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第二章 マリーナフカの棺とハルの妖精
0:こびりついて消えない
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警報の鐘が鳴り響き、爆発音と共に真っ赤な炎が屋根よりも高く燃え上がる。
晴れていたはずの空は黒煙で覆われ、煉瓦の家屋は大きな音を立てて崩れ落ちる。
混沌とした中を悲鳴をあげて逃げ惑う人々。
褐色の肌と赤い眼を持つ、人間のようで人間でないナニかが、醜悪に嗤う。
守るために戦っているはずなのに、守れている気がせず。
取り返すために前進しているはずなのに、辺りは何故か焼け野原で。
昨日明るい未来を語っていた仲間が、今日目の前で死んでいく日常。
これは何という名の地獄だろうか。
瓦礫の下、動けずに助けを求める男の声が。
死んだ母親に返事を求める幼子の泣き声が。
死にきれなかった仲間の呻き声が。
何故置いていったのかと涙する、彼を亡くした彼女の叫びが。
生き延びるために殺してきた魔族たちの断末魔の悲鳴が。
全部。全部全部全部全部、ずっと。
頭の奥深くにこびりついて、消えてくれない。
***
「……着飾った奥様を前にして居眠りですか?」
ついうたた寝をしていたイアンが顔を上げると、朝一番で応接室に運び込まれた10着ほどのドレスや毛皮のコートを背に、ランが頬を膨らませていた。
奥の方では真新しいドレスに身を包んだアイシャが、ドレスショップのオーナー、マダム・キャロルと話している。
マダムは北部でも5本の指に入る大都市があるラホズ侯爵領から、2日もかけて来てくれたそうだ。
急すぎる注文に、エレノア子爵夫人の紹介がなければ断っていたとマダムは豪快に笑う。
「ああ、そうか。ドレス……」
そういえば、今日はアイシャのドレスが届く日だった。
アッシュフォードの気候はアイシャのいた帝国南部よりも寒いから、こちらの気候に合うドレスを持っていない彼女のために、何着かドレスを見繕っておいたのだ。
それを思い出したイアンはソファから立ち上がり、アイシャに近づいた。
「どうだ?好みのドレスはあったか?」
「あの……」
「時期的に、もう関所の門を閉めるからオーダーメイドは難しくて……。ごめんな。でもここにあるドレスなら少し手直しすれば着れるだろ?とりあえず春まではこれを着てくれ」
「あ、いえ。そうでなくて……」
「オーダーメイドはまた春になったら作ろう!どんなのが似合うかな?」
「だから、そうでなく!!」
話を聞かないイアンにアイシャは思わず声を荒げた。
これはまずい。やってしまったと慌てて口を塞ぐが、もう遅い。
応接室はシンと静まり返った。
「……な、何か気に食わないことでも?ひょっとして、好みじゃなかったか?」
「いえ!違うんです!そうじゃなくて!」
「俺のセンスは良いとは言えないから、エレノア子爵夫人に候補を挙げていただいて、そこからさらに俺が厳選したんだが……」
「ああ、なるほど。だから私好みのドレスが多いのですね……って、そうでもなくて!」
「じゃあ何がダメなんだ?」
「あの、ダメとかじゃないんです。男爵様のお気遣いは大変ありがたいのです。ですが……、その、流石に多いです……」
「多い?」
「ドレスの量が……」
アイシャは顔引き攣らせながら応接室を見渡した。
壁際にずらりと並ぶ色とりどりのドレス。基本はシンプルなデザインのものが多いが、たまに華やかで可愛らしいデザインのものもチラホラ見える。あれはイアンのチョイスだろうか。
いずれにせよ、『とりあえず』で買うには多すぎる量だった。
「こんなに沢山着れませんわ」
いくら持参金が弾もうと、男爵家の財政状況を鑑みると、ドレスにお金を注ぎ込んで良いとは思えない。
「贅沢はいけません……、男爵様」
幸いにも屋敷の中は暖かい。手持ちのドレスと合わせても3着ほどあれば十分だと彼女は言う。
するとイアンは不服そうに一着のドレスを手に取り、それをアイシャに合わせた。
「これ、俺の一押し」
そう言って渡された青みがかった黒のドレスは、胸元を華やかに飾る上品な金糸の刺繍と肩のレースが特徴的なもので、どこかの誰かを彷彿とさせるドレスだった。
「ちゃんと予算内に押さえた。無駄遣いはしてない。だから心配はいらない」
「そ、そうですか」
「…………正直に言おう。ここにあるドレスは完全に全部俺の好みだ」
「えーっと……、つまり?」
「俺がアイシャに着て欲しいから買った。だから俺のために着て欲しい。俺は着飾った君が見たい。可愛い君が見たい!愛でたい!可愛がりたい!」
