【完結】アッシュフォード男爵夫人-愛されなかった令嬢は妹の代わりに辺境へ嫁ぐ-

七瀬菜々

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第三章 アッシュフォード男爵夫人

17:魔女(3)

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「お前たちはあの姿を見てもまだ、彼女を責めると言うのか」

 イアンは彼らを見下ろし、問うた。 
 もちろん、答えはNOだ。彼らは自分の間違いを認めざるを得なかった。
 本当に虐待されているのなら、本当に搾取されているのなら、あんな状態になってまでアイシャを庇わない。
 アイシャの方も、あんなふうに抱きしめたりしない。

「も、申し訳ございません。領主さま」

 ロディは地面に額を擦り付けるようにして、深々と頭を下げた。
 しかし、それで無罪放免といくわけもなく。

「謝罪は結構。さて、どうしてやろうか」

 イアンはとても爽やかな笑みを浮かべ、そう言った。
 顔を上げたロディは大きく目を見開いて、ぽかんと口を開けている。大変間抜けな顔だ。

「ん?何を不思議そうな顔をしている?帝国法では不敬を働いた者は領主の判断で処罰できるはずだろう?そうですよね、子爵さま」
「ああ、そうだね」
「そ、そんな……」
「まさか、こんな騒ぎを起こしておいてなんの罰もないと思っていたのか?あり得ないだろ」

 もし、ロディがもっと多くの領民を引き連れてきていたのなら、それはもう反逆行為だ。きっともっと大きな事態になって、死人が出たり家が燃えたりする騒ぎになっていたことだろう。
 この人数だからこの程度の騒ぎで済んでいる。

「馬鹿が自分たちだけで良かったな」

 そのおかげで、ただの不敬として扱える。イアンはそう言って彼らを嘲笑った。
 彼のその笑みはまさに戦場の悪魔の名に相応しく、ロディたちはようやく自分がどれほど愚かであったのかを自覚した。

「ま、待ってください!」

 緊迫した空気の中、それまで両親の後ろに隠れていたベアトリーチェが声を上げた。
 
「違うんです!この人たちは子どもたちのことを思って……!」

 そんなことをほざいて、ベアトリーチェはイアンの腕に縋り付く。自分が招いた事態なのに、よくもまるで彼らを救おうとする聖女のように振る舞えたものだ。
 この女は本当に懲りないなと、イアンは逆に感心してしまった。
 その図太さと鋼のメンタルは、むしろ唯一褒められる彼女の強みかもしれない。
 イアンがふと伯爵夫妻を見やると、なぜか彼らは微笑ましげにこちらを見ていた。末娘ことを『平民にも優しい娘』と思っているのがわかる。異常だ。

「ハッ!馬鹿馬鹿しい」

 本当に優しい娘なら、姉の不利益になるような話などしない。
 悪意がないのなら、こんなことはしない。
 イアンはベアトリーチェの手を振り払うと、彼女を無視して話を続けた。

「だがな、ロディ。もしお前たちが誰かに操られていたというのなら、話は変わってくる」
「……へ?」
「そうだなぁ、例えば悪魔と契約した魔女が魅了の呪術を使ってお前たちを操っていた、とか」
「何を言って……」
「だっておかしいだろう?この地のために尽力した尊敬すべき女性を信じず、たった一度、少し話しただけの女を信じるなんて普通じゃない。お前たちはきっと、何かよくない呪術でもかけられたんだよ」

 そうだろう?と、イアンはようやくベアトリーチェの顔を見た。
 彼の意図がわからないベアトリーチェは怪訝に顔を歪める。

「聞くところによると、ベアトリーチェ嬢は自分の屋敷でもよく、姉の使用人を奪っていたそうですね?」
「なんのお話でしょう?」
「おい、男爵。先程から無礼だぞ」  
「無礼なのはどちらでしょう、伯爵様。なんの先触れもなく押しかけたかと思えば、結婚式を目前に控えた花嫁を奪おうとするばかりか、人の領地で悪戯に混乱を招くようなことまでして」

 これが無礼でないのなら、イアンの態度など大した問題ではないはずだ。
 そう返すと、伯爵は顔を真っ赤にして怒り始めた。
 夫人は怖がるそぶりを見せる末娘をギュッと抱きしめて守る。悪いのはそちらなのに、まるでこちらが悪いみたいだ。

