手を挙げた。
 
「女神アタナシアの名の下、これより行われるは互いの名誉をかけた決闘である。紳士のルールに則り…………と言いたいところだが、ここはアッシュフォードだ。郷に行っては郷に従え。特にルールは設けない。相手が死ぬか降参したところで勝敗を決するというのはどうだろう?」

 ラホズ侯爵は両者を見やり、「異論はあるか」と口角を上げた。それはつまり、ルールなしの何でもありの勝負ということ。要するにただの喧嘩だ。
 イアンは若干嫌そうな顔をしたが、オリバーは合法的に殺して良いのならラッキーだと笑った。

「異論はありませーん」 
「……こちらもありません」
「よろしい。では……」

 健闘を祈る、と侯爵が言おうとしたその瞬間。
 可愛らしい声が広場の静寂を切り裂いた。

「ねえ、ママ。どうして王子様は自分で戦わないの?弱いの?」

 どこからか聞こえた少女の純粋な疑問。
 貴族が決闘で代理を立てるのはよくある事なのだが、辺境の平民の少女がそれを知るわけもなく。
 3秒ほどの沈黙の後、今度はどこかから、笑いを堪えきれずにプッと息を吹き出してしまったような音が聞こえた。
 そこからはもう、皆我慢できなくなったようで至る所からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
 これには流石にダニエルは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「おい。お前!今笑った者は不敬罪で……」
「不敬罪で処刑、なんてそんな狭量なことは仰いませんよね?」
「コルベール伯爵……」

 自身の連れてきた護衛の騎士に処罰を命じようとしたダニエルを、背後からコルベール伯爵が制した。
 後ろを取られたダニエルは舌を鳴らし、大人しく着席する。

「落ち着いてくだされ、皇子殿下。貴方様が連れて来られたのは南部の剣術大会を総なめにした男でしょう?荒々しい剣技で、いくつかの大会を出禁になった乱暴者だが、その強さは折り紙つきだ。ならば彼が負けるなど万が一にもないのでは?」

 自信を持つと良い。コルベール伯爵はそう言ってニッコリと笑った。
 どこか小馬鹿にしたようなその笑みに、ダニエルは眉根を寄せる。

「……其方やラホズ侯爵のような大貴族が、たかだか男爵風情の言いなりとは驚いたぞ。呼び出されたからと言って、ノコノコと現れよって」
「そりゃ来るでしょう。当たり前のことです。……何せなのだから」
「……………は?」

 聞き捨てならないその台詞に、ダニエルは振り返る。
 だが、彼が何か言おうとするよりも先にラホズ侯爵の「静粛に」という声が広場に響いた。

「ほら、お静かに」

 コルベール伯爵は人差しを立てて口元に当てると、ダニエルに前を向くよう促した。 

「殿下、しっかりとその目でご確認くだされ。ご自身の愚かさを」

 

 
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