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八十七 律の行方

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『恋人が脅されてるみたいなんですが警察に連絡したほうが良いでしょうか?』

『ウケルw』

 ウケるな。お前のことだぞ。お前の。

 スマートフォンのメッセージは帰ってくるが、律は本気で『忙しい』らしく、寮には寝にだけ帰ってくるような状態だった。門限の届け出は出しているらしく、毎日二時ころに帰宅して、朝はギリギリまで眠っている。こうなると、俺も気が気じゃないわけだが、律はいたって、のらりくらりだ。

(クソがっ……)

 イライラしながらラウンジでビールを購入し、そのままテラスに出る。今日も律は遅くなるのだろう。毎日逢えていたのに、もう三日以上顔をろくに見られていない。テラスに出ると、先客が居た。須藤と羽鳥、月島の三人だ。羽鳥は須藤の腰に手を回し、月島は須藤の髪に触れている。なんというか、なんだ。この変な感じ。確か羽鳥は須藤と付き合ってるんじゃなかったのか。

「あ、先輩」

「どうも」

「……どうも」

 須藤が気恥ずかしそうにしている。何だろうな、この感じ。取り合えずなんか、バカップルのイチャつきに遭遇したような気分だ。月島もいるからそんなはずはないのだが。なんとなく人の恋路を見たい気分ではなかったため、少し気分がやさぐれる。須藤たちは軽く会釈をして出て行ってしまったので、必然的に俺は一人になった。夜風の寂しさが余計に身に染みる。

「ハァ……」

 プシュ、と缶を開け、口をつけようとしたその時だった。ブルルルとエンジン音が鳴り、ヘッドライトの明かりが門を照らす。車両が寮に乗り入れるのは珍しく、そちらに視線を向けた。白い軽自動車だった。

(誰だ?)

 見覚えのない車に眉を寄せる。こんな時間に、玄関側に回ってくる車は珍しい。寮生用の駐車場は、寮の横手にある。しばらく様子を見ていると、玄関の目の前で止まったその車から、男が降りて来た。見覚えのあるその顔に、ギョッとして目を見開く。男もこちらに気が付いたらしく、まっすぐ俺の方に向かって来た。

「久我くん!」

「――石黒、さん」

 石黒は俺の方に来るなり、ガシッと腕を掴んだ。ビールを持っていた手がぶれて、僅かに手にビールが掛かる。

「まだ飲んでないな? 飲んでないよな?」

「えっと、はぁ……。まだ、一口も飲んでないですけど……」

「よし! 酔ってないな! さあ、行こうか!」

「え? 何言ってんすか? ちょっ」

 強引に腕を引っ張られる。手に持っていた缶は奪われ、その場に放置された。

「いやー、助かった。すぐに会えて」

「いやいやいや、何言ってんですか。俺サンダルなんですけど!?」

「あー、大丈夫、大丈夫。うち土足じゃないから」

「いやいや。何言ってんの。てか、うちってなに!」

 後部シートに押し込まれ、慌ててドアを開こうとするが、開かない。内側から開かない……だと? チャイルドロックだ。なんだコイツ。用意周到過ぎる。

「おいっ! 誘拐だぞ!?」

「そうなんだよ。もう、こうするしかないんだ」

「えっ!? 怖いんだけど!?」

「大丈夫。律も待ってる☆」

「いやいやいや。って、律!?」

 いや、律がコイツのところにいるのは、なんとなく想像してはいたけれど。

 訳も分からないままに、俺は石黒に連れ去られてしまったのだった。



 ◆   ◆   ◆



「ここって――」

 石黒が連れて来たのは、いくつかの会社が入っているらしいビルだった。二階部分の看板に『株式会社SDM』と掛かっている。

(石黒の会社、だよな……)

 石黒の会社はもう二十二時を回っていると言うのに、煌々と明かりがついていた。どうやら、絶賛修羅場中らしい――。なんとなく事態を察して、頭を抱える。

「さあ、行くぞ。久我くん」

「はぁ…」

 石黒は後部シートに置いてあったビニール袋を抱え、階段を上がっていく。俺もそれに続いた。

「帰ったぞー」

「社長~。お帰りなさいー」

「買い出し遅くないですか?」

「サボってたんでしょ」

「クソが」

「何言ってんだ。助っ人も連れて来たんだぞ」

 部屋に入るなり、社員らしい人たちの声が響く。最後に悪態を吐いたのは律の声だった。俺は呆れた顔をしながら、部屋の中に入る。律が俺を見て、目を見開いた。

「っ……! おい、石黒っ! てめえっ」

「久我くんだよ~」

「久我くんだよ~、じゃねえっ! なに巻き込んでんだ!」

「だって久我くんプログラム書ける子じゃん!」

「だってじゃねえ! このクソ禿!」

「禿てません~」

 明らかに疲れた様子の社員たちと、苛立つ律に、すべての状況を察して天を仰ぐ。要するに、石黒の会社の仕事を手伝わされているらしい――。

「さて久我くん。わが社はいま危機に瀕している。納品は先月・・だ。案件を抱えていた社員がギリギリまで事態を隠してたおかげで正直に言えば進捗は半分も行ってない。その上担当者は胃に穴が開いて入院中だ。笑えるだろ?」

「いや、だいぶ笑えないっす」

「まあ、この業界じゃ良くあることだ。何とか交渉して今週末まで伸ばして貰ったが、さすがに形にしなけりゃマズい。バグがあっても良いから取り合えず形にしないと社員全員路頭に迷うことになる。ちなみに律は毎日帰してるが社員は泊ってるぞ」

「マジで笑えないっす」

 律の他にも、大学時代の後輩やら、元社員やら、あちこちに声をかけて出来る限り参加して貰っているらしい。大丈夫かこの会社。いや、大手企業と違って、小さな会社なんてこんなもんなのかもしれない。社員たちは「鬼だ」「鬼畜だ」「辞めてやる」と言いつつ、手は止まっていない。ブラックじゃないか?

