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2:今日も兄は引きこもる(2)

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「おい、大きなため息をつくな。幸せが逃げるぞ。今ので2年分くらい逃げた」
「もう逃げる幸せも残っていないから問題ない」
「何を言うかまだ18の若者だろう。あと、言っておくがお前が『あんなブログ』とこき下ろすブログでも、熱心なファンが結構な数ついているんだからな」
「…ファンというか信者でしょ。大体、お兄ちゃんはやり方がゲスいのよ。コメント欄でアンチと信者を戦わせてPV数稼ぐなんて」
「人聞きの悪いことを言うな。俺はこの国のもしくはこの世界の行く末を憂いている者たちに熱い議論を交わす場を提供しているだけだ」
「もっともらしいことを言っているけど、社会問題に対するお兄ちゃんの、『一見クズみたいだけど正論にも聞こえなくもない賛否両論分かれそうな極端な意見』を餌に子供おじさんを集めているだけじゃない」

 私は兄の主張を鼻で笑ってやった。
 兄のブログはたびたび炎上する。それは兄が燃料となる極論を投下しているからだ。
 過激な言葉を用いてアンチを煽り、屁理屈を用いて信者を魅了する。
 ちなみに最近よく釣り上げているのがエセフェミニスト。真のフェミニストではなく、とりあえず差別だと騒ぎたいだけの連中だ。彼らは勝手に盛り上がってくれるから楽だと兄は言う。そう話す兄の顔は本当にゲスの極みだった。顔の皮膚を剥いでやりたい。

「おい。今、顔の皮膚を剥いでやりたいと思っただろう」
「なんでわかったの?」
「そんな顔をしていた。本当に恐ろしい妹だ」

 兄は『恐ろしい恐ろしい』と繰り返しながら再び布団を頭からかぶった。
 本当に剥いでやろうか、こんちくしょう。
 またしても大きなため息をついた私は、ベッドに腰掛けて布団を捲る。しばらくすると、兄が頭だけ布団から出してきた。
 それは可愛い女の子がしていたら可愛いミノムシだが、無精髭の三白眼がしていたらただのミノムシだ。要するに気持ち悪い。本物のミノムシの方が何倍も可愛いくらい。

「…ねえ。お兄ちゃんはなんで、内定辞退してまで私たちについてきたの?」
「だから、東京の通勤ラッシュに疲れたからだよ。通学でもしんどかったのに、社会の歯車になるためにアレに耐えるとか…。無理すぎる」
「嘘つき」
「嘘じゃねぇし」

 平然と嘘をつく兄を私はナメクジを見るような視線を送る。
 実は3年ほど前、兄はこの国の最高学府…より少し下のそれなりに有名な私立大学を卒業した後、それなりに名の知れた企業に就職する予定だった。
 しかし、気がつけば内定を辞退していた。その時語った理由は『東京の通勤ラッシュが怖すぎる』というくだらないもの。もしそれが本当なら、大人としてどうかと思う。
 当時、兄の卒業を待って離婚する予定だった両親は大パニックだった。
 絶対にそんなことはないのに、自分たちの離婚が兄の決断に影響したのではないかと悩み始めた母と、兄の将来を心配して自分の勤め先を紹介しよう奔走していた父。そして能天気に荷造りする兄に囲まれながらした引越し準備は、中々にカオスでしんどかった。精神的に。
 結局、両親の説得も虚しく、兄は生まれた時から都会にいるから田舎の良さなど知らないはずなのに、『都会に疲れた』とか言って私と母と共に母の実家がある兵庫までついてきた。先に言っておくが、引っ越し先も住所は西宮なので多分田舎ではない。
 兵庫に来てしばらくは就活していたみたいだが、今ではもうただのクソニートだ。
 
「21にもなって、わざわざ離婚する両親に合わせて苗字まで変えて、何がしたかったの?もしかして向こうでやばい犯罪にでも手を染めてた?」
「なぜそういう結論になる。お兄ちゃんを安易に犯罪者にするのはやめなさい」
「だっておかしいじゃん。私は高校に上がるタイミングだったからちょうど良かったけど、お兄ちゃんは別にお母さんについてくる必要なかったのに…。犯罪を犯して逃げてるなら納得できるけど、そうじゃないなら納得できない」
「何でそう兄を犯罪者にしたがるんだ。ほら、アレだ。人生やり直したかったんだよ。俺の人生ほぼ黒歴史だから」
「それはまあ、否定はしないけど」
「そこは否定しろよ」
「むしろ、現在進行形で黒歴史」

 なぜなら現在進行形で残念な引きこもりだから。
 そう言われた兄はぐぬぬっと文字にしにくい声を出して私を睨みつける。
 だが否定できないのか、最終的には無理矢理話を逸らせてきた。

「つーか、お前大学は?もう4月に入ったぞ?」
「10日が入学式。まだ春休みですー」
「そういやぁ、そうだったな」

 聞いておいて興味のなさそうに返す兄に私は苛立った。興味ないなら聞いてくるな。 
 しかしそう思っていると、このどうしようもない兄からまさかの発言が飛び出した。

「入学祝いになんか美味いもん食うか?」
「え?」
「だから、入学祝いに美味いもん食わしてやるって言ってるんだよ」
「…まじ?」
「まじ」
「嘘ぉ…」

 私は目玉が飛び出しそうなくらいに目を見開いた。
 こんなことを言われたのはいつぶりだろうか。最後に兄と外食したのは、彼が大学生になり始めてバイトしたお金で家族に中華をご馳走してくれた時以来かも知れない。
 
「…い、行く!」
「よし、じゃあ母さんには今日残業せずに帰ってこいって言っておく。また用意できたら声をかけるから、それまでに目一杯おしゃれしておけ」
「うん!うん!わかった!!」

 今日は金曜日、母の仕事も早く終わる日だ。
 どこに連れて行ってくれるのだろう。私は嬉しさのあまりハチノスツクラセナーイを置いたまま兄の部屋を出てしまった。
 
「…お、おおおお兄ちゃんと、家族で、外食!!」

 廊下の端までスキップした私はそのままお風呂場に直行した。 
 久しぶりの家族での外食。そんな些細なことでも私にとっては何事にも変え難いほどに嬉しいものだったから…。本当に嬉しかったから…。



 だから、私は色々なことを失念していた。
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