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第三章 アッシュフォード男爵夫人

25:唯一絶対の方法(2)

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「ま、待って……、んっ……」

 いつもより深い口付けにアイシャは息ができない。
 正確には声を我慢しながら息をするにはどうすれば良いのかがわからない。
 流石に誰もそんなことは教えてくれなかったから。
 けれども、息継ぎの合間に漏れる甘い声でこれ以上イアンを刺激してはいけない。
 すでに理性の糸が焼き切れそうなこの獣を前に、そんなことをしては全てを喰らい尽くされる。
 だからアイシャは必死に耐えていた。

「…………はあ」

 そんな努力が実を結んだのか、イアンは不意にアイシャを抱き起こすと、無言で彼女の乱れた夜着を直した。
 そしてヒョイッと抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。
 背後から抱きすくめられるようにして、彼の腕に閉じ込められたアイシャはどうしたものかと戸惑う。

「イ、イアン様?」
「アイシャ。俺は結構怒ってる」
「うぅ……。ごめんなさい」
「誰の入れ知恵?」
「……黙秘します」
「どうせ、ランかニーナだろ?」
「……」
「その反応はランだな」
「何故わかるのですか!?」
「ほら、やっぱりランだ」
「……嵌めましたね。ずるい」
「君は君がそれらしくあらねばと気を張っている時以外はわかりやすいんだよ」 

 基本的に素直な性格だから、アイシャは気を張っていないとすぐに思っていることが顔に出る。
 その自覚がなかったアイシャは頬を膨らませた。
 そういう子どもっぽい顔をするところも、全部可愛い。イアンは膨らんだ頬を突いた。

「……まあ、確かに初夜を迎えてしまえば、殿下も諦めるしかないけどさ。それは殿下のために君を抱くみたいでなんか嫌だな」
「はい。ごめんなさい……」
「あと、今からだと足りないだろ?」
「何が……」
「時間が」
「時間?」

 時間が足りない、とはどういう意味だろう。
 アイシャは後ろを振り返り、首を傾げた。
 そんな彼女にイアンは当然のように言う。

「初夜は三日三晩だ」
「………」

 3秒ほど時が止まった気がした。
 そして再び、時計の針が回り始めると同時にアイシャは叫ぶ。

「あ、あれはほとんど比喩表現です!」

 そのくらい深く愛し合う夫婦であれという意味で、実際にそうしろという意味ではない。

「そうなのか?でも昔はそうしていたんだろ?」
「今はしませんよ!誰が三日三晩も永遠と肌を合わせるというのですか!」
「なんだ。そのつもりでいたのに、残念だな」

 イアンは本当に残念そうに肩を落とした。
 
「三日三晩なんて、体力が持たないわよ……」

 あの過酷な戦場を生き抜いた男の体力と、南部でぬくぬく育ってきた令嬢の体力には雲泥の差がある。
 三日三晩など、腹上死は必至だ。
 先にこの会話ができておいてよかったと、アイシャは心から安堵した。

「………………何をニヤニヤしておられるのですか」
「いや、耳まで赤くしてるから」
「し、してません!?」
「想像したんだ?初夜のこと」
「してない!」
「そう心配するなって。ちゃんと三日三晩、全力で愛してやるから」
「だからしてないってばぁ!!」

 耳までとかの次元でなく、足の先まで真っ赤に染めたアイシャは揶揄ってくるイアンから逃れようと、それから20分ほど暴れ続けた。


 *

 
 結局、逃げられるわけもなく、ずっと捕まったままひたすらに小一時間ほど匂いを嗅がれたアイシャはグッタリとしていた。
 
「本当に獣のマーキングではないですか」
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょう。誰のせいでこうなってると……」
「自分の軽率さのせいだろう」
「ぐぬぬ。間違いありませんわね!」
「初夜までに少し体力をつけてもらわないと困るな」
「自制する気などまるでないのですね!」
「今すでに耐えているのだから、解禁したら自制とか効くはずないだろう」
「くぅ~~~!!」

 少しは自制して欲しい。アイシャはもう知らない、とそっぽを向いてベッドから降りた。

「もう部屋に帰ります!」
「送るよ」
「大丈夫です!」
「だめ。この屋敷には皇子殿下がいるんだから」
「……そういえばそうでした」
「忘れてたのか?」
「否定はしません」