(なんか拍子抜けしたが……まあ、状況は解った……)

「クソがっ……航平は関係ねえだろうが……」

「律、お前腹減ったんだろ。だからイライラしてるんだよな? 牛丼買って来たから食えよ☆ あ、ちゃんとレトルトじゃなくて牛丼屋で買ってきたやつだぞ」

「今それ言うなよ! マジでムカつく!!!」

「え? なになに?」

 頭を抱える律に、中年の女性社員が興味津々で聞いてくる。

「いやあ、コイツがさ? 俺が『牛丼買って来い~』ってパシらせてたわけよ。そしたらさあ」

「今はそんな話してる場合じゃないだろ!」

「まあまあ、吉永ちゃん。それで?」

「こいつがクソガキでよぉー。牛丼の空き容器にレンチン飯詰めてさ、その上にレトルトかけて、『買ってきました~』って出してくんのよ。しかも、公園でわざわざ時間潰して」

「悪いな~w 吉永ちゃん」

「そんで俺が気づかねえと『バッカー』って尻叩いてさ。マジで腹立ったよな」

「そういう、昔の話をするから、アンタは嫌なんだ!!」

「彼氏の前だからってカッコ付けんじゃないよ~。お前飲み会で酔った時なんか四階からショウベ……」

「わーわーわー!!! 黙れ、このっ!!」

 なんだろう。多分、疲れすぎてテンションがおかしくなってるんだろうな。傍から見ていた俺は、完全に取り残され状態である。

 何と言うか、石黒と律の関係は、疑うような甘いものではないようだ。完全に悪ガキである。

(なんというか……、杞憂だったな……)

 すっかり毒気を抜かれてしまい、呆然と立っていた俺に、静かに作業をしていた黒いTシャツの若い青年が声をかけて来る。

「社長に誘拐されてきました?」

「……です」

「災難でしたね~。あ、被害届はあとでお願いします。ひとまず手伝ってもらって良いっすかね」

「いや、良くねえよ」

 そう言いつつ、仕方なしに席に座る。どうやら作業が終わらないと、律も解放されそうにない。律のためなら仕方がないか……。

 手元に渡された仕様書を読みながら、ため息を吐く。なんで、こんなことになったんだろうな?

(まあ、ヤキモキしながら律の帰りを待つより良いけども)

「そう言えば、吉永さんの彼ピらしいっすね」

「ああ――え?」

「いやー、めっちゃ惚気てましたよ」

「ちょっと!?」

 いやいや、何してんの律。てか、何。惚気てたって。

「吉永さんが手伝わないなら久我さん引き抜くって、めっちゃ脅してましたもんwww」

「マジか」

 どうやら、黒T君によれば、最初に目を着けられたのは律ではなく俺だったらしい。あの日も律を迎えに来たわけではなく、俺に会いに来たそうだ。祝賀会の時に多分、目を着けられていたんだろう。結局、律が手伝うということになって、一度は落ち着いたらしいが、件の社員が胃をやられて入院し、結局俺も攫われたようだ。

 俺を連れて来ると言う話になった際、あまりにもしつこく律が引き留めるので、石黒が『お前は久我くんの何なんだ?』と問いかけたところ『おれは航平の彼氏だ』と宣言してしまったらしい――…。そんなわけで、SDMのメンバーは全員、俺たちが恋人だと知っているというわけだ。なんてこったい。

 渡されたプログラムを確認し、パソコンに向かっていると律がコーヒー片手にやって来る。

「お疲れ……巻き込まれたな……」

「まあ、俺が頑張れば、その分律ちゃんの負担減るっしょ。しゃーない。なんか、あの人には勝てない気がしたわ」

「マジで……」

 ぐったりする律をヨシヨシして、石黒をチラリと見る。石黒は俺の門限許可を電話でもぎ取っているところだ。迷惑だが行動力だけはピカイチの男である。

「よーし、許可取れたぞ久我くん。ちゃんとバイト代払うからな。後で律とデートでも行ってくれ」

「それは良いんですけど、律呼び辞めてもらえませんか。腹立つんで」

「おっと。なるほど、なるほど。嫉妬か青年」

「そうっすよ」

 しれっとそう答えてディスプレイに向かう俺に、石黒は顔を顰めて「マキちゃん、この子可愛くないぞ?」と愚痴を言っている。良いからアンタも仕事しろ。

 それからの数日、俺と律はなんやかんやと、この賑やかしい職場でこき使われ、納品までしっかり手伝わされたのであった。




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