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第三章 アッシュフォード男爵夫人

20:帝国の民とは

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「君がアッシュフォードにいることは、魔族との和平交渉の手紙で知ったんだ。驚いたよ」
「申し訳ございません。まさか殿下がご存じないとは思わなかったもので」
「それは俺も驚きました。皇命なのに」
「謝るのはこちらのほうさ、アイシャ。もし私が首都にいれば、君のアッシュフォード行きを阻止できただろうに……。急な結婚話ですごく驚いただろう。慣れない土地で苦労しているのではないか?」
「そうですね、驚きはしました。ですが北部に来るのは始めてではありませんし、みんな良くしてくれるので問題はありませんわ。むしろ最近は毎日が楽しくて、あっという間に時間が過ぎていってしまうくらいです」
「俺も君が来てくれてから、毎日が楽しいよ。ありがとう、アイシャ」
「ふふっ。どういたしまして」
「……だが、少し痩せたように見えるぞ?環境が変わり、自分でも気づかないうちにストレスを溜めているのではないか?」
「いいえ?むしろこちらに来る前より太りました。アッシュフォードの郷土料理が美味しいので。そろそろダイエットでも始めようかしら」
「……そ、そうか」
「ダイエットなんて必要ないよ。何ならもう少し太っても良いくらいだ」
「イアン様はわかっていないのですね。男性の太っているの基準と、女性の太っているの基準は違うんですよ?だからイアン様のは当てにならないわ」
「……………………男爵。私はアイシャと話がしたいのだが。割り込まないでもらえるかな」

 ダニエルはランに出された口に合わない紅茶を飲みながら、目の前に座るアイシャの横に、今もなお当然の如く居座り続けるイアンを睨んだ。
 彼の記憶が正しければ、応接室に入る前に「アイシャと二人で話がしたい」と言ったはずなのだが、聞こえていなかったのだろうか。
 先程から妙に会話に割って入ってこようとするその態度が気に食わない。腹立たしい。

「男爵。久しぶりに友人と二人で語らいたいんだ。遠慮してくれないか?」
「嫌です」
「大丈夫だ。話をするだけだ」
「嫌です」
「私の護衛や従者もいるし、君の騎士もメイドもいる。そう警戒する必要はない」
「嫌です」
「…………君は思っていたよりもずっと狭量な男なんだな」
「はい」

 間髪入れずに返してくるイアンに、ダニエルは皇子スマイルが崩れそうになる。
 だがこれは仕方がないことだ。ダニエルの言う通り、イアンは好きな女が他の男と仲良くお話しすることを許せるほど、心が広くない。
 まして、それが彼女を奪いに来た男ならば尚のこと。
 
「男爵。私はアイシャにとても大事な話があるんだ」
「俺のことはお気になさらず」
「気になるから言っている。それにこれは君のためでもあるんだ。席を外した方がいい」
「それはその話とやらが、アイシャを殿下の妃として迎えたいという内容だからでしょうか?」
「そういうことは馬鹿正直に聞くものではないぞ」

 ド直球な聞き方にダニエルは眉を顰めた。声色も表情も明らかに不機嫌だ。
 普通、彼がこうなれば誰もが頭を下げて必死に謝罪するか、機嫌を取ろうと媚を売ろうとするのだが、イアンは一ミリも動じていない。

「申し訳ございません。庶民は時間を無駄にしないので。回りくどい話し方は苦手なのです」
「ほう、では庶民にわかるようにこちらも単刀直入に言おうか?アッシュフォード男爵。君は身を引きたまえ」
「お断りします」
「アイシャは君には過ぎた女だ」
「それは重々承知しております」
「ならばわかるだろう?アイシャはこんな田舎に閉じ込めておいて良い女ではない」
「しかし、本人はアッシュフォードに留まることを望んでいます」
「それはアイシャが責任感の強い女だからだ。救った手前、一生面倒を見てやらねばという義務感に駆られているだけだ」
「俺にはそうは見えませんが」
「いいか、男爵。アイシャは純血の帝国貴族だ。義務を果たさねばならない」
「義務?」
「そうだ。今や帝国の民は魔族との和平を実現させたアイシャが皇族の一員となることを望んでいる。だからアイシャはこの国の貴族として国民のために…………」
「ははっ!」
「な、何がおかしい!」

 急に笑い出したイアンにダニエルは声を荒げて立ち上がった。とうとう我慢も限界だ。不敬にも程がある。
 しかしイアンはそんな彼を見上げ、鼻を鳴らした。

「ああ、すみません。単刀直入に、と言いながら随分と回りくどいことを言うのだなと思って」
「どういう意味だ」
「先程から義務だと何だとおっしゃいますが、あなたに義務を語る権利はないし、そもそもの話だ。民がどうとか言ってますけど、なんの被害も被ってない南部の人間にとって、魔族との和平を実現させたという実績は大した意味を持たないのでは?」
「……っ!?」
「殿下の言う帝国の民とは誰のことを指すのでしょう」

 嘲笑うかのようにイアンは目を細める。だが黄金の瞳の奥は怒りで燃えていた。
 けれど、これはイアンの言う通りだ。
 確かに帝国北部の民にとって、アイシャの功績は賞賛に値するものだが、帝国南部の民はアイシャがしたことにはあまり興味がない。それよりもどちらかと言えば、アッシュフォードの現状を隠していた皇室に対する不信感の方が強い。

「アッシュフォードの民はアイシャを領主夫人に望んでいる。しかし、殿下は帝国民はアイシャが皇族となることを望んでいるとおっしゃる。それはつまり、殿下にとってアッシュフォードの民は帝国の民ではないということですか?」

 この問いに、ダニエルは答えられない。
 何故なら皇室はアッシュフォードを見捨てたからだ。
 彼らが帝国民であると答えれば、次に来るのは『では何故助けてくれなかったのか』という問い。
 そしてダニエルはその問いに対する正しい答えを持たない。

 だって、答えなんてないから。

 何故助けなかったのか、なんて。そんなことを聞かれても、面倒だからと返すほかない。
 面倒だから、イアンを英雄と讃え、褒美と称して全部押し付けた。ただそれだけの話だ。  
 ダニエルは面倒臭そうにため息をこぼした。

「そうだな。陛下のアッシュフォードに対する対応は良くなかったかもしれない。それは認めよう。君が望むのなら復興の支援を……」
「今更何もいりませんよ。我々は自力で立ち上がりましたから」
「……そうか」
「それに、悪いことだけではありませんから。陛下はたった一つだけではありますが、本物の褒美をくださいましたし?」

 イアンはアイシャの肩を抱き寄せた。
 そう、たった一つ。褒美として与えられた物の中で唯一本物だったもの。
 それがアイシャだ。
 アイシャは幸せそうに微笑みながら、イアンの肩に頭を乗せ、ダニエルを見上げた。

「唯一の褒美を今更返せとおっしゃるのに、『帝国民が望んでいる』などという言い訳はよしてくださいよ」
「……何が言いたいんだ、貴様」
「確かにアイシャは優秀な女性だ。しかし首都にはアイシャと同じようにアカデミーに通えるだけの頭脳を持つご令嬢がたくさんいらっしゃるはずです。殿下のお隣に立つのがアイシャである必要性はどこにあるのでしょう」

 色々と御託を並べているが、本心も話さずに人の宝物を横取りしようとするのはいけ好かない。
 イアンは足を組み、挑発する様にダニエルを見据えた。

「正直に言ってくださいよ。アイシャを欲しがっているのは帝国民ではない。……殿下ご自身だと」

 そうすればこちらも、全力で潰してやることができる。


 









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