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本編

83:青い薔薇

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 エミリアが離宮から戻ってきてひと月が経過した頃。
 アルフレッドが来れない日にもシャロンは彼女の元を訪れ、彼女の話し相手となっていた。
 自分がアルフレッドの後妻であることを伝えていないことに、罪悪感を抱きつつも、知らないほうが良いこともあると自分に言い聞かせながら、毎日彼女のもとに通った。

『シャロンは猫みたいね』
「不吉な黒猫ですか?」
『可愛い黒猫よ』
「にゃー」

 シャロンは猫の真似をしてみせた。すると、エミリアがクスクスと笑う。
 その笑顔が嬉しくて、シャロンもまた小さく微笑んだ。

「エミリア様、今日は外に出ませんか?」
『外?良いの?』
「はい。許可は取りました。これを被っていただくことにはなりますが…」

 申し訳なさそうにシャロンが取り出したのは茶髪のウィッグと眼鏡だった。
 いるはずのない人間がそこにいることを隠すため、変装するのならと言う条件で、部屋の外に出ることが許されたのだ。

「ちなみに金髪と銀髪もご用意しています」
『それなら銀髪がいいわ。実は憧れていたの』
「わかります」

 黒髪は色素の薄い髪に憧れるものらしい。
 エミリアは銀髪のウィッグに眼鏡を装着し、そして念のために帽子を被った。

『似合う?』
「お似合です。最高に可愛いです」
『ありがとう』

 シャロンはエミリアを担ぎ、車椅子に乗せるとベネット子爵とともに部屋を出た。

 王宮の回廊を進み、ロイヤルガーデンへと向かう。
 そこは王族した立ち入れない場所のはずだが、シャロンはヘンリーに頼み込んで1時間だけ立ち入る許可をもらったのだ。
 
 雪が積もるバラの生垣を抜け、噴水を通り過ぎると、そこには半円形の温室があった。
 ベネット子爵が扉を開け、温室の中へと入る。
 先ほどまでの外の冷たい空気とは違って、暖かい。
 
「エミリア様、こちらです」

 シャロンが案内したのは温室の奥にあるとあるエリア。
 そこにはたくさんの青い薔薇が咲いていた。
 この季節外れの青い薔薇は、サイモンが栽培に成功したもので、ジルフォード家が王家に献上したものだ。

「どうですか、エミリア様」
 
 シャロンは車椅子を押しながら生垣に近づいた。
 エミリアは口元に手を当て、顔を赤らめる。そして、喜びと驚きが混ざり合った表情で車椅子を押すシャロンの方を見上げた。

「幸せの青いのお話、聞きました」
『アルはあなたに話したの?恥ずかしいわ』
「でも、これがきっかけだったって」
『そうね、これがきっかけだわ』

 エミリアは薔薇に手を伸ばし、その花弁に触れる。

 本当にくだらない会話から始まったアルフレッドとの恋。
 いつか本物を見せたいと言っていた彼の優しげな微笑みは、今でも鮮明に思い出せるとエミリアは語る。
 
『あれは確か2のことだったわ』

 そんな風に彼女が思い出話を始めた後ろで、ベネット子爵はシャロンに耳打ちした。

「やはり、記憶が抜け落ちているようです」
「そうですね。多分、彼女から離宮について話を聞くのは困難でしょう」
「わかりました。殿下にはそうお伝えしておきます」

 ベネット子爵はシャロンに軽く会釈すると、温室を出た。

 どうやらエミリアの記憶は5年前の死の直前で止まっているらしい。
 離宮にいた頃の記憶がすっかり抜け落ちているのだ。
 だからこそ、エミリアは笑えるようになったのだと考えると、シャロンは辛い過去など忘れたままでいいと思う。 
 ヘンリーは彼女からも事情を聞きたがっていたが、おそらく難しいだろう。無理に聞き出そうとすれば、それこそ今度こそ完全に壊れかねない。
 

『ねえ、シャロン』
「はい、なんでしょう」
『一つだけ、あなたの重荷になる話をしても良い?』

 ぼーっと青い薔薇を見つめたままエミリアは呟いた。
 シャロンは首を傾げながら「どうぞ」と答える。

『即答するのね。重荷になるのよ?』
「そんな言い方をされては聞きたくなるに決まっているではないですか」

 聞かなければどうせ『気になる』と、『あの時聞いておけば』と後悔するに決まっている。
 聞かずに損をするくらいなら聞いて損をしたいとシャロンは言った。

『素敵な考え方ね』
「ありがとうございます」

 エミリアはクスッと笑うと、憂い帯びた目で誰にも言えない話をし始めた。
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