69 / 149
第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
36:ハル(1)
しおりを挟む
「情状酌量の余地などありませんからね」
連行される司祭の背中をじっと見つめるイアンに、テオドールは念のためと言って釘を刺した。
彼の身勝手で曖昧な心が多くの犠牲を出したのは紛れもない事実なのだから。
イアンはそんな当たり前のことを言うテオドールを不服そうに見下ろした。
「わかっている。馬鹿にするな」
「それは失礼いたしました」
「しかし、いっそのこと私腹を肥やすためとか、個人的な復讐のためとか言い切ってくれたほうが良かったな」
「そうですね」
「もっと抵抗して、下衆みたいなセリフでも吐いてくれれば良かったのに」
あんなにもしおらしくされては調子が狂う。あれだけ最低なことをしたのだから、最後まで悪役らしくしてほしいものだ。
そうすればこちらとしてもスッキリとした気持ちで終われたのに。
あっけない幕引きに、なんというか……
「なんともやり切れん」
司祭が自身のために横領しているわけではないことはわかっていた。彼の言う通り多少は自分に使ったのだろうが、横領した多くは彼の生まれ故郷の孤児院に寄付されていたから。
根っからの悪人ではないのだろう。ただ、死が身近にありすぎて頭がおかしくなってしまったのだ。
義務感だけでここに残りつづけたのだろうが、元々強くもない、むしろ感じやすく繊細な人間が、こんな場所に留まるべきではなかった。
「ははっ……。本当、情けないな」
もう十分頑張ったのだからと、さっさと暖かい南部に送ってやれば良かった。
もっと何でも話せるような関係を築く努力をすればよかった。
イアンは司祭の本質を見抜けなかった自分に苦笑するしかなかった。
見上げた空からは白く冷たい粒が降りてきていた。
「そう全部背負う必要はないでしょう」
テオドールは哀愁に浸るイアンを肘で小突いた。
「褒美なんて言って一方的に焼け野原となった土地を押し付けられて……。学もないただの平民がここまでよくやった方ですよ」
貴族となったことを驕らず、急に押し付けられた領主の仕事に文句も言わず、ただ愚直に民のためを思い働いてきたイアンを誰が責め立てるというのか。
彼はやれるだけのことをやってきた。その結果がこれだったというだけ。
他にも気遣うべき人はたくさんいて、やるべきことも守るべきものも、たくさんあった。
けれど手足は一対ずつしかなく。
全てをイアン一人のせいにするのは流石に酷というものだ。
テオドールの言葉に心が少し軽くなったイアンは首を左右に振ると、切り替えろと言い聞かせるように自分の頬を叩いた。
本番はむしろここからだ。
「さて、ここからは君たちにかかっているのだが」
「はい。頑張りますね!」
「頑張ってくれるのはありがたいのだが……なあ、本当にアイシャが行かねばならないのか?」
「はあ……。旦那様、何度も言いますが、この交渉に一番向いているのは奥様です。そして一番向いていないのが貴方」
いつまでもイアンがウジウジと言ってくるものだから、テオドールは大きなため息をこぼした。
イアンでなくアイシャが交渉に行くのは単純に、この場では女である彼女の方が相手の油断を誘いやすいという理由がある。
だがそれと同時に、魔族にとってのイアンは同胞を多数殺した敵であるという理由もある。
もう一度はじめから説明しなければならないのかと詰め寄られ、イアンは渋々アイシャが行くことを受け入れた。
「いいか、二人とも。基本、俺たちは後ろで見守るだけだ。たが常に矢を構えて待機しておく。テオ、もしお前が少しでも危険だと感じたら迷わず合図しろ。すぐに殺してやる」
「実力行使を前提に考えないでくださいよ」
「そうですよ」
「そうは言うが、俺たちは魔族の残虐性をよく知っているだろう?危険だと判断したらすぐに動かなければ、命がいくつあっても足りないぞ」
「それは、私だってわかっていますよ」
「なら、これもわかっていると思うが、くれぐれもテオの判断に従うこと。大丈夫がそうでないかを判断するのはアイシャじゃない。テオだ」
「わかってますってば」
「旦那様しつこい」
アイシャ以外の全員は嫌というほど知っている、魔族の残虐性。
一瞬の迷いが命取りになることを知っているイアンは、しつこいと言われようが何度も念を押した。
「いいか、アイシャ。魔族はな……」
「はいはい。では、行きましょうか。奥様」
「ええ」
「ちょっと待て。まだ話は終わってない。いいかアイシャ、くれぐれも……」
「大丈夫です。心配はいりませんわ、イアン様。任せて」