「……は、はい」
そんなにハッキリ言われるとは思っておらず、アイシャは顔を真っ赤にして渡されたドレスを抱きしめた。
ここに来てから、まだそんなに日は経っていないのに、何だか一生分の『可愛い』をもらった気がする。
でも、欲張りになっているのか、アイシャはもう少し聞きたいと思ってしまった。
「あの、私……、か、可愛いですか?」
「可愛い!」
「本当に?」
「本当に可愛い!」
「あ、ありがとうございます」
食い気味に答えてくれるイアン。始めの頃よりも目が合うようになり、まともに会話ができるようになった彼は時々こうして、恥ずかしいくらいに真っ直ぐ言葉をくれるようになった気がする。
「あの、私…….」
「…………奥様、そろそろ試着してみては?」
二人が二人の世界に入り始めたところで、ランが二人の間からニョキッと顔を出した。
置いてけぼりのマダムたちが居た堪れなくなったのだ。
ジトっとした目で見上げるランの視線に耐えきれず、アイシャは顔を伏せたままマダムの方へと移動した。
「では、奥様!早速試着しましょう!」
「そ、そうね」
「お直しするところは、このキャロルがチャチャーッと直して差し上げますからねー」
「よろしくお願いします……」
クスクスと笑うマダムとお針子たち。
微笑ましい光景につい笑みが溢れてしまうのだろう。
ランはふうっ、と小さく息を吐き出し、肩をすくめた。
「旦那様、寝不足ですか?」
「そんなことはない」
「ですが、何というか、今日はいつもよりも頭が回っていないというか……。頭に浮かんだことをそのまま口に出していらっしゃるような気がします。いつもなら着飾った奥様を見て挙動不審になってるはずなのに、今日は素直に褒めるし……。ちょっと変です」
「ランは日に日に、発言がテオに似てくるな」
「やめてください。不愉快です」
「テオが嫌いか?」
「嫌ってはいません。苦手ではありますが」
「あいつ、ちょっと腹黒いとこあるけどいい奴だよ」
「腹黒そうなところが苦手なのですけど」
「ははっ。それは残念だ。では俺はそろそろ腹黒いテオのところに行かねばならないから、後は頼むな」
「あ、はい。かしこまりました」
イアンはランの頭にポンと手を置くと、犬を褒めるように撫で回して応接室を出た。
ランは髪が乱れたと、憤慨しつつトレードマークのおさげを解く。
そしてふと、気がついた。
「ありゃ?はぐらかされた?」
晴れていたはずの空は黒煙で覆われ、煉瓦の家屋は大きな音を立てて崩れ落ちる。
混沌とした中を悲鳴をあげて逃げ惑う人々。
褐色の肌と赤い眼を持つ、人間のようで人間でないナニかが、醜悪に嗤う。
守るために戦っているはずなのに、守れている気がせず。
取り返すために前進しているはずなのに、辺りは何故か焼け野原で。
昨日明るい未来を語っていた仲間が、今日目の前で死んでいく日常。
これは何という名の地獄だろうか。
瓦礫の下、動けずに助けを求める男の声が。
死んだ母親に返事を求める幼子の泣き声が。
死にきれなかった仲間の呻き声が。
何故置いていったのかと涙する、彼を亡くした彼女の叫びが。
生き延びるために殺してきた魔族たちの断末魔の悲鳴が。
全部。全部全部全部全部、ずっと。
頭の奥深くにこびりついて、消えてくれない。
***
「……着飾った奥様を前にして居眠りですか?」
ついうたた寝をしていたイアンが顔を上げると、朝一番で応接室に運び込まれた10着ほどのドレスや毛皮のコートを背に、ランが頬を膨らませていた。
奥の方では真新しいドレスに身を包んだアイシャが、ドレスショップのオーナー、マダム・キャロルと話している。
マダムは北部でも5本の指に入る大都市があるラホズ侯爵領から、2日もかけて来てくれたそうだ。
急すぎる注文に、エレノア子爵夫人の紹介がなければ断っていたとマダムは豪快に笑う。
「ああ、そうか。ドレス……」
そういえば、今日はアイシャのドレスが届く日だった。
アッシュフォードの気候はアイシャのいた帝国南部よりも寒いから、こちらの気候に合うドレスを持っていない彼女のために、何着かドレスを見繕っておいたのだ。
それを思い出したイアンはソファから立ち上がり、アイシャに近づいた。
「どうだ?好みのドレスはあったか?」
「あの……」
「時期的に、もう関所の門を閉めるからオーダーメイドは難しくて……。ごめんな。でもここにあるドレスなら少し手直しすれば着れるだろ?とりあえず春まではこれを着てくれ」
「あ、いえ。そうでなくて……」
「オーダーメイドはまた春になったら作ろう!どんなのが似合うかな?」
