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八十六 どういうこと?
しおりを挟むアイツだ。アイツに違いない。確信して、俺は部屋に帰るなり、名刺ケースをひっくり返してそれを探し出す。
「あった……」
『株式会社SDM 代表取締役社長 石黒貴彦』
石黒。律の先輩で、夕暮れ寮のOBだという男。律は何とも思っていないようだった。むしろ、迷惑がっていた。そう思ったのに。
(なんで、言わなかったんだ)
ザワザワと、胸がざわめく。嘘を吐かれたとか、思っちゃいない。律に限って、そんなことしないって解ってる。
じゃあ、どうして不安なんだ。
『――律、石黒と昔、なんかあったの?』
『それは、言いたくない……かも」
言い淀んだ律の言葉が頭を過る。俺の知らない律がいることに、不安があった。不安で、余計なことばかり考えてしまいそうになる。
(電話――して、みようか)
電話をすれば、気持ちが落ち着くかもしれない。でも、もし。
もし、実家じゃなくて、石黒と一緒だったら?
ゾクリ、最悪な考えをした自分に嫌悪して、枕を叩いた。
律。律。律。
律のことを信じてる。律を愛してる。律がなにをしていようと、なにを考えていようと、手離す気はない。
だから、これは妄想で、杞憂なんだ。
(また、起こってもいないことで、不安になってる……)
ベッドにうつ伏せになって身を投げ出し、ぼんやりと外を眺めた。カーテンを閉め忘れた窓に、夜空が広がっている。田舎の空は、真っ暗だ。深い闇の底みたいで、落ち着かない。
◆ ◆ ◆
「キャンプは随分、楽しかったみたいだな? 俺のメッセージに反応もしないなんて」
「ちっ……違うよ! 電話しようと思ったんだけど!」
俺はさっそく、帰宅した律に詰められている。こんなはずじゃなかったのに、何で怒られてるんだろうか。いや、返信しなかった俺が100パーセント悪いんだけども。
「けどぉ~?」
「くっ……。か、家族団らん、邪魔しちゃ悪いかなって……」
「ふぅん? まあ、そう言うことにしておいてやるか」
「……」
律の様子は、いつも通りだった。石黒に連れて行かれたと思うのだが、そこのところはどうなのだろう。律は、隠す気なんだろうか。
「急に、どうしたの? 実家行くって、言ってなかったよね」
探るようで少し嫌だが、気になってしょうがない。律はどうするつもりだろう。少し咎めるような言い方になってしまったと思いながら、律の様子を見る。律はスマートフォンの充電器を鞄に詰め込みながら「んー」と答える。
「実家は、ついで。他に野暮用が出来て――まあ、ちょっとなあ……」
「なに? 野暮用って」
「んー」
また、言葉を濁す。苛つきそうになるのを堪えて待つ俺に、律がぎゅっと抱き着いてきた。
「っ、なに……」
「癒されてぇの」
「……なにそれ」
少し気恥ずかしい。こんなので、癒されるのか。意味わからない。
ハァと息を吐いて、律の髪を撫でた。柔らかい髪に顔を埋めて、耳元にキスをする。
「……河井さんのこと、片付いたから」
「ん? どゆこと?」
「なんか、向こうが察してくれた」
「アハハ! ドヘタレめ。この女ったらしが」
「なんで貶されんのよ」
「彼氏がこんなんで、おれって苦労しちゃいそう」
「それ、河井さんにも言われたから」
「えー? なにその『解ってます』って感じ。おれのが解ってるんだけど?」
「そりゃ、律ちゃんが一番よ」
「当たり前」
そう言って律が唇に噛みつく。マジで、嫉妬されんの、可愛いんだけど。ちゅっと唇を重ね、啄むようなキスを繰り返す。
「で、律の方は言わない感じ?」
「あー」
露骨に目を逸らされ、唇を曲げる。知ってるんだぞと、言ってやろうか。そもそも、何でアイツに着いていったんだ。嫉妬で狂いそうだぞ。
「言えないようなこと?」
「そう言う訳じゃないんだけど――いや、言うとさあ……」
もごもごと口を動かす律に、眉を寄せる。どういうことだ。
「いやー……。んとに、あのクソ野郎……」
「……もしかして、脅されてる……?」
つい、ボソッと呟いた言葉に、律が顔を上げた。
「そう! それ!」
「は」
「いやー、脅されてんだわ。マジで。だから、ちょっとゴメン!」
「え? 律?」
脅されてる雰囲気ではないが?
一体何なのだと混乱する俺の手を、律が両手で握りしめた。
「だからな、ゴメン」
「え? 何が?」
「来週一週間――たぶん、一週間くらい、ちょっと忙しくて夜とか遅くなるから!」
「は?」
「ごめんな! 愛してるっ!」
「いや、愛してるって……律!?」
「じゃあ、おれまた今から出なきゃなんだわー。ごめんな、脅されてて~」
「いや、脅されてるノリじゃねえよ! おい、律!」
律はそう言うと、鞄を抱えて、嵐のように出掛けて行ってしまった。
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