上 下
33 / 149
第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精

0:こびりついて消えない

しおりを挟む
 警報の鐘が鳴り響き、爆発音と共に真っ赤な炎が屋根よりも高く燃え上がる。
 晴れていたはずの空は黒煙で覆われ、煉瓦の家屋は大きな音を立てて崩れ落ちる。
 混沌とした中を悲鳴をあげて逃げ惑う人々。
 褐色の肌と赤い眼を持つ、人間のようで人間でないが、醜悪に嗤う。

 守るために戦っているはずなのに、守れている気がせず。
 取り返すために前進しているはずなのに、辺りは何故か焼け野原で。
 昨日明るい未来を語っていた仲間が、今日目の前で死んでいく日常。
  
 これは何という名の地獄だろうか。 

 瓦礫の下、動けずに助けを求める男の声が。
 死んだ母親に返事を求める幼子の泣き声が。
 死にきれなかった仲間の呻き声が。
 何故置いていったのかと涙する、彼を亡くした彼女の叫びが。
 生き延びるために殺してきた魔族たちの断末魔の悲鳴が。

 全部。全部全部全部全部、ずっと。



 頭の奥深くにこびりついて、消えてくれない。




 ***




「……着飾った奥様を前にして居眠りですか?」

 ついうたた寝をしていたイアンが顔を上げると、朝一番で応接室に運び込まれた10着ほどのドレスや毛皮のコートを背に、ランが頬を膨らませていた。
 奥の方では真新しいドレスに身を包んだアイシャが、ドレスショップのオーナー、マダム・キャロルと話している。
 マダムは北部でも5本の指に入る大都市があるラホズ侯爵領から、2日もかけて来てくれたそうだ。
 急すぎる注文に、エレノア子爵夫人の紹介がなければ断っていたとマダムは豪快に笑う。

「ああ、そうか。ドレス……」

 そういえば、今日はアイシャのドレスが届く日だった。
 アッシュフォードの気候はアイシャのいた帝国南部よりも寒いから、こちらの気候に合うドレスを持っていない彼女のために、何着かドレスを見繕っておいたのだ。  
 それを思い出したイアンはソファから立ち上がり、アイシャに近づいた。
 
「どうだ?好みのドレスはあったか?」
「あの……」
「時期的に、もう関所の門を閉めるからオーダーメイドは難しくて……。ごめんな。でもここにあるドレスなら少し手直しすれば着れるだろ?とりあえず春まではこれを着てくれ」
「あ、いえ。そうでなくて……」
「オーダーメイドはまた春になったら作ろう!どんなのが似合うかな?」
「だから、そうでなく!!」

 話を聞かないイアンにアイシャは思わず声を荒げた。
 これはまずい。やってしまったと慌てて口を塞ぐが、もう遅い。
 応接室はシンと静まり返った。

「……な、何か気に食わないことでも?ひょっとして、好みじゃなかったか?」
「いえ!違うんです!そうじゃなくて!」
「俺のセンスは良いとは言えないから、エレノア子爵夫人に候補を挙げていただいて、そこからさらに俺が厳選したんだが……」
「ああ、なるほど。だから私好みのドレスが多いのですね……って、そうでもなくて!」
「じゃあ何がダメなんだ?」
「あの、ダメとかじゃないんです。男爵様のお気遣いは大変ありがたいのです。ですが……、その、流石に多いです……」
「多い?」
「ドレスの量が……」

 アイシャは顔引き攣らせながら応接室を見渡した。
 壁際にずらりと並ぶ色とりどりのドレス。基本はシンプルなデザインのものが多いが、たまに華やかで可愛らしいデザインのものもチラホラ見える。あれはイアンのチョイスだろうか。
 いずれにせよ、『とりあえず』で買うには多すぎる量だった。

「こんなに沢山着れませんわ」

 いくら持参金が弾もうと、男爵家の財政状況を鑑みると、ドレスにお金を注ぎ込んで良いとは思えない。
 
「贅沢はいけません……、男爵様」

 幸いにも屋敷の中は暖かい。手持ちのドレスと合わせても3着ほどあれば十分だと彼女は言う。
 するとイアンは不服そうに一着のドレスを手に取り、それをアイシャに合わせた。 

