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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

46:春まで待って(4)

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(ああ、好きだ)

 頑張り屋なところも、真面目なところも、時に大胆でかっこいいところも、誰にでも優しいところも、笑顔が可愛いところも、人タラシなところも、すぐ照れるところも、無自覚で無防備なところも、変なところで臆病で面倒臭いところも。全部が好きだ。
 イアンはギリギリの理性を保ちながら、彼女の耳元で囁いた。わざと、少しだけ吐息を混ぜて。

「どういう風に触ればいい?想像できるように触ればいいの?」
「ひぁ!?」
「ねえ、どうして欲しいの?教えて?」
「……うぅ。イジワルです」

 耳が熱い。耐えきれなくなったアイシャは、何とかこの腕の中から脱しようと身動ぐ。
 だが、イアンはそれも愉快そうに眺めつつも決して離してはくれない。

「イアン様。女慣れしていないとか、アレは嘘でしょう」
「慣れていないのは本当だよ。今だってこんなに緊張してるのに。わからない?」
「まあ、心臓の音はすごいですけれど。爆発しそう」
「君の音もすごいね」
「それは言わないでください。秘密です」
 「隠せてない秘密だね。ところでアイシャ。どうして逃げようとするの?」
「だ、だって……」
「自分で言っておいて逃げようとするのは無しだろう。ダメだよ、逃がさない。さあ、どうして欲しい?」

 悪戯にアイシャの頬に触れ、耳に触れ、髪に触れるイアン。アイシャは顔を上げると悔しそうに彼を睨んだ。

「ど、どんな風に愛してくれるのか、私に分かるように触れてください!」
「そんな挑むような顔されても……。本当にいいの?」
「構いません!受けて立ちましょう!」
「何だか雰囲気のかけらもなくなったな」
「それから……その……キ、キス、して?」
「……………え?」
「この間は熱であまり覚えていないから、だから、やり直し。初めてのキスは流石に、ちゃんと覚えておきたいので」

 唇を尖らせ、アイシャは拗ねたようにつらつらと言葉を並べる。
 度胸はある方だと思っていたが、こんな獣の前でそんな可愛らしい言葉を吐いてはダメだろう。それはもう、襲ってくださいと言っているようなものだ。
 たまらなくなったイアンは少し尖った彼女の唇に噛みついた。

「……な、なななな!?」
「アイシャは俺の理性に感謝した方がいい」

 苦しそうに顔を歪めたイアンは咄嗟に口元を抑えるアイシャの手を引き剥がすと、彼女を抱き上げて出窓に座らせた。
 そしてもう一度、今度は軽く触れるだけのキスをした。

「あ、あの……」
「想像できるように、触ればいいんだろ?」
「えっと……、えーっと、あの……」
「大丈夫、我慢するから。でも、我慢はするけど。少しでも怖いと思ったら止めて」
「は、はひ……」
「……今度は気絶するなよ?」

 そう言って、次は前より少しだけ深く、キスをした。
 初心なアイシャが気絶しないように気をつけながら。


 ***


「何してるんですか?テオ様」

 扉の前で箒と塵取りを持ち、座り込むテオドールに休憩終わりのランが声をかけた。
 何だが呆れたような、疲れたような顔をしている。

「ラン、僕は今空気を読んでいるんです」
「空気は読むものではなく吸うものです」
「そういう返しはいりません」

 テオドールは不服そうにそう返すと、自分の近くに来るよう手招きした。
 首を傾げながらもランは促されるままにテオドールの横に膝をつき、彼が少しだけ開けた扉の隙間から部屋の中を覗き見た。
 別に香など炊いていないはずなのに、何故かすごく甘ったるい空気が隙間から漏れ出てくる。原因はきっと、部屋の奥の出窓でイチャイチャと戯れる主人たちのせいだろう。
 ランは何も言わず、そっと扉を閉めた。そして親指を立てると、それで後ろを指した。

「ニックさんがそろそろ休憩するそうですが、お茶でもしばいてきてはいかがです?」
「そうしたいのは山々ですが、この部屋は奥様の部屋です。ベッドがある以上、ここにいなければ」
「行為を覗き見たいということですか?」
「僕を変態のように言わないでください。ベッドに移動しようとする前に止めに入らねばならんでしょう!」

 婚姻前にそういう事をするのは宗教的によろしくない。
 庶民の中では順序が逆になるカップルも少なくはないが、二人は貴族だ。ましてアイシャは名門の令嬢。
 この結婚にケチをつけられるぬよう、一応は貴族の作法に則り、婚姻を結ばねばならないのだとテオドールは言う。

「ここで旦那様が本当に手を出してしまったら、『これだから平民上がりは』なんて言われるでしょ?」
「たとえ今ここでヤることをヤってしまっても、黙ってれば問題ないのでは?誰にバレるわけでもないのに。春にヤるのも今ヤのもたいして変わらないでしょ」
「年頃の娘がヤるヤる言わないの!……それにわかりません?バレますよ。あの二人ですよ?真に結ばれた日には誰が見ても分かるくらいに甘ったるい空気を醸し出してくるに決まってる。胃もたれ必須です」
「……ああ。確かに」

 顔に出やすい二人だ。確かに周囲にはバレバレになるだろう。ランは妙に納得した。

「テオ様も大変ですね」
「わかっているのなら協力してください」
「私は何をすれば?」
「とりあえず新しいティーセットを持って来てください。僕が合図したら、ご機嫌に歌でも歌いながらあっちの廊下の端から歩いてきて。お二人が気づくくらいに大きな声で」
「それじゃあまるで、アホの子みたいじゃないですか。自分でやってくださいよ」
「僕がやるより君がした方がなんか可愛らしいだろう。年齢的にも容姿的にも」
「容姿的にも、というのは余計な一言ですよ。口説いてるんですか?私的にテオ様はちょっと……」
「ちょっと……ってなんですか、失礼な。言っておきますが、僕だって子どもに興味ないから。勘違いしないでくださいね」
「は?誰が子どもですか」
「子どもだろう。16だっけ?」
「もうすぐ17ですー!春になったら17ですー」
「17でも子どもは子どもだよ」

 もういいからさっさと行け、と手で追い払うテオドール。彼の態度に少しばかりイラついたランはとりあえず、彼の胸ぐらを掴むと自分の方に引き寄せた。
 そしてなんと、あろうことかその首筋に噛みついた。
 一瞬何が起きたか分からず、首を抑えたテオドールは目を丸くして硬直する。
 ランはそんな彼を見下ろし、フッと嘲笑う。

「修羅場確定ですね。ざまぁみろです」
「……は?」
「仕方がないので、私は子どものフリをしてあげますよ」

 ランはくるりと踵を返すと、そのまま厨房に走って行った。
 思い切り噛みつかれたから微かに首が痛む。おそらく歯形がついたはずだ。血が出たらどうしてくれる。
 本当に最悪だ。きっといろんな人にこれは何だと聞かれる事だろう。
 たがそれをどう説明しろと言うのだ。16の小娘につけられたなんて、正直に話せるはずがない。それはもう男の沽券にかかわる。
 テオドールは首を抑えたまま、ただ廊下の端を茫然と眺めた。
 遠くなる彼女の赤毛のおさげが、走るたびにぴょこぴょこと揺れる様はまるでウサギだ。
 
「……いや、痴女かっての」

 テオドールはじわじわと熱くなる体を手で仰いだ。

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