アイシャは不安げに見つめるイアンに対し、舌を出してウインクをして見せた。
「ぐぬぬ……」
まだ見たことのない彼女の悪戯っぽい笑みにイアンは悔しそうに眉根を寄せる。
心配しているだけなのに、そんな顔をされてはもう何も言えない。なんだか手のひらで踊らされている気分だ。
「行ってきますね、イアン様」
「……じゃあ、頼んだぞ」
「はいっ!」
満面の笑みで返すアイシャ。それを隣で見ていたテオドールはやれやれと肩をすくめた。
「扱いがお上手ですね」
「ん?なんの話?」
「……無自覚でしたか、恐ろしい」
キョトンとするアイシャにテオドールはある種の恐ろしさを感じた。
笑顔ひとつで領主を操れるとなれば、このアッシュフォードは実質的に彼女のものになったも同然だろう。
つくづく、アイシャが悪女じゃなくてよかったと思う。
連行される司祭の背中をじっと見つめるイアンに、テオドールは念のためと言って釘を刺した。
彼の身勝手で曖昧な心が多くの犠牲を出したのは紛れもない事実なのだから。
イアンはそんな当たり前のことを言うテオドールを不服そうに見下ろした。
「わかっている。馬鹿にするな」
「それは失礼いたしました」
「しかし、いっそのこと私腹を肥やすためとか、個人的な復讐のためとか言い切ってくれたほうが良かったな」
「そうですね」
「もっと抵抗して、下衆みたいなセリフでも吐いてくれれば良かったのに」
あんなにもしおらしくされては調子が狂う。あれだけ最低なことをしたのだから、最後まで悪役らしくしてほしいものだ。
そうすればこちらとしてもスッキリとした気持ちで終われたのに。
あっけない幕引きに、なんというか……
「なんともやり切れん」
司祭が自身のために横領しているわけではないことはわかっていた。彼の言う通り多少は自分に使ったのだろうが、横領した多くは彼の生まれ故郷の孤児院に寄付されていたから。
根っからの悪人ではないのだろう。ただ、死が身近にありすぎて頭がおかしくなってしまったのだ。
義務感だけでここに残りつづけたのだろうが、元々強くもない、むしろ感じやすく繊細な人間が、こんな場所に留まるべきではなかった。
「ははっ……。本当、情けないな」
もう十分頑張ったのだからと、さっさと暖かい南部に送ってやれば良かった。
もっと何でも話せるような関係を築く努力をすればよかった。
イアンは司祭の本質を見抜けなかった自分に苦笑するしかなかった。
見上げた空からは白く冷たい粒が降りてきていた。
「そう全部背負う必要はないでしょう」
テオドールは哀愁に浸るイアンを肘で小突いた。
「褒美なんて言って一方的に焼け野原となった土地を押し付けられて……。学もないただの平民がここまでよくやった方ですよ」
貴族となったことを驕らず、急に押し付けられた領主の仕事に文句も言わず、ただ愚直に民のためを思い働いてきたイアンを誰が責め立てるというのか。
彼はやれるだけのことをやってきた。その結果がこれだったというだけ。
他にも気遣うべき人はたくさんいて、やるべきことも守るべきものも、たくさんあった。
けれど手足は一対ずつしかなく。
全てをイアン一人のせいにするのは流石に酷というものだ。
テオドールの言葉に心が少し軽くなったイアンは首を左右に振ると、切り替えろと言い聞かせるように自分の頬を叩いた。
本番はむしろここからだ。
「さて、ここからは君たちにかかっているのだが」
「はい。頑張りますね!」
「頑張ってくれるのはありがたいのだが……なあ、本当にアイシャが行かねばならないのか?」
「はあ……。旦那様、何度も言いますが、この交渉に一番向いているのは奥様です。そして一番向いていないのが貴方」
いつまでもイアンがウジウジと言ってくるものだから、テオドールは大きなため息をこぼした。
イアンでなくアイシャが交渉に行くのは単純に、この場では女である彼女の方が相手の油断を誘いやすいという理由がある。
だがそれと同時に、魔族にとってのイアンは同胞を多数殺した敵であるという理由もある。
もう一度はじめから説明しなければならないのかと詰め寄られ、イアンは渋々アイシャが行くことを受け入れた。
「いいか、二人とも。基本、俺たちは後ろで見守るだけだ。たが常に矢を構えて待機しておく。テオ、もしお前が少しでも危険だと感じたら迷わず合図しろ。すぐに殺してやる」
「実力行使を前提に考えないでくださいよ」
「そうですよ」
「そうは言うが、俺たちは魔族の残虐性をよく知っているだろう?危険だと判断したらすぐに動かなければ、命がいくつあっても足りないぞ」
「それは、私だってわかっていますよ」
