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3:今日も兄は引きこもる(3)
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午後6時。お風呂に入った私は不器用なりに髪を巻き、お気に入りの白の小花柄ワンピースに袖を通して、シトラスの香りのオードトワレをつけた。
鏡で何度も自分の姿を確認すると、浮かれ気分でリビングに降りる。
別に、行き先がおしゃれなレストランだと期待しているわけではない。あの兄のことだ。目一杯おしゃれしておけなんて言いつつも、多分行き先は近くのファミレスだろう。
だが、そうわかってはいても、私はおしゃれせずにはいられなかった。
たとえ行き先がファミレスだろうと回転寿司だろうとファーストフード店だろうと、私は家族での久しぶりの外出に浮かれていたのだ。
「何…これ…」
リビングに向かった私は、そこでようやく自分の勘違いに気がついた。
兄は『美味いものを食うか』と言ったが、『外に食いに行くか』とは言っていない。
『用意できたら声をかける』とは言ったが『何時にどのお店に行く』とは言っていない。
ダイニングテーブルに並べられたSNS映えしそうな料理を見て、私は叫んだ。
「騙されたぁぁぁ!!!」
崩れ落ちる私の姿に、兄は悪い笑みを浮かべる。
「誰が外食するって言った?」
言っていない。一言も言っていない。
「ほら座れ、母さんももうすぐ帰ってくるから」
ニヤニヤと口角を上げて私を見下ろしてくる。腹立たしい。
兄はオマール海老のテルミドールのお皿を置くと、濃紺のエプロンを脱ぎ、そして大学の卒業式以来着ていないスーツを羽織った。
スーツを着るならせめて無精髭と死んだ魚の目をどうにかしろ、この野郎。
「…オマール海老なんていつ用意したの?」
兄が引いた椅子に渋々腰掛けた私は、テーブルに並んだ豪華な料理を見て、ふと疑問に思った。
我が家は極々平均的な家庭だ。間違ってもオマール海老やシャンパンを常備している家ではない。
「はっ!もしかして買い物に行った!?外に出た!?」
「残念。ネットスーパーです」
「嘘ね、だって今日の午後に頼んだのに今日中に来るわけないもの」
「前もって頼んでおいたんだよ。そろそろお前が『外に出なさい』と言い出す頃だと思ってな」
兄はふふんと鼻を鳴らす。
どうやら私が外に連れ出そうとするのを見越して、先手を打つためにわざわざ食材を用意しておいたらしい。
いつも料理は兄がするから私が冷蔵庫を開けることがほとんど無いのを逆手に取り、彼は着々とこの日のための準備を進めていたのだ。
今回ばかりは流石にしてやられた、と私は項垂れた。
「…私のために私の好物を用意することで、私が非難しにくい状況を作り上げるとは本当に策士だな!」
「なんだよ、お前のために作ったのに。不満なのか?」
「強いて言うなら態度が不満」
「俺もお前の態度が不満」
そう言うと兄は私の髪に触れ、薄く笑みを浮かべた。
「お前の入学祝いにと、『家族でご飯が食べたい』というお前の密かな願いを汲み取り、かつお前の好きな料理を腕によりをかけて作ってやった兄に対して、その態度はいかがなものだろうか」
「私のためとか言いつつ、外出を回避するためでしょうが!」
「結果としてお前のためになってるんだから、動機はどうあれお前のために作られた料理には変わりない」
「それは!そうだけど…。そうかもしれないけど…」
兄は私の毛先を弄ぶと、悪代官のように囁いた。
「俺は、施しを受けておいて『ありがとう』の一つも言えない妹など持った覚えはないぞ」
「うっ…」
痛いところをつかれた私は、思わず唸り声をあげてしまった。
外出を回避するためにここまで凝ったことをするより、すっと外に出る方が数百倍も楽だろうに。本当に変わった男だ。
「ありがとう、は?」
「あ、ありがとうござい、ます…」
引きこもりクソニートの正論に屈してしまった私は、声を絞り出した。悔しい。
「なあ、その顔でお兄ちゃん大好きですって言ってみて」
「死ねクソ兄貴」