 何のためにここに来たのか。彼を出し抜くためだろうに。
 少しイチャついただけですっかり頭から抜け落ちてしまうなど、本当に興味がないらしい。
 
「……まあ性格に難がありすぎるから仕方ないか」
「え?何の話ですか?」
「なあ、アイシャ。真面目な話なんだけどさ、皇子殿下を追い返すためにも2人ほど屋敷に招待したいんだが、大丈夫か?」
「それは構いませんが、どなたがいらっしゃるのです?」
「そうだなぁ、ラホズ侯爵かコルベール伯爵あたりかな。距離的にもすぐ来てくれそうなのは」
「え、侯爵閣下……ですが?」

 アイシャはその名前を聞いて険しい顔をした。
 イアンの口調はとても軽く、まるで飲み友達を集めるかのようだ。
 だが、ラホズ侯爵もコルベール伯爵も北の大貴族。男爵でしかないイアンが自分から赴くならまだしも、急に呼び出すなんてかなり失礼だ。絶対に嫌な顔をされるに決まっている。
 
「あの、大丈夫なんですか?急にお呼び立てして。流石に失礼にあたるのでは……」
「ん?大丈夫だろ。困ってるって言えば、いつも割とすぐ来てくれるぞ。まあ、冬の間は流石に無理だけど」
「南部では侯爵閣下は規律に厳しいお方として有名なのですが……」 
「そうなのか?そんな印象ないけどな……。顔が怖いからかな?」

 イアン曰く、北部の貴族はみんな良い人ばかりらしい。
 なんでも貴族になりたての頃。執事としての仕事をテオドールに叩き込んでくれたのはコルベール伯爵で、貴族としての最低限のルールや心構えなどを教えてくれたのはラホズ侯爵で、その北部の貴族たちとイアンを繋いでくれたのがエレノア子爵だったのだとか。
 そういえば、爵位を授与される時にも皇帝の前での立ち振る舞いを叩き込んでくれたのはラホズ侯爵だったとイアンは懐かしそうに語る。そのおかげで何とか粗相をせずに授与式を終えられたのだそうだ。
 あまりに自分の持つ情報とは違っているので、アイシャはひどく驚いた。
 アイシャの中での北部の貴族は気難しい人が多く、その中でエレノア子爵が潤滑油となって南部と北部を繋いでいるという印象が強い。

「民の中には北部の貴族も南部の貴族も大差ないクズだと思ってる者も少なくないけど、俺はそうは思わないな。本当にクズなら冬の間の食糧なんて送ってくれるはずないし、復興の手助けもしてくれない。食糧の充実度だけで言うなら、むしろ冬の方がいいくらいなんだぞ」
「それはリズも言ってました。……食べ物しか出さないって怒ってもいましたけど」
「あいつは期待しすぎなんだよ。期待するから失望するんだ。俺は物資を支援してもらえたらそれで十分。魔族との戦い方を指導してやる余裕もないし、士気の低いやつとかいても邪魔なだけだしな」
「……そうですね」
「とにかく、そんなわけだから大丈夫だ。アイシャが心配しているようなことにはならない」
「そうですか。やはり噂はあてになりませんね。良かった」

 北部の社交界でうまくやっていけるか心配していたアイシャは、良かったと胸を撫で下ろした。
 
「しかし、お二人をお呼び立てしてどうするのですか?」
「立ち会いを頼もうかと思ってな」
「ほう、立ち会い……」
「いやぁ、テオに任せとけば全部が上手いこと収まるとは思うんだけどさ、でも流石にここまで侮辱されて、ただ黙って追い返すのもなんか癪だろ?」
「まあ、確かに」
「皇子殿下も一応、最終手段として剣豪を連れてきたんだろうし。だから、久しぶりに体を動かしてみようかと思ってな」

 そういえばここ数日は訓練をサボっていた。
 だから運動がてら、相手をしてやろうとイアンは歯を見せて笑った。
 
「どうせなら男らしく、決闘でもしてその鼻っ柱をへし折ってやるさ」

 プライドの高い男は姑息な手なんて使わない。
 奪いに来たと言うのなら、古典的だが正攻法で迎え撃つのが礼儀だろう。

 
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