「だから、そうでなく!!」
話を聞かないイアンにアイシャは思わず声を荒げた。
これはまずい。やってしまったと慌てて口を塞ぐが、もう遅い。
応接室はシンと静まり返った。
「……な、何か気に食わないことでも?ひょっとして、好みじゃなかったか?」
「いえ!違うんです!そうじゃなくて!」
「俺のセンスは良いとは言えないから、エレノア子爵夫人に候補を挙げていただいて、そこからさらに俺が厳選したんだが……」
「ああ、なるほど。だから私好みのドレスが多いのですね……って、そうでもなくて!」
「じゃあ何がダメなんだ?」
「あの、ダメとかじゃないんです。男爵様のお気遣いは大変ありがたいのです。ですが……、その、流石に多いです……」
「多い?」
「ドレスの量が……」
アイシャは顔引き攣らせながら応接室を見渡した。
壁際にずらりと並ぶ色とりどりのドレス。基本はシンプルなデザインのものが多いが、たまに華やかで可愛らしいデザインのものもチラホラ見える。あれはイアンのチョイスだろうか。
いずれにせよ、『とりあえず』で買うには多すぎる量だった。
「こんなに沢山着れませんわ」
いくら持参金が弾もうと、男爵家の財政状況を鑑みると、ドレスにお金を注ぎ込んで良いとは思えない。
「贅沢はいけません……、男爵様」
幸いにも屋敷の中は暖かい。手持ちのドレスと合わせても3着ほどあれば十分だと彼女は言う。
するとイアンは不服そうに一着のドレスを手に取り、それをアイシャに合わせた。
「これ、俺の一押し」
そう言って渡された青みがかった黒のドレスは、胸元を華やかに飾る上品な金糸の刺繍と肩のレースが特徴的なもので、どこかの誰かを彷彿とさせるドレスだった。
「ちゃんと予算内に押さえた。無駄遣いはしてない。だから心配はいらない」
「そ、そうですか」
「…………正直に言おう。ここにあるドレスは完全に全部俺の好みだ」
「えーっと……、つまり?」
「俺がアイシャに着て欲しいから買った。だから俺のために着て欲しい。俺は着飾った君が見たい。可愛い君が見たい!愛でたい!可愛がりたい!」
「……は、はい」
そんなにハッキリ言われるとは思っておらず、アイシャは顔を真っ赤にして渡されたドレスを抱きしめた。
ここに来てから、まだそんなに日は経っていないのに、何だか一生分の『可愛い』をもらった気がする。
でも、欲張りになっているのか、アイシャはもう少し聞きたいと思ってしまった。
「あの、私……、か、可愛いですか?」
「可愛い!」
「本当に?」
「本当に可愛い!」
「あ、ありがとうございます」
食い気味に答えてくれるイアン。始めの頃よりも目が合うようになり、まともに会話ができるようになった彼は時々こうして、恥ずかしいくらいに真っ直ぐ言葉をくれるようになった気がする。
「あの、私…….」
「…………奥様、そろそろ試着してみては?」
二人が二人の世界に入り始めたところで、ランが二人の間からニョキッと顔を出した。
置いてけぼりのマダムたちが居た堪れなくなったのだ。
ジトっとした目で見上げるランの視線に耐えきれず、アイシャは顔を伏せたままマダムの方へと移動した。
「では、奥様!早速試着しましょう!」
「そ、そうね」
「お直しするところは、このキャロルがチャチャーッと直して差し上げますからねー」
「よろしくお願いします……」
クスクスと笑うマダムとお針子たち。
微笑ましい光景につい笑みが溢れてしまうのだろう。
ランはふうっ、と小さく息を吐き出し、肩をすくめた。
「旦那様、寝不足ですか?」
「そんなことはない」
「ですが、何というか、今日はいつもよりも頭が回っていないというか……。頭に浮かんだことをそのまま口に出していらっしゃるような気がします。いつもなら着飾った奥様を見て挙動不審になってるはずなのに、今日は素直に褒めるし……。ちょっと変です」
「ランは日に日に、発言がテオに似てくるな」
「やめてください。不愉快です」
「テオが嫌いか?」
「嫌ってはいません。苦手ではありますが」
「あいつ、ちょっと腹黒いとこあるけどいい奴だよ」
「腹黒そうなところが苦手なのですけど」
「ははっ。それは残念だ。では俺はそろそろ腹黒いテオのところに行かねばならないから、後は頼むな」
「あ、はい。かしこまりました」
イアンはランの頭にポンと手を置くと、犬を褒めるように撫で回して応接室を出た。
ランは髪が乱れたと、憤慨しつつトレードマークのおさげを解く。
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