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第一章 輪廻の滝で
17:死にたがりの初恋(5)
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ーーーーー覚えていない。
テオドールが口にしたその言葉に、イアンはベッドから飛び起きた。
「……ええええ!?」
何をそんなに驚くことがあるのか。テオドールは眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなに驚くのです?見ていればわかるでしょう?」
「いやいやいや!再会したら名前を教え合うという約束!覚えていたから名乗ってくれたんじゃないのか?」
「……はぁ?旦那様。ちょっと浮かれすぎです。痛々しい。痛々しすぎて全身に包帯を巻きたい」
「浮かれている自覚はあるが、包帯って……」
「ああもう!!いいですかっ!?貴方は釣書を見た時から奥様のことを調べまわったせいで、奥様を身近に感じているでしょうが、奥様の方はそうではありませんし、そもそも初対面で名乗るのは当たり前のことです!」
初対面で、それもこれから夫婦になる相手に名乗るのは至極当たり前のこと。それは貴族とか平民とか関係なく、人としての常識で、たとえお互いに釣書などで顔や名前を知っていたとしても適用される。
「つまり、奥様が名乗ったのは、そうすることが常識だからです!約束とか関係ないのです!」
「たしかにぃ!」
言われてみればそうかもしれない。いや、そうとしか思えない。
では、やたらと上目遣いで見つめてきたのも、瞳が潤んでいたのも感動の再会による歓喜からくるものではなく……。
「戸惑いから?」
「戸惑いとか不安とか、そういう類のものでしょうね。間違っても貴方が望む熱い眼差しではありませんでした」
「もしかして、俺なんかまずいことした?」
「むしろ、まずいことしかしてませんね」
その後、テオドールはまたもや主人を床に正座させ、渾々と何がダメだったかを一つずつ説いた。
結果、イアンは自分の行動を冷静に客観視することができたらしく、膝を抱えて小さくなってしまった。
「俺って、もしかしてバカなのか?」
「はい。救いようのないバカです」
「浮かれすぎた。ごめん」
「謝る相手は僕ではありません」
「もちろん、彼女にも謝る。でも、お前たちが俺のために色々してくれたのに、全部台無しにしたから」
「そのことに対する謝罪なら受け取りましょう。なお、使用人たちはイノシシの肉で許すと言っていました」
「ははっ。現金な奴らで助かった」
陽気な使用人たちは普段はあまり食べられない肉にありつけるので、全てを水に流してくれるらしい。
元々、敬愛する主人のためなんて言いつつも、半分は面白いからというだけで協力していたのだ。誰も怒ってはおらず、むしろ今後のアイシャとイアンの関係性を心配しているのだとか。
テオドールは「疲れた」とでも言うように、不躾にもイアンのベッドに腰掛けると、ネクタイを緩めて項垂れた。
「……それにしても、どうしてあのような態度を取ったのです?まさかとは思いますが、本当に照れ隠しだけが理由ですか?」
「そのまさかだ」
「思春期の子どもですか、あんたは。はあ、情けない」
「だって、仕方がないだろう。あんなに可憐に成長してるだなんて思わなかったんだから」
「毎日穴があきそうなくらい釣書を眺めていたじゃないですか」
「実物はやっぱり違うんだよ。本当に直視できない」
釣書で見たアイシャより、実物の彼女の方が数億倍は可愛かった。妹の方が美人だとか、姉の方は地味だとか言われているらしいが、イアンからすれば妹よりも彼女の方がずっと可愛い。
儚げな雰囲気の、落ち着いた品のある大人の女性。けれども、まだ少女のあどけなさも残る、なんとも言えない愛らしさ。
そんな彼女を前にして平静を保てなど、無理な話だ。
「ずっと会いたいと思っていたんだぞ?それがようやく叶って、浮かれるなと言われても困る」
「困る、じゃないんですよ。じゃあずっと奥様と目も合わさないおつもりですか?」
「それは……、徐々に眼球を慣らしていこうと……」
