上 下
50 / 149
第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

17:テオドールの打算と誤算

しおりを挟む
 初めての視察から戻ったアイシャはそれから3日間、部屋から出てこなかった。
 ニックが花を届けたり、ランが軽食や本を運ぶ姿は見られたがアイシャが部屋から顔を出すことはなく、教会でのことを聞いていない屋敷の使用人たちは何があったのかと心配していた。
 リズベットもずっとアイシャの部屋の前で待機している。護衛だから仕方なくだなんて悪態をついているが、やはり心配しているのだろう。
 そんな中、主人が不在の執務室でテオドールは窓の外のどんよりとした雲を眺めながらため息をこぼした。  
 
「さて、どうしたものか……」

 ショッキングな光景を目の当たりにしたのだ。アイシャが塞ぎ込むのも無理はない。
 しかしここで挫折するようならリズベットの言う通り、イアンの妻は務まらないとも思う。

「……期待しすぎたかな?」

 アイシャは傲慢でプライドの高い人が多い貴人には珍しく、寛大な人だ。使用人にも敬意を払い、平民上がりのイアンをあっさりと受け入れたり、粗相をしたリズベットを許したり……。
 だからテオドールは勝手に、イアンの残酷な一面を見ても受け入れてもらえると思い込んでいた。
 普通に考えれば、夫となる人のそういう一面を見て一歩引いてしまうのは当たり前のことなのに。
 
「旦那様も奥様を首都へ送る準備を始めてしまったし……。諦めが早すぎるだろ……。はあ……」

 いっそのこと、いつものように面倒くさくウジウジしていてくれれば説得も慰めもできるのに、イアンははっきりとした口調で『首都にアイシャが住むのにふさわしい家を用意しろ』と言ってきた。
 そこに寂しさや切なさはあるものの迷いは感じられず、望まれれば結婚さえも取りやめそうな勢いだった。

「結婚はしてもらわなきゃ困るんだよぉ!ヘタレ野郎めが!」

 テオドールも最悪別居になることまでは考えたが、結婚自体を無しにすることは考えていない。アイシャとの結婚を無しにするのは皇帝の好意を無碍にすることにもなりかねない上に、貴重な中央とのパイプまで失うことになるからだ。
 それにもし仮に他の令嬢があてがわれたとしても、ブランチェット家ほどの家ではないだろうし、何よりアイシャほどに穏やかで使用人にも優しい女性は来ないだろう。
 アッシュフォードを良くするためにも、使用人の心の安全のためにもアイシャの存在はとても重要なのだ。
 考えすぎて頭が回らなくなってきたテオドールはイアンのサインが必要な書類だけを彼の机に並べて、部屋を出ようと扉に手をかけた。
 すると、彼がドアノブを掴むよりも先に勢いよく扉が開く。
 
「いっ!?」
 
 顔面を強打したテオドールは額を抑えてその場にうずくまった…

「あ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……」
「ですよね……。本当にすみません」

 テオドールが顔を上げると数冊の本を抱えたランが申し訳なさそうにこちらを見下ろしていた。
 リズベットの仕業かと思っていたがどうやら違ったらしい。反射的に怒鳴らなくて良かったと思った。

「ノックはちゃんとしましょうね……、ラン。どこかの無礼な女騎士と同じになりますよ」
「それは大変不愉快なので気をつけます……、と言いたいところですがノックはしましたし、テオ様からお返事をいただきました」
「まじか……」

 考え事をしすぎて無意識に返事をしていたようだ。テオドールは、ならば自分が悪いから気にするなと言った。

「それで、どうしました?」
「あの、このお屋敷にある魔族関連の本は図書室にある分が全てですか?」
「そうですね。図書室にあるものが全てです」
「……思っていたよりも少ないですね」
「まあ、そもそも魔族を研究する物好きなんてほとんどいないので、必然的に魔族に関する書籍は少なくはなりますよね?」
「では、マリーナフカについてはどうやって知れば良いですか?」
「マリーナフカですか?そうですねぇ……。過去の被害の記録と、彼らの着ている羽織についての記録ならこの部屋にありますが……」

 なぜそんなことを聞いてくるのだろうと、テオドールは首を傾げた。
 よく見ると、ランが手に持っているものは『魔族の生態に関する考察』や『魔族との戦争の記録』といったタイトルの埃っぽい本だった。
 それはどれも、イアンが爵位と一緒にアッシュフォードを押し付けられた時に皇室からプレゼントされたものだ。
 魔族について詳しく知らなければこの地を治めることはできないから、などと言って押し付けられたは良いが、実際に魔族と戦ってきたイアンたちには今更な情報ばかりの内容だったので、その本たちは図書室で埃を被る羽目になっていた。
 
「……ラン、なぜそんな本を持っているのです?それは貴女のような若い女性が好んで読むものではありませんよ?結構グロテスクですし」
「私は読みません。というか難しすぎて読めません。これは奥様が読まれるのです」
「奥様が?」
「はい。奥様は今、この屋敷内に魔族関連のあるあらゆる書物を読まれています」
「……なぜ?」
「なぜって、知らなければ対策が立てられないからでは?」
「……!?」

 キョトンとするランに対し、テオドールは目を見開いた。

「奥様は……、マリーナフカの自爆を見て塞ぎ込んでおられるのではないのですか?」
「塞ぎ込んではおられました」

 アイシャは食事をまともに取れなくなり、夜もずっと悪夢にうなされているらしい。しかし、そこで安全な場所に帰ろうと考えるほどアイシャは諦めが良くない。

「まだ精神状態が安定している訳ではありませんが、奥様は前を向いていらっしゃいますよ」

 見くびるな、とでも言いたげにランは口角を上げた。
 か弱いお嬢様が魔族について知ったところで何かできるとも思えないが、アイシャがアッシュフォードから去る気はないことがわかり、テオドールは安堵のため息をこぼした。

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

【完結】公爵令嬢に転生したので両親の決めた相手と結婚して幸せになります!

永倉伊織
恋愛
ヘンリー・フォルティエス公爵の二女として生まれたフィオナ(14歳)は、両親が決めた相手 ルーファウス・ブルーム公爵と結婚する事になった。 だがしかし フィオナには『昭和・平成・令和』の3つの時代を生きた日本人だった前世の記憶があった。 貴族の両親に逆らっても良い事が無いと悟ったフィオナは、前世の記憶を駆使してルーファウスとの幸せな結婚生活を模索する。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

転生先は推しの婚約者のご令嬢でした

真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。 ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。 ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。 推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。 ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。 けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。 ※「小説家になろう」にも掲載中です

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。

二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。 そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。 ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。 そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……? ※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

処理中です...