上 下
29 / 149
第一章 輪廻の滝で

28:兄の手紙(1)

しおりを挟む
 部屋に戻ったアイシャは気まずそうにこちらを見つめるランから一通の手紙を受け取った。
 それは部屋の掃除の際、メイドが拾ったというアイシャ宛の手紙だ。見覚えのある封筒で、一度グシャっと丸めたような痕がある。

「すみません。どうすれば良いかわからなくて……」

 ランはおずおずとアイシャを見た。彼女もこの手紙については知っているからだ。
 この手紙の差出人はアイシャの兄、ジェラルド。アイシャの結婚に反対もしなかった伯爵家の一人。
 ランとしてはこの手紙をアイシャに渡さず、すぐにでも処分してしまいたかったが、主人の持ち物を許可なく捨てられるほど図太く無い。だからこうして本人に渡したわけだが……。

「わ、私が処分しましょうか?」

 やはり処分した方が良かったのではないかと思うほどに、アイシャの顔に感情がなかった。
 悲しんでいる様子も、怒っている様子もないのが不気味に思えてしまう。

「あの……。奥様?」
「処分しなくても良いわ。ありがとう」
「中を、確認なさるのですか?」
「……そうね。期待しているわけではないけれど、お兄様は男爵様を知っているし、一応開けてみるわ」
「そう、ですか……」
「でもごめん。一人になりたい。男爵様には体調がすぐれないからお茶はまたの機会にと伝えてくれるかしら?」
「かしこまりました……」

 アイシャは困ったように笑うとランを追い出した。ランは心配そうな顔をしていたが、何も言わずに部屋を出た。

「ふぅ……」

 机の上のペーパーナイフを手に取り、大きく深呼吸をしてから出窓に腰掛けるアイシャ。彼女の錫色の髪を撫でる風は彼女を慰めてくれているかのように優しかった。
 
 この封を切れば、また自分は傷つくのだろうか。
 そう思うのに、イアン・ダドリーが思っていたよりもずっと良い人だったからか、もしかすると欲しい言葉がそこにあるのかもしれないと期待してしまう自分もいる。

「……ほんと、諦め悪いなぁ」

 アイシャは自嘲するように笑い、思い切って封を切った。


 ***


 アイシャが体調を崩したと聞いたイアンはランの制止を振り切り、ウサギ型にカットしたリンゴを片手に彼女の部屋を訪れた。

「アイシャ、体調が優れないと聞いたが大丈夫か?」

 少し強めにノックして、心配そうな声色で問いかける。しかし返事はなかった。

「アイシャ?」
「眠られているのではないでしょうか」
「そうですよ、旦那様。そっとしておきましょう」
「でも、もし苦しんで声が出ないのだとしたら……」

 自分でそう言って、もし本当にそうならどうしようと思ったのだろうか、イアンは青ざめた顔で『こりゃあ、いかん!』と叫んだ。
 そして、多分本当に具合がわるいわけではないからそっとしておけ、というテオドールの言葉も無視して扉を開けた。
 
「アイシャ!大丈夫かっ!?」

 勢いよく扉を開けた主人にテオドールは額を抑えてため息をつく。レディの部屋に許可なく押し入るなど、嫌われても仕方がないと言うのに。

「ちょっと旦那様。あんた本当に嫌われますよ?」
「え?」
「いや、『え?』じゃなくてね?これは真面目な忠告で……」
「ちがう。アイシャがいない」
「……はい?」

 大きく目を見開き、振り返ったイアンは動揺していた。テオドールは急いで室内を確認する。ランもその後ろからひょっこりと顔を出した。
 風に靡くカーテンと机の上に無造作に置かれたペーパーナイフ、そして床に落ちた封筒を見て、ランは血の気が引いた。
 手紙の内容が原因でアイシャが早まったことをしたと思ったのだ。
 ランはすぐさま駆け出し、空いた窓の外に身を乗り出した。そしてそのまま下を確認する。

「いない……」

 良かった。この下にアイシャがいないことにランはホッと胸を撫で下ろした。

「ラン、これはどういうことですか?」
「えっと……、その……」

 テオドールが怪訝な表情でランを見る。この状況で真っ先に窓の下を確認するということは、何かアイシャがショックを受けるようなことが起きたということだ。テオドールは問い詰めるようにジッとランの胡桃色の瞳を見つめた。
 何をどう話せば良いかわからないランは顔を伏せる。すると、机の上に置かれていた一通の手紙を手に取り、イアンが口を開いた。

「アイシャがここにいない原因はこれか?」
「あ……。はい、おそらくは……」

 手紙の内容は知らないが、それが原因でどこかに行ってしまったことは間違いない。ランはやはり捨てればよかったと後悔した。

「旦那様、手紙にはなんと?」

 テオドールがそう言って手紙を覗き込もうとすると、イアンはそれを彼に渡した。

「これは……」

 手紙に視線を落としたテオドールはそれをランにも見せた。
 ランは余計なことを言いそうになる口元を抑え、イアンの方をを見上げる。
 イアンは二人を見ることなく、アイシャを探してくると部屋から駆け出した。
 
「お、追いかけなくて良いのですか?」
「大丈夫でしょう。それより、ランはみんなに奥様の姿を見てないか聞いてきてください」
「は、はい!」

 ランは深く頭を下げて部屋から飛び出した。
 残されたテオドールは再度、手紙に視線を戻して小さくため息をこぼす。

「さて、どうなるかな?」



 
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

転生先は推しの婚約者のご令嬢でした

真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。 ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。 ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。 推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。 ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。 けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。 ※「小説家になろう」にも掲載中です

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

ヤンデレ悪役令嬢の前世は喪女でした。反省して婚約者へのストーキングを止めたら何故か向こうから近寄ってきます。

砂礫レキ
恋愛
伯爵令嬢リコリスは嫌われていると知りながら婚約者であるルシウスに常日頃からしつこく付き纏っていた。 ある日我慢の限界が来たルシウスに突き飛ばされリコリスは後頭部を強打する。 その結果自分の前世が20代後半喪女の乙女ゲーマーだったことと、 この世界が女性向け恋愛ゲーム『花ざかりスクールライフ』に酷似していることに気づく。 顔がほぼ見えない長い髪、血走った赤い目と青紫の唇で婚約者に執着する黒衣の悪役令嬢。 前世の記憶が戻ったことで自らのストーカー行為を反省した彼女は婚約解消と不気味過ぎる外見のイメージチェンジを決心するが……?

処理中です...