「なら、これもわかっていると思うが、くれぐれもテオの判断に従うこと。大丈夫がそうでないかを判断するのはアイシャじゃない。テオだ」
「わかってますってば」
「旦那様しつこい」
アイシャ以外の全員は嫌というほど知っている、魔族の残虐性。
一瞬の迷いが命取りになることを知っているイアンは、しつこいと言われようが何度も念を押した。
「いいか、アイシャ。魔族はな……」
「はいはい。では、行きましょうか。奥様」
「ええ」
「ちょっと待て。まだ話は終わってない。いいかアイシャ、くれぐれも……」
「大丈夫です。心配はいりませんわ、イアン様。任せて」
アイシャは不安げに見つめるイアンに対し、舌を出してウインクをして見せた。
「ぐぬぬ……」
まだ見たことのない彼女の悪戯っぽい笑みにイアンは悔しそうに眉根を寄せる。
心配しているだけなのに、そんな顔をされてはもう何も言えない。なんだか手のひらで踊らされている気分だ。
「行ってきますね、イアン様」
「……じゃあ、頼んだぞ」
「はいっ!」
満面の笑みで返すアイシャ。それを隣で見ていたテオドールはやれやれと肩をすくめた。
「扱いがお上手ですね」
「ん?なんの話?」
「……無自覚でしたか、恐ろしい」
キョトンとするアイシャにテオドールはある種の恐ろしさを感じた。
笑顔ひとつで領主を操れるとなれば、このアッシュフォードは実質的に彼女のものになったも同然だろう。
つくづく、アイシャが悪女じゃなくてよかったと思う。
10
お気に入りに追加
2,824
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない
nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?
死に役はごめんなので好きにさせてもらいます
橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。
前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。
愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。
フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。
どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが……
お付き合いいただけたら幸いです。
たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!
さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます
結城芙由奈
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】
私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。
もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。
※マークは残酷シーン有り
※(他サイトでも投稿中)
悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。
三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。
人の顔色ばかり気にしていた私はもういません
風見ゆうみ
恋愛
伯爵家の次女であるリネ・ティファスには眉目秀麗な婚約者がいる。
私の婚約者である侯爵令息のデイリ・シンス様は、未亡人になって実家に帰ってきた私の姉をいつだって優先する。
彼の姉でなく、私の姉なのにだ。
両親も姉を溺愛して、姉を優先させる。
そんなある日、デイリ様は彼の友人が主催する個人的なパーティーで私に婚約破棄を申し出てきた。
寄り添うデイリ様とお姉様。
幸せそうな二人を見た私は、涙をこらえて笑顔で婚約破棄を受け入れた。
その日から、学園では馬鹿にされ悪口を言われるようになる。
そんな私を助けてくれたのは、ティファス家やシンス家の商売上の得意先でもあるニーソン公爵家の嫡男、エディ様だった。
※マイナス思考のヒロインが周りの優しさに触れて少しずつ強くなっていくお話です。
※相変わらず設定ゆるゆるのご都合主義です。
※誤字脱字、気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる