上 下
62 / 149
第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

29:シスター・マリン(2)

しおりを挟む

(どうしよう……)

 マリンの直感が正しければ、アイシャはおそらくマリンの秘密を知っている。だからこんな話をするのだ。そしてその上で、明言を避ける。
 ……きっと自白を促そうとしているのだろう。

(多分、奥様ならちゃんと話を聞いてくれるだろうな)

 アイシャなら一方的に上から怒鳴りつけたりはしないだろう。マリンの話を、時に自己中心的だと思われるような話も含めて全て、うんうんと優しく頷きながら聞いてくれるはずだ。彼女がそういう人であることをマリンはもう気づいている。
 しかし、このまま心のままに素直に罪を吐いてしまっても良いのだろうか。そう思う気持ちがマリンの喉に蓋をする。
 罰を受けるのはさほど怖くはない。自分は罪を犯しているのだから、たとえ死を免れなくとも仕方がない。
 けれども、軽蔑されるのは、嫌われるのは、首を刎ねられるよりもひどく恐ろしい。

 すると、そんな彼女の迷いを察したのかアイシャは静かに口を開いた。

「マリンは昔、マリーと呼ばれていたの?」

 その名に、マリンの心臓はドクンと跳ねる。
 無意識に額に汗が滲む。
 とうとう彼女が一歩踏み込んできた。もう待てないのかもしれない。
 マリンは小さく深呼吸をして口を開いた。

「む、昔の話です。シスターになる前、両親や兄からそう呼ばれていました」
「そう。シスターはいつからシスターになったの?」
「14の、時です………。ここの司祭様に保護していただいて……」
「………保護?」

 アイシャは体を起こし、マリンの瞳を覗き込むように首を傾げる。
 過去を思い出し無意識に悲痛な顔をしていたのだろうか。彼女の群青の瞳が心配そうに見つめてくる。
 本当に、本当に心から心配しているような目をするものだからマリンはたまらず、吐き出した。
 誰にも秘密にしていた過去を。

「わ、……私の……両親と兄は商売をしていて、ヴィルヘルムの領主様と取引をしていました。でも……、その、あまりよくないお金の稼ぎ方をしていたようで、ヴィルヘルムの領主様が逮捕された時、一緒に逮捕されました」

 母は連行される前に自殺。兄と父は遠い地で強制労働。当時家業に加担していなかったマリンはお咎めこそなかったが、当然今までのように生活できるわけもなく、逃げるようにしてアッシュフォードに来たのだと言う。
 きっと、比較的裕福な家庭で育ったのだろう。それこそ貴族と同じような教育を受け、貴族と同じような服を着て、贅沢なご飯を食べてきたのだろう。
 それが一瞬にして崩れ落ちるところをマリンは目撃したのだ。今まで自分が本物だと信じていたものがただの虚像に過ぎぬことを知ったときの彼女の絶望は如何程のものだっただろうか。
 アイシャは過去の自分の行動を後悔はしていない。けれど周り巡ってマリンの家庭を壊していたことに、心を痛めた。悪事を暴いた正義の裏で、たしかに、一つの幸せな家庭を彼女は壊していたのだ。

「……それからアッシュフォードに来たはいいけれど、ここは貧しく仕事もない。そんな時に司祭様に保護していただいたんです。そして司祭様の勧めでシスターになりました」

 アッシュフォードでの生活は決して楽ではなかったものの、マリンは幸せだった。
 綺麗な服を着れなくても、具なしのスープと麦パンだけの食卓でも、娯楽がなくとも、間違いなく幸せだった。
 豪商の娘から何でもないただのマリンへとなりがった自分にも、まるで実の娘のように惜しみない愛情を注いでくれる司祭ひとがいたから。

 だから、魔族に襲撃されたあの日。逃げろと言う司祭の言葉をマリンは無視した。そして彼について負傷者を治療して回った。
 それはシスターとしての義務感なんかじゃなく、ただ単に彼のそばにいたかったからだ。

「私は、本当に。本当に司祭様を尊敬しているんです」
「……うん」
「司祭様はすごいんです。片足の自由を失ったのに、未だ身を粉にして人々のために尽力しているんです」
「うん……」
「本当なら首都の教会本部に戻って静養すべきなのに、残された子どもたちや負傷した兵たちの予後も心配だからとこの地に留まって下さってるんです」
「……そうだったの」
「なのに!街の人たちは司祭様は兵士ばかり診て、自分たちのことは診てくれないと文句ばかり言うし、子どもたちはあの通り大人の男が苦手だからって、わざわざここに孤児院を立てて下さった司祭様をも他の男と同一視して拒絶して!」
「うん……」
「本部は本部でここの悲惨な状況を知っているからこそ、もう手の施しようがないとか何とか言って人もお金も送ってくれないし……!そんな状態だから、どうしても安価で効き目のある薬草が必要だっただけなのに、初めは強力的だったはずの薬屋も、いつの間にか仕入れてやってるって大きな態度をとるようになるし」
「うん……」
「砦の人たちも、段々と司祭様に治療してもらうのが普通になって、治療の仕方に文句言うようになって……!」

 みんなみんな、司祭の優しさを当たり前に思うようになった。それが許せないのだとマリンはヒステリックに叫んだ。
 しかしすぐに、何かを悟ったようにピタリと叫ぶのをやめた。

