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第三章 アッシュフォード男爵夫人

18:家族の定義

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 あの後すぐ、連絡を受けたロディの母親たちが恩知らずな夫や息子を迎えに来たのだが、なぜか彼女たちは全員フライパンを持参しており……。
 イアンの前で、身内の恥だと彼らの後頭部を殴打すると、そのまま地面にめり込むくらいの勢いで息子の頭を押さえつけつつ、自らも土下座して許しを乞うた。
 その間、わずか2秒。
 あまりの気迫に、まさか自分が圧倒されるなど思ってもいなかったイアンは、次にこういうことをすれば覚悟しておくようにと彼女たちに彼らの指導を任せて釈放した。

「フライパンで息子の頭を殴打する母の図ははじめて見ました。下手すると死にますよ、アレ」
「田舎の母ちゃんって、どこもあんな感じだぞ。痛そうに見えて死なない程度に加減してるはずだ」
「え、フライパン凹んでましたけど」
「コツがあるんだよ。あれは自らの手で派手に折檻してこちらの怒りを鎮める母ちゃんの必殺技だ」
「意外と策士」
「まあ、あの怒り方だと彼らは家に帰ってからも普通にボコボコに殴られるだろうけど」
「田舎の母ちゃん怖……」

 若干引き気味のテオドールは縄で縛り上げられて乱暴に引きずられながら去っていく彼らに、むしろ無事に生きていてくれと願ってしまった。

「とりあえず、しばらくロディには監視をつけておこう」
「了解です。しかし、本当に妹君を異端者として教会に突き出すのですか?」
「もちろんだ」
「でも、彼女は奥様の血縁です。血の繋がりは厄介なものですよ?魔族との和平を実現できたのは、彼女と同じような力があるからだと難癖をつけられる可能性もゼロではありませんが……」
「そうなればもう、魔族と北部の貴族を巻き込んで帝国を分断してやるさ」
「…………えぇ……、怖いこと言わないでくださいよ」

 口調は軽いが目は本気だ。
 果たして、皇室は誰を怒らせたかわかっているのだろうか。
 テオドールは仕方がないとため息をこぼし、片手を上げた。

「一つお願いがあります」
「おう。どうした?」
「皇子殿下はこちらに向かっているのですよね?」
「ああ、来てほしくはないがな」
「なら、今のうちに僕が首都にいる兄君を動かしてもいいですか?」
「……いいけど。何するつもりだ?」
「戦争回避のため、ちょっとお仕事してきます」
「……程々にな」
「戦争回避のためなので、そこそこ頑張ります」
「本気にするなよ。ごめんって。半分は冗談だから」
「でも半分は本気でしょ?」
「……まあな」
「大丈夫ですよ。派手には動きません。奥様の持つ駒をちょちょいと動かすだけですから」

 あの性格とあの行動力だ。本人は無自覚だろうが、アイシャはアッシュフォードに来る前にもいろんな人をたらし込んできたはず。
 きっと使える駒は多い、と笑うテオドールはとても悪い顔をしていた。その笑みは悪役の笑みだ。
 イアンは苦笑を返すしかなかった。

「団長を借りていきます。数日屋敷を空けますが、皇子殿下の対応は任せましたよ」
「お前さぁ、あんまり人を駒扱いするなよ?アイシャの大事な人たちだからな?」
「残念ながら僕にとっては旦那様以外、全てが駒ですから」
「なあ。やっぱりお前、俺のこと大好きだろ」
「せめて忠誠心と表現してください」
「俺も好きだぞー?抱きしめてやろうか?」
「……ちょ、ランがすごい顔でこっち見てるから、ホントそういう冗談はやめてください」

 笑顔で両手を広げ、ハグを求めるイアンのその後ろで、害虫を見るような視線をこちらに送るランが見える。
 それをわかっててやっているのか、イアンの顔は腹が立つほどにやけていた。
 この男は何を勘違いしたのか、痴女事件以来やたらと突っついてくる。鬱陶しいことこの上ない。
 
「誤解されたくないのか?ん?なんで、なんで?」
「…………いや、誰だってそうでしょ。馬鹿か」

 どこの世界に熊との関係を誤解されたい男がいるんだ。


 

 *


 
 
 エレノア子爵は夕方にはアッシュフォードの屋敷に戻ってきた。
 そして、アイシャに一つの書類を差し出した。

「養子縁組……?」

 アイシャの呟きは、静かなサロンに響いた。

「アイシャ、私の娘になってはくれないだろうか?」
「し、しかし……。叔母さまのご親族は……」
「みんな納得してくれているよ。爵位の継承についても気にしなくていい。後継者は別にいるし、相続も面倒なことにならないようにする」
「でも、良いのでしょうか。これは家族を捨てるようで、なんだか……」

 家族は大事にせねばならない。それが神の教えだ。
 敬虔な信者であったアイシャはその教えがあるから、ずっと一歩踏み出せなかった。
 イアンは養子縁組の書類を前に苦しそうに悩む彼女の隣に座ると、そっと手を握った。
 
「アイシャ。君はベアトリーチェには悪意がないと言うが、本当にそうだろうか」
「……え?」
「今日の騒ぎは明らかに君を陥れるために行われた。これで悪意がないと本当に言えるか?」
「それは……」

 多分、違う。明確な悪意があった。流石に今はもうはっきりと分かる。
 でも、なぜだろう。あまり傷ついていない。胸が苦しくない。ちゃんと呼吸ができている。

(ああ、そうか)

 きっと、もうどうでも良いからだ。
 もう、彼らにはなんの感情もないから、だから傷つかないのだ。
 そう思うとアイシャの心はスッと軽くなった。今まで悩んでいたのが嘘みたいだ。

「ねえ、アイシャ。君を大事にしてくれない人を無理に家族だと思ってやる必要なんてないんだよ。君を大事にしてくれるのが君の家族だ」
「イアン様……。そう、ですよね。うん。そうだわ」

 家族を大事にしろと教えられたが、神はその家族がどういうものかを定義していない。
 イアンの言う通り、自分を大事にしてくれる人が家族だとするならば、それはブランチェット伯爵夫妻でもベアトリーチェでもない。
 アイシャはゆっくりと顔を上げ、叔父を見つめた。
 目の前にいるのはずっと優しくしてくれた。親よりも親らしい愛情をくれた人。
  
「叔父様、ずっと気にかけてくださってありがとうございました。これからはお父様とお呼びしてもいいですか?」
「ああ、是非そう呼んでくれ。可愛い娘よ」

 エレノア子爵は涙を流しながら、アイシャを抱きしめた。

 
 

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