「……ああ、なるほど。伯爵様も魔女に魅せられているのですね。それは大変だ」

 イアンはわざとらしい演技でパンッと手を叩くと、すぐにテオドールを呼んだ。

「テオドール、すぐに異端審問の記録を調べてくれ」
「はい、すぐに」
「…………え、いたんしんもん?」

 異端審問。それは最近はめっきり聞かなくなった言葉だ。
 ベアトリーチェはイアンの言葉の意味が理解できず首を傾げた。
 だが、彼の意図を察したエレノア子爵は小さく「なるほど」と呟き、伯爵の方は夫人共々、顔が真っ青になる。

「男爵はベアトリーチェが魔女であると?」
「ええ。だってこれはもう異常です。子爵様もそうは思いません?」
「確かに、昔から極端にベアトリーチェを優遇する姿はおかしいとは思っていた。だがまさか……」
「大丈夫です。もし魔女でないのなら裁かれることはありません」
「それもそうだな。よし、ならば首都にジェラルドを残しているから、彼を動かせばいい。この前の司祭様の件もあるし、教会はすぐに動いてくれるさ」
「ありがとうございます」

 茶番に乗ってくれたエレノア子爵にイアンは深々と頭を下げた。

 とはいえ、実際に呪術を使っているなんてことはないだろう。ベアトリーチェはただ媚びるのが上手いだけだ。
 そしてベアトリーチェに肩入れする伯爵家の者達はおそらく皆、伯爵夫妻の横柄な態度のせいで溜まった鬱憤をアイシャで晴らしていただけ。
 大っぴらにいじめることはできないが、ベアトリーチェの味方のフリをすれば伯爵夫妻は、使用人がアイシャに何を言っても怒らない。
 そうして貴族令嬢であるアイシャを見下すことで優越感に浸り、ストレスを発散させていたのだろう。

 だがそれは即ち、ベアトリーチェの築いてきた主従関係が歪であるということ。
 きっと伯爵家の使用人の中には保身のために彼女が魔女であると証言する輩も多いはずだ。 
 確かに貴族令嬢を異端者として突き出すことは容易ではないが、できないことはない。

(これは相当怒ってるな……)

 異端審問は拷問の末に自分を異端と認めるか、異端と認めずに魔女として火刑に処されるの二択しかない。どちらを選んでも地獄確定だ。
 もし本当に彼女を異端として突き出すのなら、それはかなり酷な仕打ちと言えるだろう。

(さすがは戦場の『悪魔』だ)

 テオドールは口元を手で隠し、嬉しそうに口角を上げた。
 そこまでするつもりはなかっただろうに、こうも地雷を踏み抜かれては期待に応えたくなっても仕方あるまい。


「どうだ、お前たち。この女と話した時、違和感を感じなかったか?」
「……そういえば、す、少しだけ」
「な、何を言うか!貴様!」

 保身に走ったロディたちに伯爵が殴りかかろうとする。だがすぐにアッシュフォードの騎士により取り押さえられた。
 一方で伯爵家の騎士は異端審問という言葉を聞いて、主人を助けることを躊躇う。

「な、なぜ……?」

 自分の騎士が自分を助けないことが伯爵は信じられないらしい。驚いたように目を見開いた。
 その光景にイアンは嘲笑うように鼻を鳴らした。

「その程度の忠誠しか誓わせられなかったのは伯爵様がその程度のお人だからですよ」
「貴様、先程から無礼がすぎるぞ!こんなこと、許されるはずがない!」
「あなたを許すか許さないかは神が決めることでは?」

 尤も、イアン本人は救ってくれなかった神など信じていないが。

「調子に乗るなよ、平民風情が!きっとダニエル殿下がお前を裁くはずだ!」
「人任せですか、なんと情けない」
「男爵、しばらくは隔離していたほうがいいだろう。どうだね、彼らはうちで預かろう。これでも身内だからね、こんな事態になるまで放置した責任を取らせて欲しい」
「そうしていただけるのなら助かります」
「では、少し失礼するよ。アイシャとも話したいし、すぐに戻るから」
「はい」

 エレノア子爵は自分の騎士に命じて、伯爵家の3人を縛り上げるとヴィルヘルムの屋敷に連れていくよう命じた。
 ベアトリーチェは何が起きているのかを理解できないようで、終始「異端って何?」と呟いていた。 

 



 
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