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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
38:ハル(3)
しおりを挟むその後、アイシャはまだ少し怯えるハルの警戒を解くため、軽い口調で身の上話を始めた。
少しばかり大げさに脚色した不幸な生い立ちはハルに親近感を与えた。
(すごいな……)
元々、魔族は単純明快な性格をしているから心を開かせるのは対人間より簡単だ。しかしここまで短時間で心の中に入っていけるとは思っていなかったテオドールは素直に驚いた。
訓練したわけではないだろうに、アイシャは想像以上に戦略的な話し方が得意なようだった。
ある程度打ち解けたところで、アイシャはマリーナフカのことを切り出した。テオドールに要所要所で助けてもらいながらも拙い言葉で、けれどしっかりと自分の口で伝えた。
司祭の所業は誤魔化しながら、事実にほんの少しの脚色を加えつつ、アイシャは彼らが魔族であるが故に死んだことは話した。
これはアイシャにとって賭けだった。ここでハルが子どもを守れなかった怒れば、これ以上話をすることなど不可能だろう。
だが今後も関係を続けたいのなら子どもたちの死は隠し通せない。
アイシャは全てを話し終え、祈るようにハルの返事を待った。
『そうか…….。それは迷惑をかけたな』
ハルは意外にも落ち着いていて、静かにそう返した。
曰く、元々そんなにうまく行くとは思っていなかったらしい。
『でも、私一人ではもう、守りきれなくて。だからそちらに逃したんだ』
ハルは同胞が人間に対してした悪行をよく知っていた。
だから人間に子どもを託すリスクも理解していた。
本音を言えば、嘘つきだと叫びたい。何故守ってくれなかったと怒りたい。
だが魔族である自分にその資格がないことをハルはよく理解していた。
『彼らはこちらにも生きる場所がなくて……』
『よければ聞かせてほしい 貴方の話』
『……ああ』
ハルは少し躊躇しながらも、恐る恐る話し始めた。
『あの子達は私の友人の子どもなんだ……』
あれはアッシュフォードが奪還された日。
それまでうまく身を隠していた罪人の村が敗走する魔王軍に見つかった。
手ぶらで帰れない彼らには、そこに住む人間の女が宝のように見えただろう。
『彼らは村を燃やした。女を攫おうとした。男たちが応戦したけど、やっぱり数には勝てなくて。私は女たちと子どもを連れて逃げた。でもどこへ行っても追いかけてきて……。だから……』
人間の女たちは散り散りになり、自分たちだけ洞窟に身を隠した。そしてハルら魔族の女と子どもたちはそのまま東へと走らせた。
『私の友人は洞窟に追っての魔王軍の兵士を誘い込み、そこで自爆した』
夫以外に弄ばれるくらいならば、死を選ぶと。
残された子どもたちをハルたち魔族の女に託して。
『彼女たちのおかげで、私たちは追ってを振り切った。でも、そこからの生活は楽ではなくて』
追われる身であるから隠れて暮らさねばならない。
大勢の子どもを抱えての逃亡生活。
一から村を開拓するには人手が足りず。山菜や野生動物を狩って暮らすも足りるわけもなく。食べるために盗みを働いたりもした。
『追われては仲間を一人囮にして逃げて。そんなことを繰り返しているうちに、とうとう私は一人になった。怪我や病気をした子どもを置いていかなくてはいけない時もあった』
捕まった子らが城で何をされたのかは知らない。だがろくな事をされていないはずだ。王はそういう奴だ。
今思えば、城に行く前にこの手で殺してやっておけば良かったと思う。
『もう、守り切れなくて。最後の賭けだった。優しかった彼女たちの故郷なら、もしかしたらと』
受け入れてくれるんじゃないかと。
『現実は甘くはないな。私は何も守れていない』
壁の向こうから聞こえるハルの声は少し掠れていた。
アイシャはそんな彼女の手をぎゅっと握る。慰めるように掴んだ手は冷たくて、震えていた。
「奥様……」
それまで黙って聞いているだけだったテオドールがそっと耳打ちする。
アイシャは小さく頷き、ゆっくりと深呼吸をして、少し低めに声を出した。
『ハル、嘆くだけなら誰にでもできる。守りたいのなら逃げるだけではいけない。戦わなければいけない。私たちの持つ、この魔法という特別な力は大切な人を守るためにあるのだから』
それまでとは異なる、流暢な魔族の言葉だった。
驚いたのか、ハルが息を呑む気配を感じた。
『何故、その言葉……』
『貴女の王、嘆く貴女を見て、きっとこう言う。違う?』
『お前はヒューゴ殿下を知っているのか?』
『少し。会った事はないけれど。貴女の主人でしょう?』
『ああ、そうだ』
ハルの主人、ヒューゴは現魔王の腹違いの弟君で何年も前に王に反旗を翻し、失敗。誰の助言か、正当な血筋は使い道があるとして珍しく殺されなかったが、以降は牢に入れられたまま。
『私たちのような殿下の支持者は追放され、殿下と引き離された。私は何ひとつ守れていない……』
主人も友人に託された子どもも、何ひとつ。
アイシャはそんな風に後悔ばかり呟く彼女の手を離した。
ずっと繋がれていた手が離れ、ハルは不安げな声を漏らす。
『……アイシャ?』
『ハル。こちらには、とある筋から仕入れた魔王城の構造も派閥の情報もある。何より魔王が欲した知性がある。王に突き刺す刃さえあれば、戦略は立てられる』
刃になってはみないか。
アイシャは壁の向こう側。よく知らない女の背中を押した。
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