「これ、俺の一押し」

 そう言って渡された青みがかった黒のドレスは、胸元を華やかに飾る上品な金糸の刺繍と肩のレースが特徴的なもので、どこかの誰かを彷彿とさせるドレスだった。
 
「ちゃんと予算内に押さえた。無駄遣いはしてない。だから心配はいらない」
「そ、そうですか」
「…………正直に言おう。ここにあるドレスは完全に全部俺の好みだ」
「えーっと……、つまり?」
「俺がアイシャに着て欲しいから買った。だから俺のために着て欲しい。俺は着飾った君が見たい。可愛い君が見たい!愛でたい!可愛がりたい!」
「……は、はい」

 そんなにハッキリ言われるとは思っておらず、アイシャは顔を真っ赤にして渡されたドレスを抱きしめた。
 ここに来てから、まだそんなに日は経っていないのに、何だか一生分の『可愛い』をもらった気がする。
 でも、欲張りになっているのか、アイシャはもう少し聞きたいと思ってしまった。

「あの、私……、か、可愛いですか?」
「可愛い!」
「本当に?」
「本当に可愛い!」
「あ、ありがとうございます」

 食い気味に答えてくれるイアン。始めの頃よりも目が合うようになり、まともに会話ができるようになった彼は時々こうして、恥ずかしいくらいに真っ直ぐ言葉をくれるようになった気がする。

「あの、私…….」
「…………奥様、そろそろ試着してみては?」

 二人が二人の世界に入り始めたところで、ランが二人の間からニョキッと顔を出した。
 置いてけぼりのマダムたちが居た堪れなくなったのだ。
 ジトっとした目で見上げるランの視線に耐えきれず、アイシャは顔を伏せたままマダムの方へと移動した。

「では、奥様!早速試着しましょう!」
「そ、そうね」
「お直しするところは、このキャロルがチャチャーッと直して差し上げますからねー」
「よろしくお願いします……」

 クスクスと笑うマダムとお針子たち。
 微笑ましい光景につい笑みが溢れてしまうのだろう。
 ランはふうっ、と小さく息を吐き出し、肩をすくめた。

「旦那様、寝不足ですか?」
「そんなことはない」
「ですが、何というか、今日はいつもよりも頭が回っていないというか……。頭に浮かんだことをそのまま口に出していらっしゃるような気がします。いつもなら着飾った奥様を見て挙動不審になってるはずなのに、今日は素直に褒めるし……。ちょっと変です」
「ランは日に日に、発言がテオに似てくるな」
「やめてください。不愉快です」
「テオが嫌いか?」
「嫌ってはいません。苦手ではありますが」
「あいつ、ちょっと腹黒いとこあるけどいい奴だよ」
「腹黒そうなところが苦手なのですけど」
「ははっ。それは残念だ。では俺はそろそろ腹黒いテオのところに行かねばならないから、後は頼むな」
「あ、はい。かしこまりました」

 イアンはランの頭にポンと手を置くと、犬を褒めるように撫で回して応接室を出た。
 ランは髪が乱れたと、憤慨しつつトレードマークのおさげを解く。
 そしてふと、気がついた。

「ありゃ?はぐらかされた?」

 
 
しおりを挟む
感想 210

あなたにおすすめの小説

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

転生先は推しの婚約者のご令嬢でした

真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。 ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。 ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。 推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。 ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。 けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。 ※「小説家になろう」にも掲載中です

悪役令嬢に仕立て上げたいのならば、悪役令嬢になってあげましょう。ただし。

三谷朱花
恋愛
私、クリスティアーヌは、ゼビア王国の皇太子の婚約者だ。だけど、学院の卒業を祝うべきパーティーで、婚約者であるファビアンに悪事を突き付けられることになった。その横にはおびえた様子でファビアンに縋り付き私を見る男爵令嬢ノエリアがいる。うつむきわなわな震える私は、顔を二人に向けた。悪役令嬢になるために。

死に役はごめんなので好きにさせてもらいます

橋本彩里(Ayari)
恋愛
フェリシアは幼馴染で婚約者のデュークのことが好きで健気に尽くしてきた。 前世の記憶が蘇り、物語冒頭で死ぬ役目の主人公たちのただの盛り上げ要員であると知ったフェリシアは、死んでたまるかと物語のヒーロー枠であるデュークへの恋心を捨てることを決意する。 愛を返されない、いつか違う人とくっつく予定の婚約者なんてごめんだ。しかも自分は死に役。 フェリシアはデューク中心の生活をやめ、なんなら婚約破棄を目指して自分のために好きなことをしようと決める。 どうせ何をしていても気にしないだろうとデュークと距離を置こうとするが…… お付き合いいただけたら幸いです。 たくさんのいいね、エール、感想、誤字報告をありがとうございます!

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

処理中です...