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第一章 輪廻の滝で

23:家族になりたい

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「男爵様って、少し変だけど可愛らしい人ね」

 夜、髪に香油をつけながら今日の出来事を思い返していたアイシャは、どこか楽しそうにそう言った。
 今日一日でイアンと色んな話をすることができて、緊張が和らいだのだろうか。
 ランにとって彼女のストレスが軽減されるのはとても喜ばしいことなのだが……。

「か、かかか可愛い?」

 その言葉だけは聞き流せなかった。
 ランが見る限り、今日のイアンは終始挙動不審でまるで変態のようだった。アイシャを見つめる目元は狐のように弧を描き、鼻息は荒く、ずっと小声でブツブツと何かを呟いている様を『可愛い』と表現するには無理がある。
 そんなイアンを可愛いと言うのだから、アイシャはとうどう目がおかしくなったのかもしれない。ランは彼女の前にそっと目薬を置いた。

「……なぜに目薬?」
「奥様の目が曇ってしまわれたようなので。ランは心配なのです」
「もしかして私は今、とても失礼なことを言われている?」
「とんでもございません。ただ単に奥様を心配しているだけです」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」

 アイシャは頬を膨らませ、目薬を突き返した。ランは残念そうに目薬をポケットにしまった。

「……旦那様とは仲良くできそうですか?」
「うん、大丈夫そう。噂のような人ではなかったわ。おばさまの仰ることは正しかった」
「それは良かったです」
「とりあえずね、これからは毎日一緒に食事をして、会話したり散歩したりする時間を作ろうって決めたの。私は早く男爵様に女性慣れしてほしいから、『毎日少しずつ触れ合う練習をしませんか』って提案したのだけれど、男爵様は結局、『俺たちはまだお互いのことをよく知らないから、まずは会話してお互いを知るところから始めよう』って言ってくださってね。確かにお互いのことを知らないままでは良好な夫婦関係は築けないから、と私も同意したのよ」
「……な、なんということを提案なさっているのですか!?」
「え?ダメだったの?」
「ダメですよ!」

 自分の主人がサラッと、とんでもない提案をしていたことを知り、ランは開いた口が塞がらない。

「そんなことを言って、誘ってると思われたらどうするのですか……。お二人はまだ入籍前なのですよ?男は皆オオカミなのですよ?」

 イアンがその提案に乗らなくてよかった。ランはあまり良い印象を持っていない彼を少し見直した。

「そんなつもりはなかったのだけれど……」
「そんなつもりはなくとも、そう捉える男だっていますよ!多分!恋愛経験がないからわかりませんけど!」
「……恋愛経験がないのにどうして男性のことがわかるのよ?」
「私が読む恋愛小説のヒーローは大体そんな感じなので」

 ちょっとでも頬を赤らめたり、気のあるそぶりを見せると『誘ってる?』と言って迫ってくるのが男という生き物なのだとランは断言した。
 流石にそれは偏見がすぎるのではなかろうか。

「人のことを言えた義理ではないけれど……、ラン。貴女の知識は偏りすぎているわ。世の男性は皆が皆、そのような節操なしではないわ。むしろ大半の男性はもっと紳士的です。そして、貴女が読む本のヒーローがそのようなナルシスト寄りの男性ばかりなのは貴女がそれを好んで買っているからよ」
「むぅ。そんなことないですぅ」
「そんなことあるわ。貴女はちょっと強引な男性が好きなのね。『俺についてこい!』みたいなことを言われたいの?」
「強引に迫られたい願望は誰にでもあるかと!どうせなら引っ張って行ってほしいじゃないですかぁ!」
「んー、そうかしら?私は強引な人はちょっと苦手かな」
「ええ!?そうなのですか?」
「私は引っ張っていかれるより、隣を歩きたいタイプだから。きちんとこちらの意見を聞いてくれて、同じ歩幅で歩いてくれる人がいいわ」
「むむ。それはそれで素敵ですね」
「ふふっ。男爵様がそんなタイプの方だといいなぁ」
「……奥様。なんだか楽しそうですね」
「あら、そう見える?」
「はい、とても良い顔をしていらっしゃいます」
「私ってそんなに分かりやすいかしら。でも、そうね。嬉しかったのかもしれないわ」
「嬉しい、ですか?」
「うん。だって、男爵様は私のことを知りたいって言ってくださったの。こんなこと初めて」

 アイシャは頬を赤らめ、幸せを噛み締めるように呟いた。
 きっと、これまでアイシャのことを知りたいと言ってくれた人はいなかったのだろう。関心を持たれないことの辛さを知っているから、関心を向けられただけでこんなにも喜ぶのだ。
 ランは良かったと、安堵のため息をこぼした。

「私も男爵様のことをちゃんと知りたい。そして彼のことを心から愛したいし、愛されてみたいと思うの」
「奥様……。奥様ならきっと大丈夫です」
「うん、ありがとう」

 不意に立ち上がったアイシャは「私、頑張ります!」と、拳を高く突き上げた。
 血のつながりのない人と家族になるのは大変なことだ。きっと簡単なことではない。だが他人だからこそ、近すぎないからこそ分かり合える部分もきっとあるはず。
 今日、イアンと特別な会話をしたわけではない。けれど、どこか懐かしい彼の大きな手に触れ、兄を思い出したからだろうか。
 
 アイシャはイアンの家族になりたいと思った。
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