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第三章 アッシュフォード男爵夫人

3:新しい生活

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 春の訪れを告げる関所の開門が行われた日の昼下がり。アイシャは新しい使用人を迎えるため、食堂へと向かっていた。
 無事に改装を終えたアッシュフォードのお屋敷は、派手さはないものの品がある。 
 カーテンも絨毯も家具も絵画も、全て理想通りにしてくれた使用人たちにアイシャはとても感謝していた。

「奥様、新人をお連れしました」
「ありがとう、ラン」

 アイシャが食堂に入ると、ランとメイド長に付き添われた可愛らしい使用人が3人、入室してきた。

「ほ、本日より、どうぞよろしくお願いします!」
「お願い致します」
「精一杯頑張ります」

 次々に頭を下げる3人の小さな使用人名前は右から、レオ、シュゼット、イリーナだ。
 そう、アイシャは孤児院の彼らをこの屋敷に連れてきたのだ。
 司祭の身柄を確保して以降、一応代わりの司祭が派遣されることとなったが、メインで面倒を見ていたマリンはいなくなり、シスターの数も元々足りていないのに欠員補充はない。
 加えて街の方に治療院を移設する話も出ており、子どもたちを養育するための環境を整えることが難しくなった。
 これは子どもたちにとって良くないということで、アイシャは子どもたちを屋敷で引き取ることにしたのだ。
 だから冬の間をかけて、屋敷のメイドたちを孤児院に通わせ、彼らを迎え入れる準備をした。 

「奥様、とりあえず男性との接点が少ない洗濯係からさせようかと思います。それから徐々に、男性との接点を持たせていこうかと。はじめは遠目で見かけるくらいからはじめて、奥様の結婚式までにはすれ違うことができるようになるのが目標です」
「気配りありがとう。よろしくね、バルド夫人」
「とんでもございませんわ、奥様。当然の配慮です。あとそれから、この子達には離れを使ってもらおうかと思っております。元々、教会ではほとんど自活していたようですし、本人たちも身の回りのことは自分でなんとかすると言っています。一応、夜は警備の騎士も配置する予定です」
「わかりました」
「ちなみに、奥様のお言い付け通り、ジェスターに関しては彼の部屋の物ごと、離れに運んだようです。配置も全てそのままにしております故、ご安心を」
「ありがとう。ジェスターの様子はどう?」
「移動で神経を使ったようで、今は離れの部屋で寝ております」
「そう、後で少し顔を出すわ」
「かしこまりました」
 
 メイド長の淡々とした報告に軽く返事をし、アイシャは子どもたちの前に立った。
 特別に小さいサイズで作らせた各々の制服に身を包んだ孤児院の彼らは、珍しいものを見る眼差しをアイシャに向ける。

「アイシャ、お前って本当に偉い女だったんだな」
「そうよ、レオ。だからその言葉遣いはやめなさい。ここでは私のことは奥様と呼ぶように」
「は、はい。ごめんなさい」
「素直でよろしい。では皆んな、今日からあなた達にはこのお屋敷で働いてもらいます。……とは言っても、実際にすることは、とりあえず洗濯のお手伝いだけ。朝一番の洗濯を他のメイドたちと一緒に行ったあとはお昼からはお勉強をしてもらいます」
「お勉強?」
「ええ、そうよイリーナ。読み書きと、あとは簡単な計算。それが出来ればこれから先、選択肢が増えるわ。イリーナは読み書きはできるんだっけ?」
「うん。できます!」
「じゃあ皆んなが困っていたら教えてあげてね」
「任せて!」
「で、でも奥様、私たち、お金がありません……」
「シュゼット。大丈夫よ、安心して?私が先生になるから、家庭教師代はゼロ!お得でしょう?」
「奥様が教えてくれるのですか?」
「ええ、こう見えで帝国アカデミーではそこそこ優秀だったのよ。だからそういう面でも安心していいわ。……あ、ちなみに、少ないかもしれないけれど、働いてくれた分のお給料はしっかり出すからね」

 そのお金で欲しいものを買ってもいいし、いつかここを出ていく時のために貯めていてもいい。アイシャはそう言ってウインクをしてみせた。
 3人はそんな彼女を見て不思議そうに首を傾げる。

「なんでここまで良くしてくれるんだ……ですか?」

 雨風凌げる寝床に、きちんと給料の出る仕事。しかも3食の賄い付き。加えて勉強まで教えてもらえる。ただの孤児なら望んでも得られないほどの好待遇だ。
 けれど、それをもらってもレオは返せるものを何も持っていない。だから不思議でたまらない。

 今まで、憐んでくれる大人はたくさんいた。
 特に戦争が終わってすぐの頃。多くの孤児がアッシュフォードの外へ出て、レオたちだけがこの地に残された頃はそんな人が多かったように思う。
 直接見たことはないけれど、マリンから何度か聞いた。教会に訪れた人々が、自分たちの境遇を憐んでお菓子を置いていってくれたとを。
 レオはなぜ自分が憐れまれているのかを理解できなかったが、とりあえず貰ったお菓子が美味しかったことはよく覚えている。
 でもそれだけだ。
 お菓子をくれただけ。遠くから憐れんだだけで、それ以外は何もしてくれなかった。
 一度視察とやらで高貴な人が来たこともあったが、やはり何もしてくることはなかった。
 アイシャのように直接何かをしてくれたり、遊んでくれた人は誰もいなかった。だから、本当にどうして手を差し伸べてくれるのか分からない。

「そんなに考え込まないとわからない?」

 眉間に皺を寄せ、考え込むレオにアイシャは思わず吹き出してしまった。
 
「実はね、シスターマリンのお願いなの」  
「マリンの?」
「そうよ。彼女があなた達を守って欲しいとお願いしてきたの。だから私は彼女との約束を守るのよ」
「そっか……、シスターマリンが……」

 優しかった彼女の名前を聞き、子どもたちの顔が安心したように綻んだ。
 流石に司祭とマリンがどんな刑に処されたかを子どもたちには言えないため、彼らの中での彼女は病気の治療のために遠い異国へと旅立ったことになっている。
 しかし、手紙こそ残してくれたが、別れの挨拶すらできずに消えたマリンに子どもたちは複雑な感情を抱えていた。捨てられたのかと、ずっと不安だったのだ。
 
「……そうか、良かった」
「ありがとうございます、奥様」
「私たち、精一杯頑張ります!」
「ふふっ、ありがとう。これからよろしくね」

 アイシャは満面の笑みを見せる子どもたちをまとめて抱きしめた。マリンの分まで。


 
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