上 下
80 / 129
本編

79:シャロンのお願い

しおりを挟む
「おかえり」
「お待たせしました」

 部屋の前で待っていたアルフレッドはシャロンの手をとり、エスコートする。
 その手の暖かさに心が動かないシャロンはフッと自嘲するような笑みを浮かべた。

「シャロン。ちゃんと寝てる?」
「…寝ていますよ」
「嘘だ。目の下のクマがすごい」

 アルフレッドはシャロンの頬に触れると、親指の腹で彼女の目の下のクマをなぞる。

 離宮から帰って7日近くが経過しているが、シャロンはその間、アルフレッドと寝室を共にしていない。
 だが、彼女が毎夜遅くまで調べ物をしていることは知っている。きっとエミリアの事についてどうにかできないかと調べているのだろう。
 理由はわかっていても、彼女の興味関心が全てエミリアに向いていることに、アルフレッドは複雑な心境だ。

 シャロンはアルフレッドの手に自分の手を重ねると、じっと彼の目を見つめた。

「痛い」
「…へ?」
「爪、痛いです」

 よく見ると、親指の爪が絶妙に伸びている。
 アルフレッドは慌てて手を引っ込めた。
 その様子にシャロンは小さく笑みをこぼす。

「この間、離宮で陛下をボコボコにした時の旦那様がかっこよく見えていたので何だか安心しました。やっぱり旦那様はこうでないと」
「ちょっと待って。それどういう意味?」
「カッコいい旦那様とか、なんか、ジワジワくるじゃないですか」
「え?何でじわじわ来るの?何がジワジワ来るの?」
「思い出すと後から笑いが込み上げてきます」
「え?もしかして馬鹿にしてる?」
「少し」

 クスクスと笑うシャロン。
 馬鹿にされているのに、アルフレッドはその笑顔に少し安心した。

「ねぇ旦那様」
「何?」
「もう少ししたらエミリア様に会えますよ」
「…そうか。でも、私は…」
「大丈夫です。エミリア様に会っても、旦那様が前のような感情に支配されることはありません」

 シャロンは彼の言葉を遮るように、先程の子爵との会話を伝えた。
 しかしアルフレッドは答えを渋る。
 そんな彼にシャロンは眉を顰めた。

「旦那様は彼女への愛情が偽物だったのなら、彼女との思い出も全て偽物だと思っていらっしゃるのですか?」
「偽物じゃないよ。確かに愛していた。それが魅了のせいだとしても、その過去を否定するつもりはないし、誰にも否定させない」
「ではどうして彼女に会いたくないのです?」
「それは…以前のようにエミリアを愛することができそうにないからだよ」

 エミリアは以前と同じようにアルフレッドを求めている。だが、彼は以前と同じように彼女に愛を与えることができない。

「魅了が解けたから?」
「それもある…けど…」

 それだけではない。きっと。
 魅了が解けてきて、すっきりとした頭でならハッキリと自分の気持ちを理解できた。
 けれどこの状況でそれを伝えることは憚られる。
 アルフレッドはやはり口を噤むしかなかった。

「エミリア様、もう長くはないんです。多分、持って2ヶ月が限界だと思います」

 例え適合する臓器が見つかったとしても、エミリアはもう普通の外科手術に耐えられるだけの体力がない。
 シャロンは悔しそうに歯を噛み締めた。

「私は彼女には旦那様に愛されていたという温かい記憶を抱えて、安らかに眠ってほしいと思っています」
「それはエミリアに嘘をつけということか?」

 シャロンの言葉を『エミリアのことを愛しているふりをしろ』と捉えたアルフレッドは険しい顔をした。
 しかしシャロンは首を横に振る。

「違います。恋情だけが愛情ではないでしょう?」
「それは…そうだけど…」
「エミリア様のこと、今でも大切でしょう?」
「大切だよ」
「だったら…。大切に思う気持ちが変わらないのなら、会ってもらえませんか?」

 彼女を大切に思う気持ちは、その種類がどうであれ愛情だ。シャロンはアルフレッドの手を握ってそう訴える。
 彼女の真剣な眼差しに、アルフレッドは少し悲しげな顔をして笑った。

「…シャロンはそれでいいの?」
「私ではエミリア様の心を動かせません」
「そうじゃなくて…いや、わかった。ヘンリー殿下の許可が出たら、会いに行くよ」

 アルフレッドは何か言葉を飲み込んだ。
 彼が何を言いかけたのかはわからないが、お願いを聞き入れてもらえたことに、シャロンは安堵の表情を見せた。


「何してんだ?こんなところで」

 寒い回廊で立ち話をする二人に声をかけたのはヘンリーだった。

「殿下こそ」
「俺はシャロンに用事があって。よかったら公爵も行くか?」
「どこに?」
「昼飯だ。奢りだぞ」
「殿下のですか?」
「いや、ハディスの奢り」

 どうやら危機的状況で交わされた約束は有効だったらしい。
 彼の背後にいたハディスは財布を握りしめた。

「え、待って。4人分はきついですって」

 その日、ハディスの訴えも虚しく、彼の危険手当は4人分の昼食代に消えたそうだ。

しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

田舎者とバカにされたけど、都会に染まった婚約者様は破滅しました

さこの
恋愛
田舎の子爵家の令嬢セイラと男爵家のレオは幼馴染。両家とも仲が良く、領地が隣り合わせで小さい頃から結婚の約束をしていた。 時が経ちセイラより一つ上のレオが王立学園に入学することになった。 手紙のやり取りが少なくなってきて不安になるセイラ。 ようやく学園に入学することになるのだが、そこには変わり果てたレオの姿が…… 「田舎の色気のない女より、都会の洗練された女はいい」と友人に吹聴していた ホットランキング入りありがとうございます 2021/06/17

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

【完結】伯爵令嬢の格差婚約のお相手は、王太子殿下でした ~王太子と伯爵令嬢の、とある格差婚約の裏事情~

瀬里
恋愛
【HOTランキング7位ありがとうございます!】  ここ最近、ティント王国では「婚約破棄」前提の「格差婚約」が流行っている。  爵位に差がある家同士で結ばれ、正式な婚約者が決まるまでの期間、仮の婚約者を立てるという格差婚約は、破棄された令嬢には明るくない未来をもたらしていた。  伯爵令嬢であるサリアは、高すぎず低すぎない爵位と、背後で睨みをきかせる公爵家の伯父や優しい父に守られそんな風潮と自分とは縁がないものだと思っていた。  まさか、我が家に格差婚約を申し渡せるたった一つの家門――「王家」が婚約を申し込んでくるなど、思いもしなかったのだ。  婚約破棄された令嬢の未来は明るくはないが、この格差婚約で、サリアは、絶望よりもむしろ期待に胸を膨らませることとなる。なぜなら婚約破棄後であれば、許されるかもしれないのだ。  ――「結婚をしない」という選択肢が。  格差婚約において一番大切なことは、周りには格差婚約だと悟らせない事。  努力家で優しい王太子殿下のために、二年後の婚約破棄を見据えて「お互いを想い合う婚約者」のお役目をはたすべく努力をするサリアだが、現実はそう甘くなくて――。  他のサイトでも公開してます。全12話です。

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから

真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」  期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。    ※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。  ※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。  ※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。 ※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。

処理中です...