「その間、奥様は視線が合わない旦那様をどんどん嫌いになりますよ?」
「じゃあどうすれば良いんだよ!」
「奥様の前で冷静になれないのなら、せめて『君のことが愛おしすぎて冷静な対応ができないが、全て照れ隠しなので許して欲しい。好きすぎるが故に、目を合わせたり触れ合ったりが難しいだけなんだ。本当は心から愛している』とでも伝えてきなさい」
「それはもう告白じゃないか!というか、そういう好きじゃないって言ってるだろ!?」
「はいはい。ですが、どうせ結婚するのですし、どんな種類の『好き』であろうとも、それを伝えるのは構わないのでは?これから二人で愛を育んでいかなくてはならないのに」
「あ、愛を育む……。ぐふ……」
「笑い方が気持ち悪い!……まあ、それが嫌ならせめて昔のことを伝えて、『ずっと会いたいと思っていたから、緊張しておかしな態度をとってしまいました。ごめんなさい』と謝り、以降普通に接するよう努力することです。訳もわからず避けられて傷つかない人はいません」
「うっ……。そ、そうだな……。では早速……」
「あ!こら!今日はもう遅いのでダメですよっ!」
アイシャとイアンはまだ夫婦ではなく婚約者という立場だ。こんな時間に正式に妻となっていない女性の寝室を訪ねるのは非常識極まりない。よって、早々に行動に移そうと立ち上がり、自分に背を向けたイアンに、テオドールは枕を投げつけた。
イアンは後頭部を押さえて振り返ると、ギロリと彼を睨む。
「……俺が全面的に悪いのは理解しているが、貴様。主人に枕を投げつけるとは何事か。そして今更だが、主人のベッドに腰掛けるとは如何なものか」
「明日の朝食は少し豪華にするよう、料理長に伝えておきますので。朝一番で奥様を誘うことをお勧めします」
「人の話を聞けよ、と言いたいところだがありがとう!頼んだ!大好き!」
「はいはい」
どれほど無礼だろうと、主人第一で動く男だ。
イアンは部屋を出ようとするテオドールに投げキッスをした。
テオドールは投げつけられたそれを掴むと、ゴミ箱に叩きつけるふりをして部屋を後にした。
「はあ……。奥様は大丈夫だろうか」
こんな頭の弱い男の妻となるアイシャに、テオドールは激しく同情した。
テオドールが口にしたその言葉に、イアンはベッドから飛び起きた。
「……ええええ!?」
何をそんなに驚くことがあるのか。テオドールは眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなに驚くのです?見ていればわかるでしょう?」
「いやいやいや!再会したら名前を教え合うという約束!覚えていたから名乗ってくれたんじゃないのか?」
「……はぁ?旦那様。ちょっと浮かれすぎです。痛々しい。痛々しすぎて全身に包帯を巻きたい」
「浮かれている自覚はあるが、包帯って……」
「ああもう!!いいですかっ!?貴方は釣書を見た時から奥様のことを調べまわったせいで、奥様を身近に感じているでしょうが、奥様の方はそうではありませんし、そもそも初対面で名乗るのは当たり前のことです!」
初対面で、それもこれから夫婦になる相手に名乗るのは至極当たり前のこと。それは貴族とか平民とか関係なく、人としての常識で、たとえお互いに釣書などで顔や名前を知っていたとしても適用される。
「つまり、奥様が名乗ったのは、そうすることが常識だからです!約束とか関係ないのです!」
「たしかにぃ!」
言われてみればそうかもしれない。いや、そうとしか思えない。
では、やたらと上目遣いで見つめてきたのも、瞳が潤んでいたのも感動の再会による歓喜からくるものではなく……。
「戸惑いから?」
「戸惑いとか不安とか、そういう類のものでしょうね。間違っても貴方が望む熱い眼差しではありませんでした」
「もしかして、俺なんかまずいことした?」
「むしろ、まずいことしかしてませんね」
その後、テオドールはまたもや主人を床に正座させ、渾々と何がダメだったかを一つずつ説いた。
結果、イアンは自分の行動を冷静に客観視することができたらしく、膝を抱えて小さくなってしまった。
「俺って、もしかしてバカなのか?」
「はい。救いようのないバカです」
「浮かれすぎた。ごめん」
「謝る相手は僕ではありません」
「もちろん、彼女にも謝る。でも、お前たちが俺のために色々してくれたのに、全部台無しにしたから」
「そのことに対する謝罪なら受け取りましょう。なお、使用人たちはイノシシの肉で許すと言っていました」
「ははっ。現金な奴らで助かった」
陽気な使用人たちは普段はあまり食べられない肉にありつけるので、全てを水に流してくれるらしい。
元々、敬愛する主人のためなんて言いつつも、半分は面白いからというだけで協力していたのだ。誰も怒ってはおらず、むしろ今後のアイシャとイアンの関係性を心配しているのだとか。
テオドールは「疲れた」とでも言うように、不躾にもイアンのベッドに腰掛けると、ネクタイを緩めて項垂れた。
「……それにしても、どうしてあのような態度を取ったのです?まさかとは思いますが、本当に照れ隠しだけが理由ですか?」
「そのまさかだ」
「思春期の子どもですか、あんたは。はあ、情けない」
「だって、仕方がないだろう。あんなに可憐に成長してるだなんて思わなかったんだから」
「毎日穴があきそうなくらい釣書を眺めていたじゃないですか」
「実物はやっぱり違うんだよ。本当に直視できない」
釣書で見たアイシャより、実物の彼女の方が数億倍は可愛かった。妹の方が美人だとか、姉の方は地味だとか言われているらしいが、イアンからすれば妹よりも彼女の方がずっと可愛い。
儚げな雰囲気の、落ち着いた品のある大人の女性。けれども、まだ少女のあどけなさも残る、なんとも言えない愛らしさ。
そんな彼女を前にして平静を保てなど、無理な話だ。
「ずっと会いたいと思っていたんだぞ?それがようやく叶って、浮かれるなと言われても困る」
「困る、じゃないんですよ。じゃあずっと奥様と目も合わさないおつもりですか?」
「それは……、徐々に眼球を慣らしていこうと……」
「その間、奥様は視線が合わない旦那様をどんどん嫌いになりますよ?」
「じゃあどうすれば良いんだよ!」
「奥様の前で冷静になれないのなら、せめて『君のことが愛おしすぎて冷静な対応ができないが、全て照れ隠しなので許して欲しい。好きすぎるが故に、目を合わせたり触れ合ったりが難しいだけなんだ。本当は心から愛している』とでも伝えてきなさい」
「それはもう告白じゃないか!というか、そういう好きじゃないって言ってるだろ!?」
「はいはい。ですが、どうせ結婚するのですし、どんな種類の『好き』であろうとも、それを伝えるのは構わないのでは?これから二人で愛を育んでいかなくてはならないのに」
「あ、愛を育む……。ぐふ……」
「笑い方が気持ち悪い!……まあ、それが嫌ならせめて昔のことを伝えて、『ずっと会いたいと思っていたから、緊張しておかしな態度をとってしまいました。ごめんなさい』と謝り、以降普通に接するよう努力することです。訳もわからず避けられて傷つかない人はいません」
「うっ……。そ、そうだな……。では早速……」
「あ!こら!今日はもう遅いのでダメですよっ!」
アイシャとイアンはまだ夫婦ではなく婚約者という立場だ。こんな時間に正式に妻となっていない女性の寝室を訪ねるのは非常識極まりない。よって、早々に行動に移そうと立ち上がり、自分に背を向けたイアンに、テオドールは枕を投げつけた。
イアンは後頭部を押さえて振り返ると、ギロリと彼を睨む。
「……俺が全面的に悪いのは理解しているが、貴様。主人に枕を投げつけるとは何事か。そして今更だが、主人のベッドに腰掛けるとは如何なものか」
「明日の朝食は少し豪華にするよう、料理長に伝えておきますので。朝一番で奥様を誘うことをお勧めします」
「人の話を聞けよ、と言いたいところだがありがとう!頼んだ!大好き!」
「はいはい」
どれほど無礼だろうと、主人第一で動く男だ。
イアンは部屋を出ようとするテオドールに投げキッスをした。
テオドールは投げつけられたそれを掴むと、ゴミ箱に叩きつけるふりをして部屋を後にした。
「はあ……。奥様は大丈夫だろうか」
こんな頭の弱い男の妻となるアイシャに、テオドールは激しく同情した。
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