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本編
66:動揺する(1)
しおりを挟む王はエミリアのベッドに落ちていた何かを拾うと、ニヤリと口角を上げた。
そして、エミリアの耳元で『シャロンという猫がこの部屋にいる』と囁く。
ジルフォード侯爵はその言葉に一瞬顔を歪めた。
「猫ちゃん?」
「そうだよ、エミリア。名前を呼んでごらん?出て来てくれるかもしれない」
エミリアは王に促されるままに、猫の名を呼んだ。
「シャロン、かおをみせて?」
「シャロン、どこにいるの?」
「シャロン、おはなししましょう?」
繰り返し、壊れた人形のように猫のシャロンを呼び続けるエミリア。
その様子にハディスは顔を青くした。
「お前、もしかしてベッドに何か忘れてきたか?」
「…IDが手元にありません」
「マジか…」
どやらシャロンは王宮内を自由に出入りするために特別に発行されたIDカードを、エミリアのベッドに置いてきてしまったらしい。
「申し訳ありません…」
「…ほんとな」
シャロンにしては珍しいミスに、ハディスは驚きつつも深いため息をついた。
やらかした、とシャロンは自分の体を抱きしめて小さくなり、肩を振るわせる。
ハディスは彼女の背中をさすり、落ち着かせようとする。だが、シャロンの呼吸は荒くなる一方だった。
「そんな落ち込むな。何とかなる。多分、知らんけど」
「はい…」
先程から名を呼ばれるたびに早くなる鼓動。まるで懐かしい人に会えたような高揚感と切なさ。
明らかにIDを落としたことに対する焦りの感情ではない。
内側から問答無用で湧き出てくる制御不能な感情にシャロンの脳は支配され始めていた。
「…おい、大丈夫か?」
ハディスは明らかに様子がおかしい妹の顔を覗き込んだ。
「…私、何かおかしいですか?」
「めちゃくちゃおかしい。顔が赤い。目が血走ってる。息も荒い。でも表情はないからまるでホラーだ。正直ちょっと怖い」
「わかりやすい説明をありがとうございます」
「どういたしまして…ぐふっ」
見たままに答えたのに、何故か横っ面をグーで殴られたハディス。理不尽だ。
「シャロン、体調悪いのか?」
ヘンリーも様子のおかしいシャロンを気遣い、ハディスの殴られた頬を突きながら彼女に声をかける。
シャロンは下手な愛想笑いを浮かべ、「少し」と答えた。
「耐えられるか?」
「…大丈夫です。問題ありません」
明らかに自分の身に何かが起こっているが、それが何なのか確信が持てないシャロンは強がった。
徐々に早くなる心臓の鼓動と高くなる体温、そしてふわふわとする頭。
一見風邪のようにも思える症状だが、おそらく風邪ではない。それだけは断言できる。
(…気合い入れなきゃ)
何か得体の知れないモノに意識を奪われそうなシャロンは、自分の頬をぎゅっとつねった。
「アル。シャロン、でてこない」
「仕方がない。私が探しておいてあげるよ。エミリアは先に広間に行っててくれるかい?」
優しく頭を撫でてそう言う王に、エミリアは小さく頷いた。
「侯爵、準備を進めておけ」
「…かしこまりました」
ジルフォード侯爵は少し疲れたような表情で首を垂れると、エディがエミリアを抱き上げるよう指示し、広間の方へと向かう。
姿を隠しているシャロン達の前を静かに通り過ぎる父の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
(…お父様?)
喜怒哀楽をすべて笑顔で表現するタイプの人間である父が、その表情を崩すのは珍しい。
様子がおかしい父に、シャロンは思わず声をかけそうになたった。しかし、バディスは妹の腕を掴み、首を横に振る。
ジルフォード侯爵は部屋を出る直前、王の視線が他所へ向いた一瞬に手に持っていた小さなメモに魔力を込めた。そしてそのメモを落とす。
すると、小さな紙切れは扉が閉まるときの風とともにシャロンの目の前にひらひらと移動した。
シャロンはそれを手に取り、兄に渡した。
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