【完結】胎

七瀬菜々

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CASE1:冴島あずさ

1::拗らせ女の罪と罰(1)

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    懐かしい曲を聴きながら手紙を書く。
 どうか幸せになってと願いを込めて。

 愛していないけれど、とても大切なあなたへ。

 


 ーーーーーーCase1:冴島さえじまあずさ




 昨日までは初夏かと錯覚しそうなほどの暑さだったのに、今日は一変してまだ冬が残っている事を感じさせるほどに肌寒い。
 最近の気候は不安定で、私の心まで不安定になる。いい加減、この気圧と気温と湿度に影響される軟弱な体をどうにかしたい。

「遅れてるねぇ」
「そうだねぇ」

 私は電光掲示板を見上げて状況を確認した。なるほど、信号機トラブルか。
 いつもは過疎っている田舎の駅なのに、どおりで人が多いはずだ。

「はぁ……」

   私はため息をこぼしながら、駅の改札の手前にある券売機で五駅先の切符を買った。
 往復切符を買わずに片道分だけを買うのは、帰りは迎えが来るからだ。

「じゃあ、行ってくるね」
「うん。楽しんでおいで」

 朝にも関わらず、「心配だから」と駅まで着いてきてくれた夫のさとしに礼を言い、私はつま先を改札の方に向けた。そして少し歩き、改札口に切符を入れる。

「……まだいるな、これ」

 背を向けているのに、聡がずっと手を振っているのがわかる。多分彼はご主人様に置いていかれる子犬のような顔をしているだろう。
 私はチラリと後ろを振り返った。

 ほら、やっぱり。

 私は仕方なく、もう一度笑顔で手を振った。
 すると、聡は破顔した。まるで犬だ。決してイケメンではないので多分血統書はついていないが、それでも間違いなく良く躾けられた賢い犬。
 正直言って、とても一回りも年上とは思えない仕草だ。
 だけど、彼のそういうところは可愛くて好き。

「ああ、可哀想になぁ」

 本当に可哀想な人。騙されてるとも知らずに、馬鹿な人。
 彼に聞こえないくらいの声で呟くと、私はホームへと続く階段を登った。

「はあ……はあ……」

 息が上がる。こんなに呼吸が苦しいのは、運動不足のせいか、はたまた今から参加するランチ会を億劫に思っているからか。
 
「昔は良かったな」

 なんて、階段を上り切った私は過去に縋るように呟いた。
 昔は同級生と集まっても楽しいことしかなかったのに、今は違う。
 就職して、結婚して、出産して……。最近はそうやって普通に、ごく一般的な人生を歩んでいく周りを見るたびに、心が重くなる。彼女たちと自分を比べて、私は私が嫌いになる。
 面倒なことから逃げて、逃げて逃げて逃げて。常に楽に生きれるような選択をしてきた私には、自分の力で立ち、前を向いて力強く歩く彼女たちが眩しくて仕方がない。

「はあ……、体が重い」

 胸に鉛が詰まってるみたいに、一つ一つの動作がしんどい。
 私は一旦ホームの椅子に座り、スマホのメッセージアプリを開いた。

「うわ、すごい通知」

 未読のメッセージの総数は100を超えていた。そのほとんどはスタンプをもらうためだけに友達登録した企業アカウントだが、その中には親や弟からのメッセージも埋もれていた。
 私は無駄なメッセージを削除し、友人とのグループトークを開いて到着予想時刻を送る。
 すると、すぐに友人の一人である愛花まなかからスタンプが返ってきた。相変わらずレスが早い。
 一方でもう一人の友人である千景ちかげはきっと、会うまで既読すらつけないだろう。彼女はスマホをあまり見ないから。
 たまにその、現代人らしからぬスマホの使い方に、何のために携帯しているのだと思う時がある。

「それにしても『報告したいことがあります』、か」

 意味もなくスマホの画面をスクロールし、過去の会話を遡る。
 前に二人と会ったのは8ヶ月前の愛花の結婚式だった。そして、今回はその愛花から報告したいことがあると連絡が来た。
 つまり、そういうことだろう。

 愛花は妊娠したのだ。

 このタイミングで報告があるということは、今は6ヶ月くらいだろうか。だとすると、結婚式のすぐ後に妊娠したのだろう。 
 下世話にも逆算してみて私は、早いな、と思った。
 結婚してすぐに、そんなに簡単に妊娠できるなんて愛花は運がいい。

「笑えるかな……」

 私はふと心配になり、暗したスマホの画面を鏡代わりにして笑顔を作ってみた。
 無難な笑顔を作ったつもりだが、唇の端が引き攣っている。
 ああ、何と情けないことか。
 友人の妊娠を喜べないクソ野郎は死ねばいいのに。私は三角印の1番の数字の列に並び、そろそろ駅に入ってくるであろう電車の前に飛び込む想像をした。
 まあ、そんなことはしないけれど。多分。

『三番線、電車が参ります。ご注意ください』

 アナウンスと共に、電車がホームに入ってくる。電車がプシューっと音を鳴らして扉を開けると、続々と人が降りてきた。
 私の視線は自然と、その中にいた3歳くらいの小さな女の子の手を引くお母さんに向いた。
 お腹が大きい。もう臨月だろうか。お腹を支えるようにして歩く妊婦独特の歩き方が気になってしまう。
 あのお母さんは、娘を産んでからどのくらいで二人目を妊娠したのだろう。子を孕むというのはそんなにも簡単なものなのだろうか。
 
「おねえちゃん、ばいばい」

 見すぎたのか、女の子が手を振ってきた。紅葉の葉のような小さな手のひらはとても可愛い。
 私は無難な笑みを浮かべて手を振りかえし、こちらに頭を下げる母親に会釈を返して電車に乗り込んだ。

 一両目の一番前の席に座り、車窓から見える景色を眺める。
 遠く離れたところにある、川沿いの一本道。今の時期、あの川沿いでは美しい桜が見られる。ついでに言うと、その道の先にある小学校と認定こども園に通う子どもたちが桜並木の下を楽しそうに歩く姿も見られる。
 私はいつかの春、聡と二人で桜並木の下を歩いた日のことを思い出した。
 
  ーーーもし、自分たちに子どもができたら、ここで記念撮影をしたいね
 
 あの時、そう言った私に彼は優しく微笑み返してくれた。
 幼稚園の制服に袖を通した時。ランドセルを背負った時。中学の学生服に袖を通した時。節目節目のタイミングで、この桜の下で記念撮影をしたい。
 それは私たち夫婦のささやかな夢だった。



 でも……、今はもう叶う気がしない。







 
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