屈辱的な扱いを受けて悔しそうな表情をしている妹を、さらに追い討ちをかけるように辱めようとするなど人間のすることじゃない。こいつは悪魔だと私は思った。
鏡で何度も自分の姿を確認すると、浮かれ気分でリビングに降りる。
別に、行き先がおしゃれなレストランだと期待しているわけではない。あの兄のことだ。目一杯おしゃれしておけなんて言いつつも、多分行き先は近くのファミレスだろう。
だが、そうわかってはいても、私はおしゃれせずにはいられなかった。
たとえ行き先がファミレスだろうと回転寿司だろうとファーストフード店だろうと、私は家族での久しぶりの外出に浮かれていたのだ。
「何…これ…」
リビングに向かった私は、そこでようやく自分の勘違いに気がついた。
兄は『美味いものを食うか』と言ったが、『外に食いに行くか』とは言っていない。
『用意できたら声をかける』とは言ったが『何時にどのお店に行く』とは言っていない。
ダイニングテーブルに並べられたSNS映えしそうな料理を見て、私は叫んだ。
「騙されたぁぁぁ!!!」
崩れ落ちる私の姿に、兄は悪い笑みを浮かべる。
「誰が外食するって言った?」
言っていない。一言も言っていない。
「ほら座れ、母さんももうすぐ帰ってくるから」
ニヤニヤと口角を上げて私を見下ろしてくる。腹立たしい。
兄はオマール海老のテルミドールのお皿を置くと、濃紺のエプロンを脱ぎ、そして大学の卒業式以来着ていないスーツを羽織った。
スーツを着るならせめて無精髭と死んだ魚の目をどうにかしろ、この野郎。
「…オマール海老なんていつ用意したの?」
兄が引いた椅子に渋々腰掛けた私は、テーブルに並んだ豪華な料理を見て、ふと疑問に思った。
我が家は極々平均的な家庭だ。間違ってもオマール海老やシャンパンを常備している家ではない。
「はっ!もしかして買い物に行った!?外に出た!?」
「残念。ネットスーパーです」
「嘘ね、だって今日の午後に頼んだのに今日中に来るわけないもの」
「前もって頼んでおいたんだよ。そろそろお前が『外に出なさい』と言い出す頃だと思ってな」
兄はふふんと鼻を鳴らす。
どうやら私が外に連れ出そうとするのを見越して、先手を打つためにわざわざ食材を用意しておいたらしい。
いつも料理は兄がするから私が冷蔵庫を開けることがほとんど無いのを逆手に取り、彼は着々とこの日のための準備を進めていたのだ。
今回ばかりは流石にしてやられた、と私は項垂れた。
「…私のために私の好物を用意することで、私が非難しにくい状況を作り上げるとは本当に策士だな!」
「なんだよ、お前のために作ったのに。不満なのか?」
「強いて言うなら態度が不満」
「俺もお前の態度が不満」
そう言うと兄は私の髪に触れ、薄く笑みを浮かべた。
「お前の入学祝いにと、『家族でご飯が食べたい』というお前の密かな願いを汲み取り、かつお前の好きな料理を腕によりをかけて作ってやった兄に対して、その態度はいかがなものだろうか」
「私のためとか言いつつ、外出を回避するためでしょうが!」
「結果としてお前のためになってるんだから、動機はどうあれお前のために作られた料理には変わりない」
「それは!そうだけど…。そうかもしれないけど…」
兄は私の毛先を弄ぶと、悪代官のように囁いた。
「俺は、施しを受けておいて『ありがとう』の一つも言えない妹など持った覚えはないぞ」
「うっ…」
痛いところをつかれた私は、思わず唸り声をあげてしまった。
外出を回避するためにここまで凝ったことをするより、すっと外に出る方が数百倍も楽だろうに。本当に変わった男だ。
「ありがとう、は?」
「あ、ありがとうござい、ます…」
引きこもりクソニートの正論に屈してしまった私は、声を絞り出した。悔しい。
「なあ、その顔でお兄ちゃん大好きですって言ってみて」
「死ねクソ兄貴」
屈辱的な扱いを受けて悔しそうな表情をしている妹を、さらに追い討ちをかけるように辱めようとするなど人間のすることじゃない。こいつは悪魔だと私は思った。
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