「……わかっているんです。みんな、心に余裕がなかっただけだってことくらい」

 目の前に広がる荒廃した街。そこかしこに転がったままの遺体。それを当たり前に感じてしまう自分自身に抱く嫌悪感。
 目を閉じればまだ鮮明に覚えている、貧しくも楽しかったあの平和な日常。

 人々の心の余裕を奪ったのは戦争だ。悪いのは魔族であり、もしくはすぐに助けてくれなかった皇室。
 だが、戦争が終結した頃にはもう魔族の姿はそこにはなく、皇室のやつらがこんな所まで来ることもなく。土地を正常に戻すために尽力すべき前領主は戦争が始まってすぐに死んで……。
 誰に石を投げてやれば良いのかわからない状況で人々の鬱憤は溜まるばかりだったはずだ。
 きっと皆が皆、お互いにイライラしていて。暴言を吐かれた人だっておそらく司祭だけではなかったはず。
 むしろそんな過酷な中でも、暴言を吐く程度に留まっていたのだからアッシュフォードの民は理性を保っていた方だと思う。
 けれど、

「……二年前、今の領主様になってからは環境が改善されたけど、もう司祭様の心も私の心も限界が来ていたのかもしれません」

 マリンはポロポロと涙を流した。
 イアンが治療院の支援をし始めてしばらくした頃。
 今まで頑張ったのだから少しくらい良いじゃないかと、マリンが提案したらしい。
 司祭はイアンから受け取った支援金の一部を自分の懐に入れた。
 そこからは早かった。長年仕舞い込んでいた欲がどんどん溢れ出して、気がつけばもう取り返しのつかないところまで来てしまった。

「負傷者が増えればお金が増えるから」

 司祭は偶然迷い込んだ魔族の子どもを使って自爆させた。
 それが思いの外うまくいったものだから、魔族と秘密裏に取引をして、どんどん子どもを招きいれたのだと震える声でマリンは語った。
 
 アイシャはそんな彼女を強く抱きしめた。

「ごめんなさい……。ごめんなさい……!」

 だめだとわかっていながら、おかしくなっていく司祭を止められなかった。
 あいつは昔、横柄な態度をとったから、あいつは司祭の頼みを断ったから。だから天罰が下ったのだ。
 そう心の中で自分に言い聞かせながら、マリンはマリーナフカの自爆で負傷した人たちを治療していたらしい。
 アイシャの腕の中で静かに懺悔した。

 すると、心配そうに子どもたちが駆け寄ってくる。
 マリンがお腹が痛いのだと笑顔を作って誤魔化すと、子どもたちは家の中からありったけの毛布を持ってきては彼女に被せた。
 それは彼女が今まで彼らにしてきた事だろう。きっと今まで風邪を引いたと言えば甲斐甲斐しく世話を焼いてきたのだ。
 司祭を拒絶したことを怒りながらも、心の奥底では彼らを娘息子のように思ってきたのだ。

 マリンは子どもたちの優しさにまた涙を溢れさせた。

「マリン、一緒に男爵様のところへ行きませんか?あなたが慕う人だからこそ、あなたの手で罪を犯して墜ちていく彼を救って差し上げるべきだわ」

 アイシャがそう耳元で呟くとマリンは小さく頷いた。
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

婚約「解消」ではなく「破棄」ですか? いいでしょう、お受けしますよ?

ピコっぴ
恋愛
7歳の時から婚姻契約にある我が婚約者は、どんな努力をしても私に全く関心を見せなかった。 13歳の時、寄り添った夫婦になる事を諦めた。夜会のエスコートすらしてくれなくなったから。 16歳の現在、シャンパンゴールドの人形のような可愛らしい令嬢を伴って夜会に現れ、婚約破棄すると宣う婚約者。 そちらが歩み寄ろうともせず、無視を決め込んだ挙句に、王命での婚姻契約を一方的に「破棄」ですか? ただ素直に「解消」すればいいものを⋯⋯ 婚約者との関係を諦めていた私はともかく、まわりが怒り心頭、許してはくれないようです。 恋愛らしい恋愛小説が上手く書けず、試行錯誤中なのですが、一話あたり短めにしてあるので、サクッと読めるはず? デス🙇

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

私が妻です!

ミカン♬
恋愛
幼い頃のトラウマで男性が怖いエルシーは夫のヴァルと結婚して2年、まだ本当の夫婦には成っていない。 王都で一人暮らす夫から連絡が途絶えて2か月、エルシーは弟のような護衛レノを連れて夫の家に向かうと、愛人と赤子と暮らしていた。失意のエルシーを狙う従兄妹のオリバーに王都でも襲われる。その時に助けてくれた侯爵夫人にお世話になってエルシーは生まれ変わろうと決心する。 侯爵家に離婚届けにサインを求めて夫がやってきた。 そこに王宮騎士団の副団長エイダンが追いかけてきて、夫の様子がおかしくなるのだった。 世界観など全てフワっと設定です。サクっと終わります。 5/23 完結に状況の説明を書き足しました。申し訳ありません。 ★★★なろう様では最後に閑話をいれています。 脱字報告、応援して下さった皆様本当に有難うございました。 他のサイトにも投稿しています。

処理中です...